07__エスファニア王国への報告
2日目です。
___エスファニア王国の国王 - フェイトゥーダ ・ 同国の男爵 - セレディン___
国王-フェイトゥーダ=エヴァン=ナヴァールの部屋には、この部屋の主人と 彼の親友がいた。
彼は、男爵にして この城の侍従長を務める青年-セレディン=ラグロス=ハーシュフェルダーだ。
この日、彼等は、目的があって 此処に集まっていた。
そして、壁際にある大きな鏡の前にいた。
軟らかい色の金髪に 蒼い睛の青年は、今年 21歳になる この国の王だ。
その隣に竚つ青年は、闇色の髪に 金茶色の睛をしている。
年齢は 24歳、フェイトゥーダよりも長身で 一回り大きな軀付きをしていた。
細いが がっしりとした体格の、精悍な顔立ちをした青年だ。
優しい印象のフェイトゥーダと列ぶと、少々 悚い。
現在、眉を寄せ 不機嫌そうな顔をしている事も手伝って、威圧感が素晴らしい。
尤も、ラノイの それには遠く及ばないと云った攸だ。
早朝から 神妙な顔をして竚つセレディンと 鏡の間には、1匹の猫がいた。
白灰色の毛並みも美しい、少し大きな種類の雌猫だ。
彼女は、石造りになっている城の床の洌さを物ともしない 豊かな毛並みをしている。
美猫と評して良い、スリムで 顔立ちの佳い猫だった。
小さめな顔の中の アーモンド型の瞳は、翠色の宝石の様だ。
座っているだけで 気品の漂う、優美な猫-シエルである。
その 知性の溢れる睛は、鏡越しに セレディンを見上げていた。
「セーレン、少し落ち着いたら どうだい?」
愛猫の代わりに、フェイトゥーダは、自分の隣で 表情を強張らせている親友へ そう声を掛けた。
セレディンは、幼馴染にして この国の若き王の言葉に、撰り一層 眉を寄せた。
「いつもなら帰ってくる時間に帰らなかったとしても、彼女は この国の魔法使いだ。最強の人だよ?」
何度も侑けられているだろう、と言われても セレディンの表情は変わらない。
「ファニーナより勍い魔法使いなんか、この辺りには いないと惟うよ?」
この意見には、セレディンも賛同している。
魔法使いと知り合って半年だが、彼女が勍い事は 良く判っている。
数ヶ月に亘る サマリア王国との一件で、彼女と 他の魔法使いとの関わりを知った。
魔人も 魔女も、小さな少女の姿をした〔幼き妖精〕に ぞんざいな態度をとれる者はなかった。
「あの時も 対等な態度をとったのは、1人だけだったろう?」
南の内海を支配する魔女だけが、彼女を 折れさせた。
それも、彼女の恚りを買わない ぎりぎりの嚇しに因って、である。
「だが、取り入ろうとする者が多いんだ、ファニーナには」
これは、事実だ。
魔法に因る 遠方との交信に於いても、彼女の隙に付け入ろうとする者ばかりだった。
だから、セレディンの心配は尽きないのだ。
どれ程 勍くとも、彼女は 心優しい。
誰かの悪心や 策謀に嵌まる事もあるのではないか。
セレディンは そう考えているのだ。
「大丈夫だと惟うよ」
大きな鏡面には 金髪で細身な青年の笑顔と、闇色の髪に精悍な顔立ちの青年の苦悩が写っている。
フェイトゥーダは、澄み切った穹の様な蒼い瞳を細めて、金茶色の睛を苦々しく細めている幼馴染みを見た。
彼の睛には、セレディンは 啻の心配性にしか映らない。
だが、セレディンには セレディンしか知らない理由があって 魔法使いを案じていた。
これまでの半年間、魔法使いが 疲弊して帰った事は 3回ある。
その内 1回は、死んでしまうのではないか と惟う程の重傷を負っていた。
孰れも、魔法使いの闘いに因るモノだ。
これを知っているのは、セレディンだけだった。
ひょっとしたら、自分さえも知らない内に
もっと酷い状態になっていた事が
あったのかもしれない。
そう惟うが故に、セレディンは 心配でならないのだ。
杞憂であってほしい と惟う反面、最も高い可能性として あの血塗れの姿が脳裏から離れない。
「だが……… 」
予定外の外出延期など これまでになかった、とでも言いたかったのだろうか。
セレディンは、小さく呟いて 口篭った。
知り得た事を 誰にも談さない。
これが、魔法使いとの約束である。
セレディンが自分から誓い、それで 詳しく聴き出す事が出来た樣々な情報が これに該当する。
誓ってしまっただけに、談せない。
__ 魔法使いに 誓う。__
それは、契約であり 制約でもあるのだ。
「セーレン、心配しすぎだよ」
これまで〔幼き妖精〕が 王国の為に起こしてくれた 様々な奇蹟と、そのせいで 彼女が蒙ってきた多大な負荷を知るのは セレディンだけだ。
魔法使い-自身が 進んで誰かに談す事はないし、何撰り フェイトゥーダに知られたくはないだろう。
それを理解しているが為に、セレディンは 己れの中の不安を 親友にも漏らす事が出来ないのだ。
「 –––––––––––––––ああ……… 」
この時も、セレディンは、そうとしか 答えられなかった。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:エスファニア王国の男爵 - セレディン=ラグロス=ハーシュフェルダー___
沈黙してから、眼の前へ視線を移す。
鏡面には、苦虫を噛み潰した様な顔をした自分と、その隣で 穏やかに微笑んでいる幼馴染みが写っている。
金糸の様な美しい髪に 蒼穹を写した瞳をした痩身の王は、いつもと変わらず にこやかに笑んでいる。
知らないが故の笑顔であり、ファニーナの希んだモノでもある。
《 益々 心配性-扱いになるな。》
そうは惟うが、心配しているのも事実だ。
否定する言葉が見付からないのも、事実だった。
そうして 考え込んでいる内に、鏡面に写る自分が揺らめいた。
「 ⁉︎––––––––––––ファニーナ!」
一瞬前までの俺は消え、大鏡に映ったのは、渋い栗色の髪をした 12〜13歳くらいの小柄な少女だ。
灰色の 大きめの睛が、穏やかに微笑んでいる。
いつもと変わりない〔幼き妖精〕だった。
「何処にいるんだ⁈」
唐突に 鏡面が写すモノが変わったが、それに驚く事はない。
彼女が来てから、似た様な事は 数え切れない程あった。
シエルが朝早くに この鏡の前へ導いた時から、こうなると判っていた事だ。
それに、驚いている時間が勿体無い。
【 申し訳ありません、昨夜の内に戻る予定だったのですが。】
俺の、怒号の様な質問に、灰色の瞳が 穏やかに微笑んで そう答えた。
彼女は、いつも そうだ。
嫋やかで、優しい。
俺の非礼にも當たる言動を咎める事もしない。
「帰れないのかい?」
フェイン(彼が 俺を『セーレン』と聘ぶ様に、俺も 彼を愛称で聘んでいる)の問いに、鏡面の中の魔法使いが 小さく頷いた。
【 申し訳ありません。】
…………うん?
いつもと、何か違う……気がする。
良く判らないが、何だか 少し違う気がした。
そんな俺の小さな違和感を無視して、フェインの問いは続いている。
「暫くは帰れない、と云う事かい?」
【 そうなってしまいました。】
「予定外って事だね?」
ファニーナは、嘘は得意じゃない。
それに、俺の前では 嘘は誥かない。
談しているのは フェインにだが、嘘は誥いていない。
「大丈夫なのか?」
確かめる様に、そう訊いてみた。
【 はい。安全面については、問題ありません。】
きっぱりと言ったファニーナに、俺は どんな表情を向けていたんだろう。
尠くとも、霽れやかな表情は していなかった筈だ。
嘘を誥いてくれれば、それを理由に 帰って来いって言えるのに。
「嘘は誥いてない、ってさ」
俺の表情から この事を読み取ったフェインが、普段通りの明るさで笑った。
【 ありがとうございます、ご心配くださったのですね。】
「当然だ」
知っている筈だ、俺が どれだけ心配しているかを。
でも、彼女は 知らない筈だ。
俺が、どうして こんなに心配しているのか、を。
ファニーナは、何も判っていないから。
10歳も年下の、ただの子供の姿をしているファニーナに、俺が こんなに惹かれているなんて。
「ファニーナ、説明出来るかい?」
【 いつもの遠出のつもりだったのですが、少々 見過ごせない事がありまして………。】
フェインの質問に答えているファニーナは、いつもと変わらない。
本当に、危ない目に遭っている訳じゃないらしい。
「 ………… 」
ほっとする反面、軽い落胆にも似た感情を懐いてしまう。
本当に、我儘は言えない と悟らされてしまった。
【 暫くの間、お傍で お護りしたく惟っています。】
詳しい譚は言えない、か。
これも、いつも通りだな。
ファニーナは、秘密で出来ている様なモノだし。
2人きりなら 何としても詳細を訊き出すんだが、フェインがいたら 彼女は絶対に談さない。
今は 問い質すだけ無駄だろうし、困らせるだけだ。
兎に角、ファニーナが『護りたい』と言う相手なんだ。
悪い人じゃないんだろうな。
《 これは、益々 我儘を言える状況じゃないな。》
1日だって 離れたくはないのに。
尤も、こんな事は いい大人が口にして赦される我儘じゃない。
而も、この状況では 尚更だ。
幻滅させかねない発言になる。
《 毎日の お茶の時間すら、お預けか。》
瑣々やかならぬ愉しみだったのに……。
落胆していた俺の代わりに、フェインが質問を重ねている。
「それは〔幼き妖精〕が希んでの事なんだね?」
【 はい。】
婉然と微笑んでいる13歳の少女は、しっかりと頷いた。
「危険じゃないか?」
一縷の希みを懸けて、もう1度 そう尋ねてみた。
【 魔法属が相手と云う訳ではありませんし、問題はありません。】
「なら、僕は いいよ」
あっさりと了承するフェインとは違って、俺は 返答出来なかった。
希んでいたんだ、何かしらの嘘を誥いてくれる事を。
彼女は そんな事はしないと、判っていたのに。
「 ………… 」
不貞腐れて黙り込んだ俺を余所に、フェインは 思い出した様に息を零した。
「ああ、セルフィユには 何て言おう?」
セルフィユは、王妃-フローリェン様の 幼い弟だ。
フェインとの婚姻-直前に、家族で エスファニア王国へ越してきた。
切っ掛けは、サマリア王の後妻になっていた〔黒の魔女〕の魔の手から フローリェン様の家族を護る為だった。
これを進言し 実行したのは、勿論 ファニーナだ。
彼女は この難問を、実に簡単に解決させた。
ファニーナが 俺達に要求したのは、フローリェン様の家族の転居許可と『人眼に付かない 広い土地』だけだ。
翌日には サマリアにあるフローリェン様の生家に赴き、1時間後には 引越しを完了させてしまった。
それも『彼女の生家-毎』だ。
一瞬で エスファニアのに用意された土地へ、屋敷を移転させたのだ。
そして、母親と 歳の離れた弟は『乗った馬-毎 昊を翔ばす』と云う手法で、エスファニアへやって来た。
その時から 7歳の小さな少年は、ファニーナの魔法や 御伽噺のファンだ。
【 では、戻りましたら お希みの歌を、と。】
なに⁈
ファニーナの歌って事は、つまり 妖精の歌か。
「判った、伝えておくよ」
体感したのは、たぶん 2回だけだ。
1度目は、サマリア王国の王侯貴族を招いての 猛獣狩りの最中だった。
次は、4人の妖精が集って 唄ってくれた。
フェインの結婚式の日に、祝いの歌を 妖精達が唱和していた。
どちらも 離れた場所からで、直接 声を聴いてはいない。
だが、どちらも、浄らかなモノが押し寄せてきて すぐに幸福感で充たされた。
「 –––––––––––––………… 」
あれを、もう1度 味わえるなら、暫くは 我慢すべきか……。
【 ご用がありましたら、レディ=シエルへ。】
「こっちは大丈夫だよ。だから、ファニーナは、やりたい事を やりたい様にしておいで」
俺が 自分が納得する為の理由を用意している間に、王と〔幼き妖精〕の間で 譚が付いていた。
鏡も、ただの鏡面に戻っていた。
「 ………… 」
其処に ファニーナの姿はなく、写っているのは 不機嫌そうな俺の顔だった。
「セーレン、そんな顔をしていたら ファニーナが心配するよ?」
「 –––––––––––– 判っている」
惟っていたよりも 不貞腐れた声が出た事に、自分で自分に がっかりしてしまう。
俺は、フェインの前で嘘を誥くのが 下手だ。
長い付き合いのせいか、気が綯む。
取り繕う事も必要だと理解しているが、判っていても 出来る事と出来ない事がある。
「判っているけど 無理、かい?」
思考とリンクしたかの様な問いに、撰り一層 顰めっ面をしてしまった。
「 ………… 」
更に不機嫌そうになった鏡面の自分から、俺は 睛を乖らした。
「でも、ファニーナは いつでも無事に帰って来ただろう?」
今の俺は そんな事を考えていたんじゃない。
彼女の近辺に危難がない事は、嘘を言っていなかった時点で 確認済みだ。
勿論、彼女の事を案じていない訳じゃないが、最早 僅かな懸念だった。
「ファニーナなら、大丈夫だよ」
知らないのか? フェイン。
俺は、そんなに お綺麗なモノじゃない。
結局は、自分の事しか考えていないんだ。
「 –––––––––––– ああ……そうだな」
幼馴染みに そう答えながら、俺は、ほんの少し 自分に失望した。
そんな俺の足許で、白灰色の賢い猫は 暢びりと毛繕いをしていた。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽
___視点:〔森の妖精〕- リーゼロッテ=サフィール___
早朝の連絡を終えて、王族-専用のダイニングへ顔を出す。
勿論、エスファニアへの連絡時にしていた変幻は 解いていた。
今は、彼女の 真(長い銀髪と蒼い瞳の 20歳-前後の美女)の姿をしている。
「おはようございます」
其処には、既に、ラノイと シズがいた。
「おはようございます、アシュリー姫」
「良く眠れたか?」
「はい」
円卓に着いている2人へ 浅く頷いて、ダイニングに入る。
いつもの事だが、ダイニングの壁際には 何人もの女官達が控えている。
彼女達は、給仕の為にいるのではない。
その証拠に、給仕をする者達は 食卓の周りにいる。
彼女達は、飾りの様に、啻 其処にいるのだ。
そんな女官達に 視線を向けていた魔法使いを、ラノイが呼んだ。
にこりと笑んだ〔獅子王〕は、妃を演じる立場の魔法使いを 優しく手招く。
《 うっ。》
室内には、壁際に列ぶ女官達は 10人近くおり、他にも 給仕に従事する侍従達が 数人いる。
この場で『妃』である彼女が、夫であるラノイの招きを拒める筈がない。
頬が 微硬直したのを感じつつ、魔法使いは、ゆっくりと ラノイに歩み寄った。
勿論、内心は 脱兎の如く逃げ出したかったが。
停まりそうになる足を 何とか進める間に、ラノイは 席を竚っていた。
間近で竚ち停まった彼女を、にやりと笑んだラノイが抱き寄せた。
《 きゃああっ。》
妃を演じると云う立場である以上、抱き寄せる王の腕を振り払うなど出来ない。
これだけの人眼があれば、尚更だ。
《 演技とは云え、人前で………は、詬しいっ。》
軽く抱き締める体勢のまま、ラノイは 魔法使いに頬を寄せる。
「今宵も そなたの許へ参るぞ」
囁く様に、しかし 確実に室内の者達へも聴こえる様に、ラノイ こと〔獅子王〕が言った。
彼女が演じるのは『王が惚れ抜いている妃』だ。
つまり『王の寵愛を一身に受ける妃』の役だ。
向けられる愛を喜んでこそ妃である以上、後摩去る事すら出来ない。
《 詬しいぃ。》
たじろぐ気持ちを扼えて、俯き加減に 小さく頷く。
「っ〜〜〜〜は、はぃ」
撰り俯いた頬に、ラノイの手が伸びる。
俯いた事により 頬に掛かった白銀の髪を 指先で掬い取りながら、若き王は、にや と笑んだ。
「その様に頬を染める樣も、初々しくて愛らしい」
羞じらっているのを愉しんでいるのか、ラノイは笑み声で そう囁いた。
《 逃げ出したいぃ。》
つい今し方の報告を覆してでも、エスファニア王国へ逃げ帰りたくなった。
尤も、戒縛の仂の前では、逃げる為に動き出す事すら 止められてしまうのだが。
それでも、帰りたいと強く惟っていた。
そんな魔法使いの硬直が伝わってか、ラノイは 彼女の頬から手を離した。
「アシュリー、食事を摂れそうか?」
暗に 毒などの有無を問われ、彼女は、テーブルの上の食器を含め 綜てを見回す。
「 ………はい、大丈夫です」
「そうか」
ラノイに促され、抱き寄せられたまま 彼女は食卓へ歩き出した。
その樣は、仲睦まじい新婚夫婦-そのものだ。
壁際に控えている女官達は、美男美女のカップルに 顔を赤らめつつ 複雑な表情をしている。
《 啻の女官として お仕えするほうが、何倍も良かった。》
そんな後悔が、何度も頭を過る。
最早 どうにもならない事を考えている間に、椅子に座らされた。
ラノイは、その隣に 椅子を寄せて座る。
《 ぇ?》
王家-専用の食卓は、大きな円卓になっている。
其処に座る人数は、3人だ。
その為『対面の席』と云うモノはない。
だが、3人になったのなら 其々 一定の距離感を以て座るのが 一般的だ。
隣に座るのは、この国であっても 通例ではないだろう。
その証拠に、円卓に用意されている食器などは その距離感で配置されていた。
「ラノイ様?」
怪訝そうな顔の魔法使いに対し、ラノイは、涼しい笑みで こう言った。
「私は、片時も そなたを離したくないのだ」
壁際の女官達が、歓声の様な 悲鳴の様な小さな声をあげた。
《 この人は、っ。》
魔法使いが 内心の動揺を押し匿す事に専念する間に、給仕の者達が ラノイの食器の位置を直している。
演技も程々にしてほしい、と云う魔法使いの心境を理解していないのか、単に 判っていても却下しているだけなのか。
ラノイは、彼女の 白銀の髪を一掬いして、髪先を 己れの唇へと手繰り寄せる。
「今日も 執務室に、私の傍にいてくれるな?」
漆黒の瞳を細めている青年は、何かを含んだ様な笑みをしていた。
「右も左も判らぬ場所で 独りで過ごすのは、心細かろう?」
動揺してしまう自分を見て 愉しんでいる、と惟いながらも、魔法使いは 苦言を呈す。
「一国の王が その様な事では、ご公務に……延いては、国民の暮らしに係りましょう。わたしなら、どなたかに案内を頼んで 王宮内を散策致しますので、どうか お構いなく………… 」
どうか 放っておいてください、と云う願いを込めた言葉は、当然だが ラノイに届かない。
彼が 希んで その願いを却下しているのだから、当然だろう。
「昨日の様に、執務室にいてくれぬのか?」
夫の希みを叶えるのが 妃の勗めだろう?
そんな声が聴こえてきそうな笑顔だった。
僅かな逃げ場をも塞がれてゆく感覚に、彼女は 密かに背中を震えさせた。
《 こっ、この人は!》
こちらの反応を見て愉しんでいるのだと判っても、動揺せずにいる事は 不可能だった。
こう扱われる事に 慣れのある魔法使いではない。
惟わず、魔法使いは、テーブルの向うにいるシズを見た。
宰相-シズ=ラトウィッジは、王と同じ食卓に着き、豪奢な椅子に背を預けて 彼女を見ていた。
その睛が、淡い憐憫を泛かべている。
《 侑ける気は ゼロですか⁉︎ 》
王家の食卓に同席している事で 察している人もいるだろうが、シズは 王族の1人だ。
ラノイとは、腹違いの兄の1人に當たる人物である。
愛称で聘ぶ事も 軽口を敲く事も、異母兄の立場ならば 当然の権利であるのだ。
今は 王位継承権を放棄し、宰相として ラノイに仕えている。
そんな宰相は、王の性格を良く知った上で 止める事を放棄していた。
魔法使いを犠牲にしても、彼が仕事をするのなら それで良し、とするつもりらしい。
彼女が困っているのも 承知の上で、シズは 執務の効率アップを択んだのだ。
《 或る意味、凄い。》
魔法使いの素性を知った上で、彼女を犠牲に択んだのだ。
小国であるラッケンガルドにとって、隣国-エスファニアは 何倍もある大国だ。
クランツの言葉を借りれば『吹いて飛ばされる小国』が、ラッケンガルドだ。
そうでなくとも、相手が〔森の妖精〕と判っていれば、これは 自殺行為に近い。
強者である魔法使いが本気になれば、この国は あっと云う間に滅ぶのだ。
そう判っていても、シズは 異母弟を止めようとしない。
成る様になる、と惟っているにしても 肝の据わった対応である。
《 侑けてくださらないのね。》
他力本願を主体とする考えを持っていては この苦難を撥ね除けられない、と悟ったのか。
魔法使いは、代替案を提示する事にした。
「どうしても と仰有るのでしたら、お茶の時だけ お邪魔させて頂きます」
「アシュリー」
昨日と同じ言葉を繰り返すと、ラノイは、反論する様に 魔法使いの称を聘んだ。
優しく諭す様な声だった。
聆き入れるつもりはないと伝わっていたが、魔法使いとしても 諾く事は出来なかった。
「やはり、わたしの様な者がいては、官吏の方達も 気が散ってしまわれますし」
「アシュリー」
「どの様な理由にせよ、お仕事の効率が下がるのは 希ましくありませんから」
勿論、これ等は 建前だ。
魔法使いなりの、ラノイの傍にいる時間を 限りなく減らす為の口実だ。
そうして、ラノイの手から遁れようとしているのだ。
しかし、この策は ラノイには通用しなかった。
「私が『いてくれ』と言っているのだ」
「っ……で、ですが………… 」
「妃は 王の為にある、のだろう?」
所謂『鶴の一声』である。
こう言われてしまうと、逃げ道はないに等しい。
仮初めとは云え、対内的に、彼女は〔獅子王〕の妃なのだ。
「良いな?」
にやり と、ラノイが 小さく笑んだ。
《 狡い。》
ラノイは、魔法使いが断れないと判っていながら 確認の様な言葉で問う。
反則の様な意地の悪さだ。
「っ–––––––––––––…………はぃ」
当然ながら、彼女の答えは これ以外になかった。