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頂きもの短編集

あなたと私は違うのね

作者: ゲストa

『冗談じゃない』



ちまたで人気のこの一冊、という売り文句は確かだった

ずるり、ずるりと重い音、激しい女の息遣い。

耳に聞こえるような描写に見入っていた私の頭上で、なあ、と一声。


「っ~~!?」

「ごめん、脅かした?」


見上げるような長身と、私が男なら素直に憧れただろう筋肉質でいてしなやかな体つき。

そのくせ体重を全く感じさせない足運びで忍び寄っては、ひとの寿命を擦り減らす行為に悪気はないと信じたい。

青年は今日も、柔らかな表情で真っ直ぐに目を合わせてくる。


「お帰りなさい、ルークさん」

「ただいまノルさん。珍しいね、料理以外の本読んでるなんて」


「絶対に面白いと友人に勧められたので。何か御用でしたか?」

「いや?特にないけど……檸檬水がもらえたら嬉しいな」


使用人という立場の私に、彼は礼儀と愛嬌をもって接してくれる。

さらに言えば、この宿舎の住人は全員がほぼ礼儀正しい。


承諾して台所の隅、私専用の小さな椅子から立つと袖をまくりあげて作業にかかった。

手持無沙汰な青年は、いいかな?と断って伏せた小説を拾い上げ、開いた個所から斜め読みを始めた。









「あんたならどうする?」

「……意味の分からない質問をするな」


訝しげな声は青年よりいくらか年上の住人で、同じく飲み物を求めてきたらしい。

仲が悪くはなさそうだけれど、真面目で率直な受け答えが多い人だ。


「お帰りなさい、ムルフィンさん」

「ただいま。で、どうするとは何をだ?」


「ん?この話の主人公、はずみで恋人殺っちゃったみたい。あんたならどう始末する?」


少し間を置いてほど近い山の名を挙げた彼にも、檸檬水を差し出してみる。

冗談とは珍しい、今日は機嫌がいいのだろうか?

短いお礼と共に両手が空き、今度は小説が返された。


「フィンは土葬派か。ノルさんは?仕留めた後どこに隠すの?」


これは、目立たず騒がず過ごしたい一家政婦としてはどう返したものだろう。


「……自首しますね」


良識に従って答えてみた。

物語の中では、散々悪あがきした犯人も皆最後は捕まっていく。

面白みのない回答に、非難がましい溜息をなぜか二人分あびた。


「まあなぁ、ノルさん非力だもんね。運ぶのもバラすのも大変だよね」

「困難に立ち向かう努力もせず、投げ出すのは感心しない」


「体力の問題じゃあないですよ。それに一生懸命励むなら、犯罪以外のことにします」


からかわれているのだと信じてちらりと見上げたら、彼らはよく似た憂い顔で私を凝視していた。

気圧されて動きを止めると、ルークの顔がぱっとほころんだ。


「任せて、オレが代わりにどこかに埋めるよ!」


その台詞にその笑顔は要らない、というかさっきから物騒なことしか言ってない。

常に堅実な空気をまとうムルフィンにたしなめた方が、と目で訴える。

静かに見返してきた彼は、やがて一つ大きく頷いて。


「解った。こいつが捕まったら後は俺が」

「だってさ、ナマモノの処理に困ったらオレ達に言ってね?」


品行方正、生真面目に、大人しく、そう心掛けて働いてきたつもりだった。

でも彼らの目に映る私は、とても猟奇的らしい。

思い知らされて声も出ない間に彼らはつづきの居間へと移り、人気のない山や道路の情報を交換する声がした。

ざっと確かめた物語終盤では、主人公が逮捕され泣き崩れていた。









ここはいい職場だ、給料の面でも仕事の質もとても満足している。

住人は全員男性で揃って精悍だけれど、暴力的な面なく、ほどほどの距離感が好ましい。

彼らからも、そう嫌われているわけではないと思う。

なにせ私が罪を犯しても、共犯になってまで助けてくれるらしいのだから。


なのに時々、辞めたいという凄まじい衝動にかられることがある。

これだけ好条件の職が他にあるのか?自問自答の末、衝動を撥ね退けるものの。

……本当に恐ろしいのはむしろ辞めたいと思わなくなったとき、彼らの異質さに染まりきる未来だろう。


数日後、ルーク、ムルフィン、それぞれの宛名で届いた新品の、スコップやピッケルや防水布やロープ。

何がどうしてこうなったんだろう……それとも性質の悪い冗談なのか。

幾度もしたためた退職届、出せないそれがまた一通増えそうだと溜息をついた。








+++++++++++++++








『優しさの行方』



「……溜息が止まらないね。道具、送り返されちゃいそうだ」

「そんなことはしないだろう。他人の私物を勝手に弄る娘ではない」


小柄な娘の背後、視界に入らない廊下の影で荷物の主たちは囁き交わす。


「オレ達なんかまずいこと言った?それとなく避けられてるんだけど」

「前提が悪かったな。犯罪者扱いされて愉快な人間はいない」


「…………だって隙だらけだからさぁ。ああいう無防備で律義なコってどうも悪い虫を呼ぶんだよね」

「俺たちのような?」


髪を乱雑に掻き上げるルークは、答えないまま唇を歪めた。

厭わしげに語った娘に向ける、常の柔和な表情は今や名残もない。


「“虫”はしょせん“虫”だからな。頭も悪いし、実力行使で排除した方が手っ取り早いんだが」

「……やらないよ彼女は。聞いたろあの答え、サイテー。やる前にやられる性格、永遠に被害者側だっての」


「焦れるな鬱陶しい。危ないと思えば揉める前に潰せばいい、交友関係は把握済みだろう」

「そうだけど。じゃあ何であんなもん買ったの?」


「何が起こっても良いように備えておくのが基本だ」

「まあねぇ……でも、万一ヤっちゃったとしてもオレ達に相談なんかしてくれないだろうし」


「そうか?欠勤を気に病んで一言断りを入れてきそうだが」

「あ、それありそう。自首される前に押さえないとね」









その廊下のさらに奥で、居間の長椅子からそんな彼らを眺めていたのは、また別の男。

読唇から得た内容を纏め、黙考し、やがて向かいに座るもう一人にこぼした。


「過保護だ心配症だとは思ってたが、もう妄想の域だなあいつら。まとめて病院に行けばいいんだ」

「そうだな」


「あいつらのあさって向いた愛情のせいで……――」

「その通りだ」


「――……聞いてるか?」

「そう思う」


「…………ノルさん辞めるかもしれないぞ?」


ふと、遊戯盤をいじっていた相槌男が顔を上げ、ついでに眼鏡を直した。

呆れを隠さない向かいの男を全く悪びれずに見据え、問いかける。


「で、全治何カ月で病院送りにするんだ?」

「聞いてたのかよっ!!いや、聞いててあれか!?いや待てやっぱ聞いてねえよ、おれが行けっつったのは精神科だっ!」


「全ての質問に答えよう。どっちでもいいじゃないか」

「……この野朗……!」


「しかし、直接手を下すとノルさんに好ましくない影響があるかもしれない。ぶっちゃけると僕だけは嫌われたり怖がられたりしたくない」

「もちろん、おれが嫌われるのはいいんだよな?」


眼鏡の男が浮かべた無言の微笑は、向かい合うただでさえ険しい顔に青筋を数本加えた。

だが口を開けば、威力はその数倍だった。


「ゼンだけじゃないさ。他の全員が好感度を落とせば、相対的に僕の評価はうなぎ登りに」

「……おれが間違ってた。まずメガネ、てめえから病院送りにしてやらあぁぁ!!」









階下から響く重い打撃音、肉と肉の、たまには壁や家具の、遠慮のないぶつかり合いに耳を澄ます男は一応五分待った。


「居間を隔絶、鎮圧。玄関廊下のトラップ作動。お前はノルさんを屋外に誘導してくれ」

「や~だね」


むっつりと振り返る貫禄ある男に、やはり仏頂面を返したのもがっしりとした熟年の男だ。

潜り込んでいたベッドから出ようともしないが、血走った目とまばらな無精ひげ、目の下のクマには疲労の程が現れている。


「仕事中でもあるまいに、何で奴らの面倒にかかわらなきゃならん?寝言は寝てから言え、俺が」

「寝るなと言っているんだ。他人事じゃないだろう」


「どこがだよ、ああ?いいじゃねえか部屋の一つや二つや三つ、屋根と壁とベッドが無事なら」


寝台を軋ませ輾転てんてんとダダをこねた巨体は、やがてことさらに尻を見せ強い不服従を示した。


「……この騒ぎで遂にノルさんに愛想を尽かされるかもしれない。だが彼女は馴染みすぎた。次の家政婦がどれだけ有能でも全員が納得することはないだろう」

「だから?」


「雰囲気が悪くなる。人が居着かなくなる。家が荒れ、また自らの手でパンツ以外をも洗う時代が来るだろう」

「あ~~……何度目だっけ?」


「各々の買い食いにより家は生ごみに塗れ、すえた臭いが漂う。悪魔の入れ知恵により始まった食事当番制が復活するならば、再び全ての者が腹痛と嘔吐に倒れるだろう」

「くそっ、あの痛み忘れもしねぇ……」


「どうだ?楽しみだろう」

「……ちく、しょう…………」


「…………寝るな。楽しみかと聞いているんだ。そしてもし違うならベルトラン、今お前が成すべきことは何だ?」

「っ~~じゃあよぉ、おめえの成すべきことは何なんだコラっ!?」


「厳しい躾だ」

「…………そうかい」


歯を食いしばって起き上がり、もそもそと身支度する男へやや控えめな声が掛かった。


「交代はやぶさかでない」

「結構だね、無駄骨折りは大っっ嫌いだ」


冬眠明けの熊もどきが出て行ったあとでは。

憂鬱気な深いため息とともに、壁に偽装された扉が音もなく開き、異様な物が現れた。

簡素な家の図面を枠に、びっしりとツマミが配され、細かな字が書き込まれた精緻な仕掛けだ。

慣れた手つきでその幾つかをぱちぱち跳ね上げた男は、再び嘆息し。

滅多と見せることはない、背を丸めた姿で部屋を後にした。









「全くあいつは口ばっか達者で、年上を顎で使うたあいい度胸だちくしょうめ!!ああ面倒くせえっ、ああねみぃー、もうオッサン嫌んなっちゃう!」

「ベルさん、腕を放してもらえますか」


「離れまで送るからちょいと待ちな。つうか離れに上げてくんねえ?もう奴らの顔は見たくねえ、オッサン静かに寝てたいんだよ……!」

「仮眠場所を提供するのは構いません。ですが、宿舎中からもの凄い音と野太い悲鳴が」


「気にすんな、修理の算段はなるべく早く付ける。ありがとよ、お前さん天使だな!」

「いえ、修理はともかく中の方々は――」


「――知ったことか。オレの安眠を妨げる奴らはみぃんな滅び去ればいい」


感情の抜けおちた声、意図せずだろうがぎちりと細腕に喰い込む指先。

ベルトランは、普段は少々ものぐさながら寛容な性質だが、寝汚さに掛けては随一で睡眠が足りないと人が変わる。

今日は天使と呼ばれたノルも、一昨日はうっかり立てた物音で寝た熊を起こし、この小悪魔め!という罵りと共に頬を摘まれついでに捩じられた。

よくあることなので、もう賛美にも罵倒にも目も当てられない二面性にさえ、動じなくなりつつある家政婦だ。


「皆さんが滅び去っては私の仕事が無くなります。出来ればその前に止めたいのですが」

「お前さんを離しとけってレイスの判断だ、戻っても邪魔になるだけだぞ。自分の血反吐くらい自分で片付けるさ」


「…………血反吐……?」

「血液ってのは臭うし残るし、雑菌多くておっかないんだぞ?こっちで大人しくしてりゃいい」


常識という実は広い海の中で、自分を見失っている最中のノル。

鈍い動きに舌打ちした寝不足の熊は、細い指から家の鍵を奪い重厚な木の扉を開いた。

しかしまだ強い日差しに温められた室内にはこじんまりとした明るい色味の調度が揃い、何より漂う空気が違った。

宿舎に染み付いた雄の臭いと雰囲気とはまるで違う、やわやわとした仄甘い空気。

たった一歩で怯んだ男が唐突に立ち止まったため、とん、と背後に衝撃が走り、同じ香りが舞い上がる。


「ベルさん?」

「うん、オッサンちょっと場違いだったかもしれん……街で宿探すか」


「止めて下さい、居眠り運転こそおっかない、です」


するりとベルトランを回り込んだノルは、長椅子が影になるよう室内の窓を覆っていく。

そして客用の上掛けと枕を用意した時点で、ふと表情を曇らせた。


「ベルさん、よろしければ私のベッドを使いませんか?この椅子では丈が足りないかもしれません」

「いやいや馬鹿言うなって。この匂いだけでそわそわしてんのにとどめ刺すなって」


「臭い、ですか?自分では分かりませんが……」


そっと身を引いたノルが気まずげに肩口を嗅ぐのを見て、ベルトランは頭を掻き、溜息を吐いた。

既に何もかもが面倒でならない熊男は、すぐそこに用意された安息の地に飛びこむため最短の道を選んだ。


「あんたが宿舎を男臭いと感じるように、ここは女臭いんだ。性欲とか今は要らねえの、だから寝室には入らない。了解?」


露骨すぎる言葉選びに視線を合わせたまま固まるノル、荒んだ笑みで見下ろすベルトラン。

その角度がだんだんきつくなるのは、音もなく二人の距離が詰まるからだ。


「返事はどうしたノル?ああ、あとこの家からは出るな。出たら目が覚めるよう“条件付け”しておく。くれぐれも起こすなよ――?」


ここまで近づけば確かに二人の匂いは違うのだと、ノルにも分かった。

同じ洗剤で洗っている服なのに立ち上る熱気には馴染みのない香りと、気配。


「――簀巻きでオレの隣に転りたくなきゃ、な」

「……了解しました」


「いい子だ、頼んだぞ」


節の目立つその大きな手が、素っ気なく束ねた髪を軽く乱していくことは今までに二、三度あった。

だが、梳くようにゆっくりと頭を撫でることはなかったし、その指先の硬さを皮膚で感じることもなかった。

うなじを迷った指が肩に移り、くるりと回して扉の方へ押し出す。

低い、うなり声だった。


「……行ってくれ」


返事は行動に変えて、ノルは一目散に自室に逃げ込んだ。









彼女が心ゆくまで退職願を書き散らすうちに時間は過ぎ、疲労を隠せないレイスが離れに訪れ宿舎の解放を告げた。

玄関での対応だ、角度として眠るベルトランの姿など見えたはずもないのに、レイスは悟り澄ました笑みを見せ。

丁寧に断って入室し、ぐずる熊をオトして担いでよろめきもせず出て行った。

遠ざかる後姿を、惑う眼差しが追う。



『お疲れ様です。珈琲を一杯いかがですか?』



あちらの状況が分からない以上、この場で一息ついてもらうべきだったのだ。

それでも、昨日なら言えただろう一言が、ノルには言えなかった。

傷つけられると、思っているわけではないけれど――……。


しかし仕事は仕事、家に招きがたいのなら用意して持っていけばいいと。

おもむろに動き始められる強靭な精神力こそが、彼女をこの職場に留めている。

本作はゲストa氏より頂いたお話です。許可をもらいrikiが投稿しております。

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