今から魔のつく偉人業
先日、俺は三十歳になった。皮肉った比喩だと巷で言うところの『魔法使い』というやつである。早い話がこの歳になるまで不純異性交遊もましてや同性交遊もしなかったという事なのだが。
自分でも不思議に思うほど俺の中の性欲は低い。淡白というにも程がある。一応誤解のないよう言っておくが、ナニが立たないというわけではない。
このご時世、金さえ出せば異性だろうと同性だろうと肉体関係なんて容易く結べるものだがそうはしなかった。多少潔癖症の気があるのか、他人とそういう事をするのに何となく気が進まなかったのだ。(だからと言って身内がいいというわけではない。)
基本的に俺が他人に関心を示さないという部分が影響しているのかもしれないが、誕生日を幾分か過ぎた今現在も童貞街道まっしぐらである。
そんな俺ではあるが、外見は極めて不細工…ではなく普通だ。日本人らしい彫りの浅い顔立ちに平均身長より多少高めだが細身の体躯。髪を染めていた時期もあったが根元が黒くなる度に染め直すのが面倒になって今は地毛の黒い髪。少々乱視が入ってる為仕事中は眼鏡着用。どこにでもいるような平凡顔。
容姿的には本当に清く正しい一般人である。強いて特徴を上げるとするならば、料理や掃除など家事が得意と言える程度には出来るくらいか。しかしまあ今は珍しくもないだろ?
家族構成は母・俺・妹二人の四人家族。しかし俺と妹達は半分しか血が繋がっていない。
俺自身の父親は俺が物心つく頃にはいなかった。母曰く、五つ歳上だった幼馴染みである俺の父と母の高校卒業後に式を挙げる予定だったらしい。が、父は母の卒業式が間近に控えた時期に仕事帰りに単車事故で呆気なく他界。その知らせを受けて倒れた母が病院で検査したら腹の中に俺がいたのがわかった、という話。
その後高校を腹ボテで卒業し、数年は実家で俺の祖父母と一緒に俺を育ててくれた母はそんな経緯もあってか家族がバイクに乗ることをひどく嫌う。その為、俺もバイクの免許は持っていない。
俺が小学六年の時に妹達の実父となる男性と再婚したが、その義父も下の妹が中学に上がる前に病気で亡くなった。その時期はまあ妹達も思春期で色々あったんだが省略。そんなわけで家には男は俺だけだ。女ばかり三人もいる環境で男の俺の肩身の狭さは推して知るべし。
父親という存在がいない中、頑張って働いて家族を支えた母には素直に感謝もするし、尊敬もしている。だからこそ家事が得意になるくらい手伝いもしたし、妹達の面倒も見た。歳の離れた妹達は可愛い存在だ。思春期辺りから生意気にはなってきたがそれも許容範囲。今年上の妹は高校卒業、下の妹は高校二年に上がる。義父が亡くなってから四年程、月日が経つのは早いものだ。
「お兄ちゃん、チョコ作って!」
カレンダー上は如月。外に出るとバレンタインのディスプレイがこれでもかと主張する今日この頃、上の妹が鬼気迫る顔で俺に言ってきた。
チョコってバレンタインのチョコだろうか。だとしたら自分でも作るのがスジというものだろう。
「お兄ちゃんが作った方が美味しいし綺麗なんだもん。本命用だから気合い入ったヤツ渡したいし」
確かに普段からねだられてお菓子やダイエット食やら作らされている俺の方が上手く作れはするだろうが、手作りチョコを男の俺が作るのは如何なものか。俺だったら男の作ったチョコは欲しくない。本命用だったら尚更自分で作ったヤツの方が良いと思うんだが。
「有名店のパティシエは男の人が多いんだから気にしない!」
いや、それはプロだから。そもそも素人で兄である俺が作るっていうのが間違ってるって話。
「いーいーの!とにかくよろしくねっ」
何というか我が妹ながら強引である。本命相手にこんな調子だったら未来は明るくないかもしれない。…ご愁傷様だ。
そして製菓会社陰謀日前日、せっせとチョコレート菓子製作に励む俺がいる。上の妹の話を聞いた下の妹も友チョコ用に自分も欲しいと言ってきた為かなり大掛かりになってしまった。
クラシック風チョコケーキに胡桃入りのブラウニー、クッキー入りの一口チョコや抹茶の粉をまぶしたトリュフ、ココアクッキー等など。家中甘ったるい匂いでいっぱいだ。
…三十にもなって何やってるんだろうな、俺。断りきれなかった自分のせいではあるんだが。友人共に妹に甘い、と言われる所以である。
湯せんで溶かしたチョコレートと無塩バター、生クリームを木ベラで混ぜる。さて次の手順にいくか、という所でいきなり目の前が真っ白になった。
白い靄が晴れたと思ったら絶句するしかない光景が目の前に広がっていた。目が点になるとか驚きすぎて声も出ないとかこういうのを言うんだろう。
『ありえない』の一言に尽きる目の前の光景は俺に現実逃避を起こさせる間もなく現実として襲ってきた。
「危ないっ」
男の声と認識する間もなく襟首を掴まれて後ろに引っ張られた俺は不意の行動に呆気なく尻餅をついてしまった。左手に持ったチョコの入っているボウルは何とか中身を溢すことはなく、木ベラは右手に力一杯握りしめられている。
ゲフゲフとむせる様を合わせなくとも情けない格好だ。しかも舞い上がった土埃や何やらでボウルの中のチョコレートは残念な事になっている。いくら溢れなかったからといってもこれは食べる気がしない…。
「大丈夫ですか?魔法使い様」
……は?
茫然と見上げた先にはシスターっぽい格好をした妹達と同年代の女の子と多分さっき俺を後ろに引っ張ったと思われる革の鎧のようなものを身に付けた軽装の男。
少女の口から『魔法使い』とかいう言葉が聞こえたような気がしたが…もしやそれは俺の事か?巷で言うところの魔法使いにはなった覚えはあるが、それよりも俺の常識に当てはまらないこの状況は何。
先程まで俺が立っていた場所に目をやると魔方陣のような紋様があった。が、地面が大きく抉れ、それは大部分が欠けていた。まるで破壊力のある何かがぶつかったように。
ええっと、取り敢えずありがとうございます?
「いえ、こちらこそこのような場所に喚んでしまって申し訳ありません、異世界の魔法使い様」
シスターっぽい…シスターでいいか、少女が今にも泣きそうに謝ってくる。命の恩人にこんな事言うのもあれだが俺は君の言う『魔法使い』じゃないと思う。生まれてこの方魔法なんぞ使った覚えはないし超能力も持っていない。人違いではなかろうか。
「ありえません」
キッパリと言い切られても違うものは違う。俺が魔法使いだという根拠は何だ。
「黒い髪に瞳、それから黒衣。偉人を召喚する召喚陣から来られたので間違いありません」
偉人?いやいやいや、黒髪黒瞳は日本人の優性遺伝子だし、黒衣といってもブラックジーンズに黒のトレーナーと黒いエプロンだから。普通の格好だからこれ。
そもそも召喚陣とか異世界とかワケわからんわ。
「説明させていただきますと、あの召喚陣は異世界よりあらゆる『力』を持つ偉人を召喚する魔法陣なんです。今回使った紋様は魔法に長けた偉人を召喚する物ですので……」
そっから出てきた(らしい)俺は魔法を使う偉人、と…。
「それから『黒』はすべての色を内包する色。その色を持つものはこの世界では魔力にしろ身体能力にしろ例外なく何らかの『強大な力』を持っているのです」
あー、頭痛くなりそう。しかし俺が魔法使いかどうかは置いておいて話を進めないと状況がヤバそうだ。だってほら、話している間も爆発音やら金属音やら得体の知れない生物の馬鹿デカイ音量の雄叫びやらが聞こえてくるから。
まさにゲームや映画やアニメの世界の様な光景が繰り広げられているそこは一歩間違えば阿鼻叫喚。確かに目の前の光景を見る限り俺のいた世界ではありえない。CGならばともかく。
シスターが言っていたようにマジで異世界なのか。冗談抜きで夢なら醒めてくれ。
ビリビリと空気を震わせるような気味の悪い雄叫びを上げている得体の知れない生物はキメラっぽい何か。何種類かの生物を交ぜた感じで統一感はない。頭は猛禽類を思わせる鳥で胴体は縞模様がある事から多分虎、尻尾は蛇みたいな感じで左右に揺れるたびに周囲の木々をなぎ倒している。何て力だよ。あれを当てられたら人間なんてひとたまりもないんじゃないのか。
そしてそんな危険生物と戦っているのは甲冑を纏った騎士っぽい男と、身の丈以上の大剣を軽々と振り回す露出の高い服を着た女、デカいハンマーを持った猫耳猫尻尾の女の獣人?と、筋骨隆々な格闘家然とした男。俺を助けてくれた身軽な男は短剣を持って、いつの間にか戦いの輪の中に入っていた。
シスターを除いた五人は力を合わせて戦っているが、キメラの表面が見た目よりも硬度だか弾力だかがあって物理攻撃がききにくくいようだ。決定力に欠けているようでなかなか倒せない。小さな傷は付いているがダメージを与えるまではいっていない感じ。
素人が一目見ても解る戦い慣れてるような彼らがこんな状態なのに、何の力もない一般人の俺にどうしろと。
「攻撃魔法をお願いします!魔法攻撃ならあれにも効果があると思います」
必死な形相で言われても。そもそも本当に魔法なんて知らないしなあ。誤解を手っ取り早く解くには魔法なんか使えないという事を証明するしかなさそうなんだがどうしたものか。人の生命がかかっているから早く魔法が使えるとかいう別の人を喚び出してもらわないと。
そしてさっさと俺を元の世界に還してくれ。こんな状況、一般人には死ねと言ってるようなものだろう。
取り敢えず、使える魔法なんてないのだから俺の青春時代にハマったゲームの魔法でも言ってみるか。仮面とか最終幻想とか竜の冒険とかの。ゲーム中の魔法だったら何となく覚えてるし。使えなきゃ使えないで俺が偉人とやらじゃないっていう証明のひとつになる……といいなあ。
というわけで電撃系の単体最上級呪文やら重力系の魔法やらをいくつかチョコが付いたままの木ベラを構えて唱えてみた。間抜けとか言うな、何事も気分は大事だ。
何も起こるわけない、と思った俺の予想に反して物凄い轟音と目に痛いエフェクトと共に何かが起こった。何かがとか言ってみたが間違いなく魔法だろう、これ。ええっとマジで?
「凄い凄い、さすが異世界の魔法使い様です!」
年相応にきゃあきゃあと騒ぐシスターを余所に呆然とする俺。攻撃目標としたキメラは黒い煙を上げながら炭化。信じられない出来事に木ベラを構えたまま黒焦げの物体を見つめていると、それはキラキラとした粒子になりながら空気に消えていった。信じ難いがちょっとこれは本気でどうしたものかなあ……。
で、めでたくも(?)魔法が使える事がわかったわけだが還るにはどうしたらいいんだ?召喚された理由のキメラは倒したんだからもう用はないだろう。喚んだのはそっちなんだから責任持って還してくれるんだよな。期待を込めて滅多に見せない良ーい笑顔で問う。シスターの顔に冷や汗なんて見えないぞ。
「え、えっと……召喚陣が壊れて…しまってて」
壊れたのなら直せばいいだろう。ほら、人と話す時はちゃんと視線を合わせような?さっきのハイテンションはどこにいったんだ?
「あの、破損した部分を直してもそれはもう別物になってしまうので……えっと」
じゃあ別ので還してくれたらいいんだが。喚んだんだから還す事は出来るはずだよな。……何故後ずさるかな?君は。
「召喚した時の陣じゃないと還せないんですっ。申し訳ありません!」
残像が残るくらいに勢い良く頭を下げるシスター。マジでか。冗談とかじゃなく?本気で言ってんのか、それ。ふざけるなよ、そっちの都合で勝手に喚び出しておいて還せませんだと?勘弁してくれよ。
「こちらでの生活で不便がないように手配させていただきますからっ」
そういう問題じゃないんだ。突然の別離。あの世界で死んだのならまだ諦めもついたかもしれない。けれどそうじゃない。なんて事だ。未練ばかりが募る。怒りのやり場は彼等に向くがどうしようもないって事が現実だ。理性では理解出来ても感情が追い付かなくて目眩がする。
あーあ。妹と同じくらいの、しかも女の子に怒鳴るなんて恰好悪いな、俺。いい年した大人が何やってんだろうなあ……。
暗くなっていく視界の中で見たのは慌てるシスターや駆け寄ってくる男女。ああもうダルいし考えるのも億劫だし投げやりな気分だ。もういいや、今はこのまま眠ってしまえ。考えるのは後だ後。
それから後で聞いた話によるとこの時の俺はMPだかSPだかが無くなって気絶したのだとか。そりゃそうか、いきなり最上級呪文をいくつもブッ放したんだからな。初心者の癖に無茶苦茶過ぎる。身体がついていかなくて倒れもするわ。
そんなわけで母、妹達、友人知人諸兄。
俺はどうやらこの異世界で『魔法使い』という何ともファンタジーな偉人業に就くハメになりそうです。
別れの挨拶も出来ず、こちらから連絡も出来ませんが俺はこっちで元気にやっていこうと思います。
心配するとは思いますが俺の事は気に病む事なく、どうか健やかにお過ごし下さい。
それでは皆様、お元気で。
そうそう、妹達よ。
頼まれていたバレンタインデーのチョコは出来てた分で勘弁してくれ。