世界貢献
「俺は偉くなって、世界に貢献するよ」
「その前に、会社で出世して欲しいけどね」
夫の大言に、妻はいつも同じ言葉で応えていた。
「何だよ。俺は本気だぞ」
「それは家計に貢献するようになってから言ってね」
そう、夫の稼ぎは少ない。それでもいつも大きなことを言う。
そんな夫を妻は嫌いではない。むしろ夫のこの大きな態度は、可愛くもあり楽しみでもあった。
「政治、経済。発明、発見。科学に、医学に、文学、倫理――世界貢献が必要なことで、世の中溢れているからね」
夫は世界貢献を語る。そして放っておくと、いつまでもその夢を語る
「医学の発展による人類への貢献。起業による雇用創出。新しい物理法則の発見。発明による生活苦からの解放。世界平和も必要だよな。飢餓をすくい、虐待を止め、犯罪を減らし、子供に夢を見させ、隣人を愛して――」
それでいて具体的なことは何も語らない。何しろ具体的に何をしたらいいのか、分からないからだ。
ましてや、夫がいちいち言葉に挙げる世界貢献を、一人でできるはずがない。どうにも言葉だけなのだ。
「はいはい」
そんな夫を妻は嫌いではない。むしろそんなところが好きだった。
夫は本気なのだ。本気だけど、具体的に何をしたらいいのか分かってないだけなのだ。
悪い人ではない。だから妻はそんな夫が好きだった。
「それからだな――」
夫はまだ己の夢を語る。自分にできることが何か分からず、夢だけ語る。
「それより先に、先ず私を幸せにしてね」
いつも妻のその一言で、やっと夫は自分のできることを思い出していた。
「私は子供が沢山欲しいな」
そう、稼ぎの少ない夫にできることなど、それぐらいしかなかった。
「お爺さん。大往生だったね」
孫が葬儀でポツリと呟いた。
「そうね。いつも夢ばかり語る、おかしな人だったわ」
老妻がその声に応えた。
夫はいつも夢のようなことばかり語っていた。世界貢献の話だ。
何だか人類の問題に対する、全てのことを語っていたような気がする。
もちろん話だけだ。具体的には何もしていない。
それでも今際の際まで世界に貢献する夢を語っていた。
「ま、私は幸せにしてもらいましたからね。別に文句はないよ」
老妻は遺影に呟く。
その老妻をたくさんの子供や孫、ひ孫が取り囲んだ。
老妻が望んだ沢山の子供達。それを夫はかなえてくれた。それだけで充分だった。
「何だい。これだけかい? 集まったのは? 薄情なもんだ」
その大勢の親族を見て、それでも老妻は愚痴を一つこぼす。
「皆、忙しいもの。仕方がないよ。お婆さん」
最初に呟いた孫が、親族の意見を代弁する。
「いくら、忙しいからってね。お前」
「政治、経済。発明、発見。科学に、医学に、文学、倫理――世界貢献が必要なことで、世の中溢れているからね」
孫は祖母の肩にそっと手を添えると、
「皆飛び回って、世界に貢献してるよ」
祖父の遺影を見上げてそう続けた。