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聖女に選ばれた最新式炊飯器 ~ごはんを炊いて、世界を救います~

作者: くみの
掲載日:2026/10/28

 引っ越しを機に、少しだけ奮発して買ったものがある。


 三合炊きの炊飯器。最新式だ。白くて丸くて、細い銀色のラインが入っていて、やたらと大きな液晶までついている。買ってから、もうすぐ一年。一人暮らしのわたしには、ちょっと立派すぎる家電だ。


 その立派な炊飯器の前に、わたしは今日も立っていた。


(今日のごはん、何にしよう)


 その瞬間、足もとが、ぱあっと光った。


「え?」


 目を閉じる暇もなかった。ふわりと身体が浮く感じがして、次に気づいたときには、わたしは見知らぬ場所に立っていた。


 高い天井。石の床。床いっぱいに描かれた、光る丸い模様。まわりをぐるりと囲んでいるのは、白いローブの人たちと、鎧姿の騎士たち。


 そして、わたしの両手は、なぜか炊飯器を抱えていた。


(炊飯器だけ、一緒に来てる……)


 キッチンのカウンターごと、ではなかったらしい。ただ、見慣れた白いつやつやが、この状況でいちばんの安心材料だったので、わたしはとりあえず、ぎゅっと抱え込んだ。


「成功だ! 聖女様が、お越しになった!」


「ああ、神よ……!」


 歓声があがる。ローブの人たちが、涙ぐんで手を組んでいる。


 わたしは、固まった。


 どう見ても日本語を話しそうにない外見の人たちなのに、耳に入ってくるのは、なぜか流暢な日本語だった。


(いや、顔と言葉が合ってないんだけど)


 意味は、はっきりわかる。わかってしまうのが、いちばん不思議だった。


(え? 聖女って、わたしのこと?)


 異世界に召喚されて、聖女に間違えられる。ネット小説で、何度も読んだやつだ。ということは、このあと、隠れていた才能が目覚めて、大活躍する流れでは?


(待って待って。わたし、ただの会社員なんだけど。……でも、もしかして、ちょっとだけ、ワンチャン……)


 つい期待してしまった自分が、ちょっと恥ずかしい。


「聖女様、ようこそお越しくださいました。まずは、お力を鑑定させていただきたく存じます」


 進み出たのは、年配の神官だった。示された先には、台座に乗った大きな水晶がある。


「あの、はい。えっと、どうしたら」


「あちらの水晶の前へ。お荷物は、こちらにお預かりします」


 神官が指したのは、壁際の小さなテーブルだった。わたしは少し迷ってから、炊飯器をそっと置いて、水晶のほうへ歩いていった。


 その途端。


「――――、――――?」


 神官の声が、ただの音になった。


(え? 急に言葉がわからなくなった)


 さっきまで聞こえていた言葉が、一瞬で消えてしまった。ざわざわ、ざわざわ。外国語どころか、水の中で聞く話し声みたいに、まったく意味がつかめない。


 神官が、身振りで水晶を指している。手を置け、ということらしい。


 わたしは、おそるおそる、冷たい水晶に手のひらを当てた。


 ……何も、起きない。


 光らない。揺れない。うんともすんとも言わない。


 神官たちが、顔を見合わせている。聞き取れない言葉が、だんだん重くなっていくのだけが、わかった。


(どうしよう。言葉もわからないし、これ、まずいやつだよね)


 知らない世界で、知らない人たちに囲まれて、何を言われているかもわからない。さっきまでの期待が、すうっと冷えていく。


 そのとき。


 ぴーっ!


 部屋の隅から、聞き慣れた電子音が響いた。


 炊飯器だ。


 わたしは水晶から手を離して、駆け寄った。蓋に手をのせた瞬間、ざわめきが、言葉に戻る。


「聖なる力が、まったく感じられません」


「では、聖女ではないのか?」


「そんな。儀式は、確かに成功したはずでは」


 ああ、そうか。そうなのか。


(わたし、聖女じゃないんだ)


 ……まあ、そうだよね。わたしだもんね。


 一人でちょっと期待していたのが、本当に恥ずかしい。顔が熱い。炊飯器を抱きしめたまま、わたしはうつむいた。


(というか、触ってるときだけ言葉がわかる? なんで?)


 不思議に思いながら、炊飯器の蓋をなでていると。


 ぴかっ。


 液晶が、光った。


《みすてられたのかと おもった》


 ……へ?


 わたしは、その画面をじっと見た。


 ひらがなの文字。さっきまで何も映っていなかった画面に、ひらがなが並んでいる。わたしの炊飯器に、そんな機能はない。はず。


(炊飯器に、自我がある!?)


 混乱の中で、いくつもの点がつながっていく。召喚で一緒に来た炊飯器。触れているときだけわかる言葉。聖なる力は、わたしにはなかった。それなら。


「……もしかして、あなたが聖女?」


《かみさま そういってた》


「炊飯器が聖女なの?」


《そうだよ》


「わたしの炊飯器が!?」


 叫んだわたしを、まわりの人たちが、ぽかんと見ている。


 ……あ。そうか、この人たち、液晶の文字は読めないんだ。


「聖女様が、何か仰っている……?」


「光っているのは、お言葉なのか?」


「今、確かに『スイハンキ』と」


「スイハンキ……それが、聖女様のお名前か」


(いや、名前じゃなくて、家電なんだけど)


 とは思ったけれど、訂正のしようもなくて、わたしは口をつぐんだ。腕の中の炊飯器は、否定も肯定もせず、ぴかぴかしている。名前だと思われたことは、気にしていないらしい。


 そこへ、神官が、ためらいがちに進み出た。さっきまでの落胆した顔が、嘘のように引き締まっている。


「あの、スイハンキ様を鑑定しても?」


 わたしは、腕の中を見下ろした。


「……だって。どうする?」


《いいよ》


「あ、鑑定していいそうです」


 わたしが答えると、神官は深々と頭を下げた。


 もう一度、水晶の前へ。今度は、炊飯器を抱いたまま。


 台座に近づいた瞬間、水晶が、ふわっとやわらかな光を灯した。さっきわたしが触れたときには、ぴくりともしなかったのに。


 光はゆっくりと広がって、澄んだ金色になっていく。それはわたしではなく、腕の中の白い本体に、まっすぐ向かっていた。


「すごい力だ……!」


「なんとあたたかな……」


「これほどの聖なる力は、見たことがない」


 神官が、声を震わせている。まわりの人たちも、息をのんで水晶を見つめていた。


 ちなみに、わたしのときは無反応だった。水晶に、ちょっとだけ不公平を感じる。


(本当に聖女なんだ……)


(っていうか、聖女ってことは、女の子ってこと? 炊飯器って、男の子? 女の子? どっち?)


 大事な場面でどうでもいいことが頭に浮かぶのが、わたしの悪い癖だ。


「あの、ではあなたは?」


 神官が、わたしに向き直った。


「え? あ、わたしは……一緒に、いたので?」


「なるほど。聖女スイハンキ様の、お付きの方ということですね」


《おつきじゃないよ》


 液晶が、ぴかっと光る。


 わたしは、あわてて炊飯器から視線をそらした。


「……まあ、そんなところです」


《え ちがうよ?》


 腕の中で、ぴかぴか光る炊飯器。ごめんね、いま説明すると、ややこしくなるから。


* * *


 通されたのは、神殿に隣り合う応接室だった。


 ふかふかのソファに、磨かれた長いテーブル。湯気の立つお茶と、色とりどりの焼き菓子が並んでいる。聖女様へのおもてなしは、どこの世界でも抜かりがないらしい。


 ただし、わたしは炊飯器を膝の上に抱えたままなので、お茶を飲むのも、お菓子をつまむのも、ちょっと難しい。触れていないと、言葉がわからなくなってしまうからだ。


「どうぞ、お楽になさってください」


「あ、はい。ありがとうございます」


 楽には、なれない。


 部屋には、さきほどの年配の神官のほか、何人かの神官と、壁際に控える護衛の騎士たちがいた。その中に、一人だけ目を引く人がいる。


 背の高い、真面目そうな騎士だった。ただ、首すじから頬にかけて、黒ずんだ紫色の痕が走っている。皮膚が引きつれて、見ているだけで痛そうだった。


 神官は、わたしをちらちらと見ながら、膝の上の炊飯器に向かって、丁寧に頭を下げた。


「聖女スイハンキ様。改めて、儀式のご説明をいたします」


(わたしを見ながら、炊飯器に説明してる……)


 かなりシュールな絵面だと思う。でも、神官の顔は、いたって真剣だった。


 神官の話は、こうだった。


 このリーベルン王国は、瘴気の発生源にいちばん近い国。瘴気は人々の身体を蝕み、そこから生まれる魔物が、村や街を脅かしている。騎士たちは戦うたびに、瘴気や魔物から呪いを受けてしまう。


 打つ手がなく祈っていたところ、神託が下った。


「やがて、瘴気から世界を救う聖女が現れる、と。それで、召喚の儀式を行ったのです。聖女様は、神より使命を授かっておられますね?」


《そうだよ》


《かみさまに たのまれた》


《すいはん してって》


 わたしは、画面を見て固まった。


「えっと、あの。神様から、炊飯をしてほしいと頼まれた、そうです」


 部屋が、ざわめいた。


「スイハン……?」


「スイハンとは、一体」


「炊飯……ごはんを炊くことですね」


「ごはんを炊く……それが、神の与えたもうた使命……」


 神官は、真剣そのものの顔で、考え込んでいる。笑う人は、一人もいない。


「聖女様のお力を、確かめさせていただけませんか。古い伝承では、聖女様は、枯れた花を咲かせたと」


 神官が合図をすると、若い神官が、枯れた花の鉢をテーブルの中央に置いた。茶色くしおれた茎が、がっくりと垂れている。


 一同が、固唾をのんで炊飯器を見つめた。


 ……炊飯器は、じっとしている。


《……》


 液晶に、ぽつんと、点が三つ。


「聖女様が、祈りを捧げておられる」


「なんと静かな……」


 違う。たぶん、困ってる。


 しばらくして、液晶が、おずおずと光った。


《おはな だね》


「あ、えっと。お花だね、だそうです」


 部屋が、しんと静まる。


「……お花を、愛でておられる……」


「お優しい方だ」


(ごめんなさい。たぶん、本当にただの感想です)


 炊飯器は、さらに液晶を点滅させた。


《おはな わからない》


《できること ある》


「花はわからないけど、できることはある、って言ってます」


「聖女様にも、得手不得手が……!」


 神官たちが、真剣な顔でうなずいている。みんな、あくまで真面目なのだ。それがかえって、わたしの肩をぷるぷると震わせる。


 そのとき、炊飯器が、自分でぱかっと蓋を開けた。


「開いた!」


「お口だろうか?」


「口……なのか……?」


 内側には、空っぽの内釜と、その横に、小さな計量カップとしゃもじが収まっていた。


《おこめ でる》


「お米?」


 わたしは、しゃもじを取り出して、いったんテーブルに置いた。それから、計量カップを手に取る。


 すると、カップの中が、ぽうっと光って、真っ白なお米が、一合ぶん、さらさらと満ちていった。


「わ! すごい」


《むせんまい》


 カップを内釜の上で傾けると、ざっ、とお米が落ちる。


(これ、毎日使ってた計量カップだよね?)


「あれは、収納魔法か? 米を、どこから」


「そんな珍しい魔法を……」


 騎士たちが、ざわめいている。いや、魔法と言われても、わたしにも何がなんだか。


「三合炊いちゃう?」


《いっぱい つくろう》


 液晶が、うれしそうに、ぴこぴこ光る。


 あと二回、同じことをくり返すと、内釜の中に、三合ぶんのお米がたまった。


《おみずも でる》


 カップに、澄んだ水が、とぷんと満ちた。


「基礎魔法も、お使いに?」


「お水を、無詠唱で……」


《おみず でろって おもうと だせるよ?》


「え、わたしもできるの?」


《うん》


 半信半疑のまま、カップを両手で持つ。


(水、でろー、って思えばいいのかな)


「水、でろー」


 口に出してしまったのが運のつきだった。ぱしゃん、とカップの中に水があふれる。


「わ! すごい」


 目を丸くするわたしに、液晶がぴかっと光った。


《ふぞくひんの ちから》


「お付きの方も、基礎魔法を……!」


「魔法使いだったのか」


 わたしは、カップの水を内釜に注ぎながら、ふと、あることに気づいた。


(あれ? 炊飯器に触れてないのに、言葉がわかる)


 炊飯器は、いまテーブルの上。わたしの両手は、カップを持っているだけだ。


(……付属品も、炊飯器の一部ってこと?)


 カップを眺めながら、蓋を閉めて、ボタンを押す。ぴっ、ぴっ。


「おお、お声が!」


 神官たちの声がはずんだ。電子音を、聖女の声だと思ったらしい。いや、声ではないんだけど。


(試してみよう)


 わたしは、カップをテーブルに置いた。


「おお、声が¥×+〆6――」


 あ、聞こえなくなった。


 神官たちの言葉が、ぐにゃりと、意味のない音に変わる。


(しゃもじは?)


 さっき置いたしゃもじを、ぎゅっと握る。


「――聖女様のお力が、あの器の外にも」


 戻った。


(なるほど。付属品を持ってれば、わたしも言葉がわかるんだ)


 これは、大事な発見だった。ずっと炊飯器を抱えていなくても、いいかもしれない。


 でも、本題はここからだ。


「ねえ、時短炊飯してもいい?」


《だめ つうじょう》


「え? 通常って、一時間かかっちゃうよ?」


 神官たちを、あまり待たせるのも気がひける。


《おいしい ごはんのため》


「時短でも、おいしいよ?」


《……》


 液晶が、ぷるぷると、ためらうように見えた。


《……こんかい だけね》


「ありがとう」


 ぴーっ。


 炊飯が、はじまった。


 蓋の隙間から、細い湯気がたちのぼる。その湯気が、きらきらと金色の粒をまとって、部屋の中にひろがっていった。空気が、澄んでいく。


「浄化の力が、感じられる」


「素晴らしい……!」


 感心する神官たちを横目に、わたしは時計がわりに、液晶を眺めていた。早炊きでも、三十分はかかるはず。みなさん、もう少し待ってくださいね、と思っていたら。


 ぱかっ。


 蓋が開いて、湯気が、ふわわーんと立ちのぼった。


「え! 早くない?」


 まだ、数分しか経っていない。


《じかんまほう ある》


「すごい! さすが最新式」


《つうじょうの ほうが おいしいんだよ》


 誇らしげで、でも、ちょっとだけ不服そうに、液晶が光る。


「次は、しっかり炊こうね」


《うん》


 そのとき。


「これは……」


 壁際の騎士が、小さく声をあげた。黒ずんだ痕のある、あの人だった。


 湯気がふれた頬を、そっと指でなぞっている。


「呪いが、うすく……」


 まわりの騎士たちが、目を見張った。


「ディルク、本当か?」


「ああ。何をしても、変わらなかったのに」


 ディルクと呼ばれた騎士の首すじの痕は、たしかに、さっきより色がうすれていた。引きつれた皮膚も、少しだけやわらかくなっている。


 湯気だけで、これなら。


 わたしは、しゃもじを握りなおして、炊きたてのごはんを見下ろした。


《あつあつ めしあがれ》


 画面に、そう出た。


「……食べていい、みたいです」


 神官が差し出した器に、しゃもじでふっくらとごはんを盛る。受け取ったディルクが、緊張した面持ちで、ごはんを見つめた。


 なんとも美しい白だった。粒がひとつひとつ立って、つやつやと輝いている。うちで炊いていたときより、ずっときれいに見えるのは、気のせいだろうか。


 ディルクが、おそるおそる口に運んだ。


「…………」


 ひと口。それから、ふた口。みるみる、彼の目が見開かれる。


「うまい……。なんて、優しい甘みだ」


 あとは、止まらなかった。ディルクは一心に、ごはんを食べ続けた。「うまい」「うまい」とつぶやきながら。


 最後のひと粒まで食べ終えた頃。


 ディルクの身体が、ぱあっと、淡く光った。


「……治った?」


 彼が、自分の頬に、おそるおそる手をあてる。黒い痕が、きれいに消えていた。皮膚の引きつれも、跡形もない。


「治っている……! 呪いが、消えている!」


 部屋中が、わっと沸いた。神官が、感極まって、膝をついている。


《さいしんしき だからね》


 液晶に出た文字は、どう見ても、胸を張っていた。


「あ、えっと。最新式だから、だそうです」


「さいしん、しき……!」


 神官たちが、深くうなずく。たぶん、意味はわかっていない。


 もちろん、わたしにも、最新式だと呪いが治る理由は、わからない。


 炊飯器は、続けて、業務連絡のように、さらりと文字を出した。


《かみさま ごはんたいてって おねがいされた》


「神様に与えられた力、だそうです」


「おおー」


(さらっと言うところが、また、すごい)


 そこで、神官がはっと顔を上げた。


「これを、皆にも食べさせたい! 部屋の外へ、お持ちしても――」


《だめ さめちゃう》


「持ち出しは、ダメみたいです。冷めちゃうから」


「しかし、食べてほしい者が、大勢いるのです」


 神官の、すがるような目。


 液晶が、しばらく、ぴかぴかと迷っていた。


《しかたない》


 ふわり、と、炊飯器の内側が淡く光った。立ちのぼっていた湯気が、ぴたりと止まる。


「おお、時間魔法を、使いこなすとは」


《あつあつで めしあがれ》


「あつあつで食べてほしいそうです。冷めないように、魔法で止めてくれたみたい」


「心までお優しい……」


「これなら、瘴気も!」


 神官が、声を震わせた。


 部屋に、希望の色が、ふわりと広がっていく。


* * *


 夜になって、あてがわれた客室のベッドの上で、わたしは天井を見上げていた。


 枕もとのテーブルには、炊飯器。窓の外は、真っ暗だ。


 今日は、いろいろありすぎた。召喚されて、聖女じゃないことがわかって、聖女は炊飯器で、そのごはんで呪いが治って。ごはんは、ほんとうにおいしかった。うちの炊飯器、あんなにすごかったんだ。


(炊飯器の有能さは、見せた)


(浄化も、聖なる力も、問題なし)


(……じゃあ、わたしは?)


 ふっと、胸の奥が冷たくなった。


「どうしよう? わたし、何も役に立たない!」


 静かな部屋に、声が響く。


「聖女じゃないし、魔法も使えないし、お水を出せたのだって、カップのおかげだし。一人だけ役に立たなくて、放り出されたりして……」


《そんなことないよ》


 ぴかっと、画面が光る。


「でも、わたし」


《だいじょぶだよ》


「そもそも、騙されてる可能性は? 実は、必要なのは炊飯器だけで、わたしは……」


 一人暮らしをしていると、こういうとき、独り言が止まらなくなる。ネガティブな言葉が、ぽろぽろと、こぼれ出てくる。


「だいたい、元の世界は――仕事も途中だったし、冷蔵庫の中身も、そのままだし。もう、帰れないのかな。ずっと――」


 ぴーっ。


 ふいに響いた電子音に、わたしは我に返った。


《かえれるよ?》


 ……え?


「帰れるの?」


《かみさまと やくそく》


《せいこう したら》


《ねがいごと ひとつ かなえる》


 ぽかんと、口が開いた。


 世界を救ったら、神様が、願いをひとつ叶えてくれる。炊飯器は、そう約束されていたのだという。


「いやいやいや。それは、あなたへのご褒美でしょ! ちゃんと、自分のために使って!」


 思わず、起き上がって叫んでしまった。


 だって、がんばるのは、この子だ。わたしじゃない。その願いを、わたしが帰るために使わせるなんて、ありえない。


 液晶が、ちかちかと、考え込むように瞬いた。


《じゃあ》


《いざとなったら にげよ》


 ……にげよ?


《ごはんならある》


 画面を、じっと見つめる。


 逃げよう。ごはんならある。何それ。


「ふ」


 口の端が、勝手にゆるんだ。


「ふふ。……そうだね。ごはんならあるね」


 笑いが、ぽろっとこぼれた。


 さっきまで押しつぶされそうだった胸が、少し、軽くなっている。


(慰められたのかな)


(家電に慰められるわたし……)


 情けない、と思うはずなのに、不思議と、嫌じゃなかった。炊飯器は、ただの家電だったはずなのに。この子は、ちゃんと、わたしの不安を聞いていてくれた。


《ごはん たべる?》


 もう、夜中なのに。そう思ったけれど、お腹が、ぐう、と鳴った。


「食べちゃおっか」


《つうじょう すいはんね》


 ぴっ。


「はいはい。通常炊飯ね」


 あれだけ、おいしさにこだわる子だ。今夜は、ゆっくり炊いてもらおう。


 炊き上がるまでの一時間。部屋に、ふんわりとお米の甘い匂いが満ちていく。


 一人暮らしの夜ごはんは、いつも、一人だった。それが当たり前だったのに、今夜は、画面のぴかぴかが、すぐそばにある。


 それだけで、待つ時間が、少しも長く感じなかった。


* * *


 翌朝、わたしたちは、騎士たちとともに、瘴気の発生源へ向けて出発した。


 護衛の先頭は、ディルクだ。馬車の外で、鎧の音がかちゃかちゃと鳴っている。


 わたしの首には、革紐を通したしゃもじが、ペンダントのようにぶら下がっていた。ディルクが、出発前に用意してくれたのだ。


「こうしておけば、手を離しても、言葉は通じるのだろう?」


「はい。助かります」


 真面目な人だな、と思う。ちなみに、見た目は、しゃもじを首から下げただけの人だ。かなり、シュールだけど。


 馬車の中でも、炊飯器は、ずっとごはんを炊いていた。《すいはん たのまれたから》と、画面に出して。


「蒸気と湯気も、浄化できるし。移動しながら炊くのって、効率的かも」


 馬車が通ったあとの道は、空気が澄んでいる。


 炊き上がったら、みんなでごはんを食べた。途中の村では、村人にも分けて回った。ごはんを知らない人も、ひと口食べて、目を丸くする。


「うまい!」


「あったかいねえ」


「おかわり、あるかい?」


 そのたびに、炊飯器の画面が、ぴこぴこと光った。《おいしい って》《いってくれた》。うれしくて仕方がない、という光り方だ。


 ある村では、小さな女の子が、器を両手で抱えて、ふうふうと冷ましていた。ひと口食べて、ぱっと顔を上げる。


「おかあさん、おいしい!」


「ほんとうね。よかったねえ」


 お母さんが、女の子の頭をなでる。まわりでは、家族みんなが、輪になって、ごはんを食べていた。


 みんなが、笑っている。


 ふと気づくと、さっきまでぴかぴかしていた炊飯器の液晶が、その輪のほうを向いたまま、動かなくなっていた。


「どうしたの?」


《……なんでもない》


 ぽわ、と一度だけ光って、画面は暗くなった。


(なんでもない、って感じじゃなかったけどな)


 あとで、少し聞いてみようか。そう思っているうちに、次の村に着いて、炊飯器は、またお米の量を増やしていた。


《いっぱい たけた!》


「たくさん炊けて、うれしいんだね」


《うん!》


 その夜、馬車の中で、わたしは、ずっと気になっていたことを聞いてみた。


「ねえ、ずっとごはん炊いてて、疲れたりしないの?」


《たのしいよ!》


 間髪を入れずに、そう返ってくる。


「そっか。えらいねー」


 わたしは、白くてつやつやした本体を、頭をなでるように、ゆっくりなでた。


 ぽわっと、液晶が、あたたかく光る。ごろごろと、のどを鳴らす猫みたいな光り方だった。


(……撫でられるの、好きなんだ)


 最初は、ただの大切な家電だった。それが、いつのまにか、隣にいるのが当たり前になっている。


 この子が喜ぶと、わたしも、うれしい。


 そんなことを思っていると、馬車の外から、ディルクの声がした。


「そろそろ最前線です」


* * *


 最前線に近づくにつれ、空気が、重くなっていった。


 息を吸うたびに、胸の奥が、ずしんと沈む。空の色まで、くすんで見える。


「ここから先が、最前線の野営地です」


 ディルクの声が、いつもより硬い。


 木の柵に囲まれた野営地には、たくさんの人が、地面に横たわっていた。誰もが青白い顔で、苦しそうに息をしている。


「瘴気にやられた者たちです。手の施しようがなく」


「大変!」


 考えるより先に、足が動いていた。ちょうど炊き上がったばかりの炊飯器を抱えて、駆け寄る。蓋を開けると、湯気が、金色にきらめいた。


 しゃもじで、ごはんをよそう。


「しっかり食べてください。ゆっくりでいいですから」


 横たわる人の口もとに、ごはんを運ぶ。ひとり、またひとり。


 けれど、人は、あまりにも多かった。あっという間に、炊飯器の中は空っぽになる。


《すぐに つぎの ごはんたく》


「時短できる?」


《……しかたない》


「ありがとう!」


 炊飯器は、あっという間に、次のごはんを炊きあげた。わたしは、次々に、お椀にごはんをよそっていく。


 ほんのり甘い香りが、野営地いっぱいに広がっていった。


「……? 息が、苦しくない」


 横たわっていた兵士が、目を丸くして、胸に手を当てた。


《よかった》


 液晶の文字が、やわらかく光る。


(ほんとうに、よかった)


 ふと、気づいた。さっきまで、こわくて足がすくんでいたのに、わたしの手は、止まらずに動いている。


 そのとき、瘴気の向こうから、騒がしい声が近づいてきた。


「重傷者だ! 道をあけろ!」


 担架で運ばれてきたのは、ひどい有様の騎士だった。皮膚は黒ずみ、呼吸も、ひゅうひゅうと細い。


「……ひどい」


 これじゃ、ごはんを食べさせるのも、難しいかもしれない。


 そう思った、そのとき。


《おかゆ》


 画面が、ぱっと光った。


《おかゆ たく》


「え?」


 わたしが何か言う前に、炊飯器は、自分から動き出していた。時短で、いつもより、もっとずっと速く。


《ゆっくりは おいしいけど》


《いのち だいじ》


 ……あんなに、通常炊飯にこだわっていた子が。誰よりも、おいしさに誇りを持っているはずの子が。


 喉が、ぎゅっとなった。


(この子は、ちゃんとわかってるんだ)


 ふわふわと湯気を立てるおかゆが、できあがった。わたしは、おかゆを重傷の騎士の口もとへ、そっと運ぶ。


「ゆっくりでいいです。食べて」


 ひと口。もうひと口。荒かった呼吸が、少しずつ、静かになっていく。黒ずんだ皮膚の色が、うすれはじめた。


「……落ち着いたようです。もう、大丈夫でしょう」


 全身の力が、ぬけそうになる。


 その直後だった。


 ぴぴーー! ぴぴーー!!


 けたたましい電子音が、野営地に響き渡った。


《あぶない》


 エラー音。画面が、赤く点滅している。


 瘴気の向こうから、うごめく影が、ぞろぞろと姿を現した。


 魔物。数えきれないほどの、魔物の群れ。


(やばい、やばい、やばい!)


 足が、がくがくと震えた。逃げたい。でも、炊飯器は、まだ腕の中にある。それに、ここには、動けない人たちが、たくさんいる。


 わたしは、片手にしゃもじ、片手に炊飯器を、ぎゅっと握りしめた。


「全員、迎え撃て! 聖女様をお守りしろ!」


 ディルクの号令。ごはんで元気になった騎士たちが、剣を抜いて、魔物へ飛びかかっていく。


「ごはんをもらった恩を返せ! 一歩も通すな!」


 金属がぶつかる音。魔物の咆哮。


 それでも、網の目をすり抜けた一匹が、まっすぐ、こちらへ向かってきた。


 大きな牙。


「――っ!」


 咄嗟だった。悲鳴をあげるのでも、逃げるのでもなく、わたしは、炊飯器をかばうように胸に抱きしめて、しゃもじを、前へ突き出した。


 ぎゅっと、目をつぶる。


 ……。


 ……何も、来ない。


 そっと、目を開けた。


 魔物が、数歩ぶん離れた場所で、うなりながら後ずさりしていた。しゃもじが、ぼんやりと白く光っている。


「退魔の力か」


 ディルクが、驚いたようにつぶやいた。


《めしとる かみさま いってた》


「飯とる? 召し取る? ダジャレ?」


 こんな場面でも、ツッコミは口から出るらしい。


(神様、ダジャレ好きなの……?)


 けれど、魔物は、しゃもじの光におびえるように、じりじりと下がっている。


「しっかり、それを握っていて!」


 ディルクの叫びが、飛んできた。わたしは、うなずいて、しゃもじを両手でぎゅっと握りなおした。


 騎士たちは、魔物を、一匹ずつ退けていく。


 やがて、最後の魔物が、瘴気の奥へと逃げ去った。


 全身から、力が、どっとぬけた。


 けれど、まだ、終わりじゃない。


 わたしたちは、炊飯器を抱えて、瘴気の中心を目指した。ごはんを炊き、蒸気を放ち、浄化しては進み、また炊く。そのくり返し。


 進むたびに、浄化された場所が、少しずつ、広がっていく。空気が、澄んでいく。人々の顔にも、血の気が戻っていく。


 そして、ついに。


 いちばん濃い瘴気の、発生源の目の前に立ったとき。炊飯器の中の、いちばん新しいごはんが、炊き上がった。


 ぴーっ。


《ごはん たけたー》


 蓋が開いて、金色の湯気が、ふわああっと空へ昇っていく。湯気は光の渦になって、黒い霧を、ひとつ残らず包み込んでいった。


 やがて、霧が、すうっと消えた。


 空が、どこまでも青い。


 世界をおおっていた瘴気は、消えたのだった。


(……あれ。わたし、いつのまに、泣いてたんだろう)


 隣で、炊飯器が、ぴこぴこと光っている。


 わたしは、その白い本体を、ぎゅっと抱きしめた。


* * *


 その夜は、盛大なお祝いになった。


 野営地の広場に、いくつもテーブルを並べて、炊き上がったごはんを、みんなで食べる。騎士も、神官も、助かった兵士たちも、みんな笑っていた。


 わたしも、お椀を抱えて、ごはんをかきこむ。……ああ、おいしい。


 炊飯器は、少し離れたテーブルの上で、ぴこぴこと光っていた。みんなの笑い声を、聞いているみたいに。


 そのとき。


 夜空が、ふいに、金色に染まった。


 風が止まる。さっきまでの笑い声が、ぴたりと消える。


 夜空の真ん中が、すっと割れて、光が、ゆっくりと降りてきた。やわらかくて、あたたかくて、けれど、目を開けていられないほどの光。


 騎士も、神官も、みんな、一斉に膝をついた。


「神だ……」


「神が、降臨されたのだ……」


 わたしは、立ちつくしていた。


 光の中に、人影が浮かんでいる。大きくて、堂々としていて、けれど、不思議と、怖くはなかった。ただ、どこまでも大らかで。


(これが、神様……)


 息をするのも、忘れていた。胸にさげたしゃもじが、ほのかに、熱い。


「世界は、救われた!」


 声が、夜空いっぱいに響き渡った。あたたかくて、よく通る声だった。


「ありがとう。そなたたちのおかげで、瘴気は、ついえた」


 神様の視線が、テーブルの上の炊飯器に、向けられる。


 液晶が、ぴかっと光った。


《かみさま》


 あ。やっぱり、知り合いなんだ。


「うむ。よく、頑張ってくれた」


 神様は、にっこりと笑った。炊飯器のほうへ、ゆっくりと歩み寄る。


「瘴気を祓うものを、と願って、そなたを呼んだ。その小さき身で、これほどのことを……」


 神様の声が、ほんの少しだけ、揺れた。


《おいしい ごはん たけた》


「そうか。そうか……」


 神様は、深く、深くうなずいた。


「しゃもじの、魔を『めしとる』力は、役に立ったか?」


「やっぱり、ダジャレだったんだ……」


 わたしの、ぼそっとしたつぶやきを、神様は、ちゃんと聞いていたらしい。得意げに、胸を張っている。


 それから、居住まいを正した。


「約束通り、願いをひとつ、叶えよう」


《ねがい どうしよう》


 炊飯器の画面が、ちかちかと、迷っている。


 わたしは、テーブルのそばにしゃがみこんだ。


「なんでもいいんだよ。好きなこと、決めて」


《かえれるんだよ?》


 画面を見た瞬間、胸が、きゅっとなった。


 この子は、わたしのために、迷っていたんだ。


 あの夜、わたしが泣きそうになっていたことを、覚えていて。「帰れるの?」と聞いたことを、覚えていて。


「ううん。炊飯器が頑張ったんだから、あなたが決めていいんだよ?」


 わたしは、そっと、炊飯器の蓋をなでた。


「わたしは、大丈夫。あなたの願いを、聞かせて」


 液晶が、ゆっくりと点滅した。


《あのね》


 長い、間があった。


《にんげんに なりたい》


 ……え。


 あたりが、しんと静まる。神様が、息をのんだのが、わかった。


「どうして?」


 やっと出た声は、ひどく小さかった。


《いっしょに たべたい》


 ぱた、と、何かが胸に落ちた。


 村で、輪になってごはんを食べていた家族。じっと動かなかった、あの画面。


 見ていたんだ。ずっと。わたしたちが、笑って、ごはんを食べるのを。


 ごはんを炊く側だけじゃなくて、いっしょに、食べる側に。


「……そっか」


 それ以上は、声が出なかった。


 神様の肩が、震えている。


「……叶えよう」


 かすれた声だった。


「叶えよう! 世界を救ってくれて、ありがとう。そなたの願い、しかと受け取った!」


 神様の腕が、大きく広がった。


 まばゆい光が、テーブルを包んだ。湯気のような、やわらかな光。白い本体が、ふわり、ふわりと、とけるように形を変えていく。


 光が、おさまった。


 テーブルの上には、小さな女の子が、ちょこんと座っていた。


 十歳くらいだろうか。さらりとした白い髪に、細い銀色のひと筋。まるい頬に、大きな瞳。


 そばには、計量カップが、ころんと転がっている。わたしの胸のしゃもじも、そのまま、ほのかに光っていた。


 神様は、満足そうに目を細めて、光とともに、夜空へと帰っていった。


「……ちっちゃいね」


 つい、本音が出た。


 女の子は、ぱちぱちとまばたきをして、自分の手を見て、それから、わたしを見上げた。


「さいしんしき、だったから」


 ちょっとだけ、得意げに胸を張る。


 どういう理屈なのか、さっぱりわからない。けれど、あまりに誇らしげで、わたしは吹き出してしまった。


「そっか。そうだったね。まだ、製造から一年だったもんね」


「うん」


「もう、炊飯器じゃないねー」


 口に出すと、不思議な気持ちになった。


 一年前、少し奮発して買った、白い炊飯器。わたしの、家電。だったはずの、この子。


 わたしは、女の子と、目の高さをそろえた。


「ねえ。スイちゃんって、呼んでいい?」


 女の子は、きょとんとして、それから、ぱあっと顔を輝かせた。


「うん!」


* * *


 世界を救ったわたしたちは、救世主として、この国でも、よその国でも、わりと自由に暮らせることになった。


 翌朝、わたしは、スイちゃんと並んで、城の門の前に立っていた。


 小さなスイちゃんは、白いワンピースの裾を風にふわふわさせながら、地面を足で、とん、とん、と確かめている。


「あるくって、すごいね」


「でしょ。人間は、毎日あるくんだよ」


「あしが、つかれる」


「疲れるね。でも、気持ちいいよ」


 スイちゃんは、少し考えてから、「うん」とうなずいた。


「みのり。これから、どうする?」


 名前を、呼ばれた。画面じゃなくて、声で。


 耳で聞くわたしの名前は、なんだか、くすぐったい。


(いま、ちょっと泣きそうになった。危ない)


「そうだなあ。スイちゃんは、何がしたい?」


「すくった世界、見たい」


 スイちゃんは、まっすぐ、わたしを見た。


「ごはんをあげた村。あの子たちが、わらうところ。ほかのところも、いろんなところ。ぜんぶ、見たい」


「うん」


「ごはんをたべた人が、どんな顔するか、ちゃんと、見たい」


 あ、と思った。


 炊飯器だった頃のこの子は、ごはんを炊くところまでしか、手が届かなかった。そのあと、みんなが笑う顔は、画面の隅から、のぞいていただけ。


 これからは、いちばん近くで、見られるんだ。


「じゃあ、一緒に行こうね」


「うん!」


 スイちゃんは、背負った荷物を、とん、と揺らした。


「海も、いってみたい。こっちのお魚と、ごはんって、あうかな」


「あうと思うよ。絶対」


「山も。雪も。いっぱい、いっぱい、見たい」


 小さな足が、もう待ちきれない、というように、地面を蹴っている。


「だいじょうぶ。ごはんならある!」


 スイちゃんが、胸を張った。


 そうだった。この子は、どこへ行っても、ごはんを炊ける。計量カップから、炊きたてのごはんだって、出せるのだ。


 ……なのに。


 わたしは、スイちゃんの背中を、じっと見た。


 やけに大きなリュック。その口から、にゅっと、鍋の取っ手がのぞいている。


「ねえ、スイちゃん。その荷物、何入ってるの?」


「おなべ」


「おなべ?」


「うん」


 ……いや、カップから、炊きたてが出せるんだよね?


「お鍋で炊くの?」


 スイちゃんは、にこっと笑った。


「ゆっくり、たくと、おいしいから」


 わたしは、ふっと、肩の力がぬけた。


 そうだった。この子は、そうだった。命がかかっているときは、迷わなかったけれど、本当は、ゆっくり、おいしく、が好きなんだ。


「そっか。じゃあ、一緒に食べようね」


「うん!」


 わたしが差し出した手を、スイちゃんが、ぎゅっとにぎる。小さくて、あたたかい手だった。


 門の向こうには、どこまでも続く道。空が、高い。


 一歩先を行くスイちゃんが、ふり返って、ぶんぶんと手を振った。


「みのり、はやく!」


「はいはい」


 お米の甘い匂いが、ふわりと風にのる。


 わたしたちの旅は、ごはんの匂いとともに、はじまった。


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