第73話|成立しかける夜
夜は、音を運んでくる。
だがこの夜の音は、いつもと違った。
早すぎる。
そして――静かすぎる。
治療院の外で、雪を踏む音が止まったのは、街道の流れが完全に落ち着くより前だった。
馬の蹄は聞こえない。
荷車もない。
人の足だけだ。
一人分。
いや――二人。
ヴォロは、灯りを落としたまま、奥の壁に背を預けていた。
刃には手を伸ばさない。
今夜は、刃を持つ仕事じゃない。
扉が、叩かれた。
強くない。
だが、遠慮もない。
「……夜分、すまない」
声は落ち着いている。
だが、慣れすぎている。
術士が、ヴォロを見る。
ヴォロは、頷いた。
扉が開く。
立っていたのは、二人。
一人は若い男。
肩で息をしている。
腹を押さえ、指の隙間から血が滲んでいる。
もう一人は、付き添いだ。
外套が北式。
武器は見せていない。
だが、身体の置き方が兵だ。
「治療を頼みたい」
付き添いが言った。
声に、感情はない。
術士が前に出る。
「怪我の具合を見せて」
若い男が、布をめくる。
刃傷ではない。
刺しでもない。
肋の下、内側。
強く打たれている。
――刃傷じゃない。
突きでもない。
「倒すための当て方」だ。
柄頭にも、拳にも見える。
だが、狙いは同じだ。
声を出す前に、息を止めさせる。
術士の目が、一瞬だけ伏せられる。
だが、何も言わない。
「中に」
術士が言う。
付き添いが、一歩だけ躊躇した。
それを、ヴォロは見逃さない。
「武器は外で」
ヴォロが言った。
付き添いは、すぐに従った。
従いすぎる。
これは命令を聞く動きじゃない。
試している。
中へ。
若い男は、倒れ込むように寝台に横たえられた。
術士が、淡々と処置を始める。
血は多くない。
だが、深い。
内臓をかすめている。
治せる。
だが――全力で戻すと、すぐに動ける。
術士は、ヴォロを見る。
視線だけで、問いかける。
どこまで?
ヴォロは、答えない。




