第62話|違和感は、音から始まる
精査は、朝から始めなかった。
夜明け直後に動く者は多い。
多い時間帯は、痕跡が混ざる。
混ざった痕跡は、責任を曖昧にするが、判断も鈍らせる。
ヴォロたちは、昼の終わりを選んだ。
人の動きが一度止まり、次の流れを待つ時間だ。
治療院の裏口で、四人と一人が立つ。
「分かれて見る」
ヴォロが言った。
「戻る時間は?」
補給兵が聞く。
「日が落ちる前」
「戻れなければ?」
「戻れない理由を持って戻る」
それで十分だった。
役割は、自然に分かれた。
補給兵は地形と流通。
術士は人と治療の流れ。
剣士とグレイは境界線。
ヴォロは、動かない。
動かないのも仕事だ。
*
補給兵は、旧交易路に立っていた。
道そのものは、整っている。
轍も新しい。
石も割れていない。
見た目だけなら、理想的だ。
――だが、音が違う。
馬蹄が、揃わない。
荷の擦れる音が、短い。
止まる場所が、決まっていない。
流れが「通っている」のではない。
通らされている。
補給兵は、道脇の小さな石標を見た。
何の印もない。
だが、削られている。
意図的だ。
削る理由は一つ。
「境界」を曖昧にするため。
少し先で、商人に声をかける。
「最近、この道どうだ」
商人は一瞬、黙った。
それだけで分かる。
ここは安全だが、自由ではない。
「……通れるよ」
「ただし」
「ただし?」
「止まると、面倒だ」
それ以上は聞かなかった。
聞けば、商人が困る。
商人が困る道は、すでに半分死んでいる。
補給兵は、道の先を見る。
流れている。
だが、流れていない。
そんな道だった。
*
術士は、村の端にいた。
治療を頼まれたわけではない。
むしろ、頼まれない。
それが異常だった。
怪我人はいる。
擦り傷も、骨折も。
だが、誰も深刻になる前に姿を消す。
――治療を、受けていない。
井戸端で、年寄りと話す。
「最近、怪我が多いですね」
「多いね」
「治療は?」
年寄りは、少しだけ笑った。
「……行かない方が、楽な時もある」
術士の胃が、冷えた。
治療を拒む理由は、金じゃない。
名だ。
治療を受けた記録が、誰かの帳簿に乗る。
それを避ける怪我。
それを選ぶ人間。
生活が、帳簿に怯えている。
それは、普通じゃない。
*
剣士とグレイは、境界沿いの森に入った。
正式な境界標は、残っている。
だが、その周囲が、意図的に荒らされている。
「……ここ、昔は誰の管轄だ」
剣士が言う。
「領主」
グレイが即答する。
「今は?」
「誰でもない」
誰でもない場所は、誰かが使う。
足跡がある。
新しい。
だが、重なっていない。
単独行動。
「北の兵じゃないな」
「北なら、もっと揃える」
「地元でもない」
「地元なら、隠す」
グレイは低く言った。
「使われてる」
まだ、誰にかは分からない。
だが、使われている。
*
ヴォロは、治療院に残った。
紙を広げる。
北。
領主。
密約。
土地。
人。
流通。
線を引かない。
結ぶと、確定するからだ。
代わりに、言葉を書く。
「通過」
「黙認」
「境界」
「責任」
どこにも、責任が置かれていない。
それが、違和感だった。
夕方、全員が戻る。
順番は、補給兵、術士、剣士、グレイ。
全員、同じ顔をしている。
「……変だな」
補給兵が言う。
「通ってるのに、縛られてる」
「治療してないのに、生きてる」
術士が続ける。
「境界が、線じゃない」
剣士が言う。
「幅だ」
グレイが補う。
ヴォロは、すぐに答えなかった。
まだ、言葉にできない。
材料が足りない。
「一日じゃ、足りないな」
静かに言う。
誰も否定しなかった。
夜が来る。
街道の音が鳴る。
止まらない。
だが、その音は、
どこか借り物だった。
違和感だけが、
はっきりと残っていた。




