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第6話 線の外へ

 

 夜明け前、港の鐘は鳴らなかった。

 鳴らさない朝は、外の仕事が動く合図だ。


 倉庫裏の空地に、三人が立っていた。

 船荷ではない。荷車でもない。

 地図と、封のない紙。


 帳簿係ではない男が口を開く。

 声は低く、役所の訛りがない。


「境まで行く。越えない。見るだけだ」


 それだけ。

 名は名乗らない。


 金は布袋で渡される。

 数えるな、という結び。


 ヴォロは頷いた。

 断る理由はない。

 断れば、次は来ない。


 外は、港より静かだった。

 静かすぎて、音が嘘をつく。


 道は踏み固められている。

 だが車輪の溝が、左右で深さが違う。

 重い荷は、同じ向きにしか通っていない。


 (帰りは空だ)


 誰も言わない。

 だが、そういう道だ。


 境の手前で止まる。

 草の色が変わる。

 踏まれ方が違う。


 線は、目に見えない。

 だが、管理されている土は匂いが違う。


 ヴォロはしゃがみ、指で土を潰した。

 湿りは浅い。

 最近、掘られていない。


「……動きはない」


 言い切りではない。

 確認の報告だ。


 役所の男が一歩、近づいた。


「理由は?」


 ヴォロは答えない。

 代わりに、石を一つ拾い、転がす。


 転がりが、途中で鈍る。

 草の下に、細い縄。


「線は生きてる。だが、通ってない」


 男は満足しなかった。


「見るだけで金を払うと思うか」


 ヴォロは顔を上げた。


「なら、記録を渡す」


 紙を出す。

 港の紙だ。


 帳簿の余白を切ったもの。

 そこに、短く書く。


 〈車輪溝:往路重/復路軽〉

 〈境縄:設置新/踏破痕なし〉

 〈監視:夜間のみ/朝なし〉


 男は紙を取った。

 目が走る。

 走り終わる前に、息が変わる。


「……誰に教わった」


「港」


 それ以上は言わない。


 戻る途中、林で足音が増えた。

 増えたが、近づかない。


「止まれ」


 声は一つ。

 だが足は三。


 覆面。

 刃は短い。

 殺しではない。

 奪いだ。


 ヴォロは前に出ない。

 半歩、横。


 刃が来る。


 来る前に、投げる。


 石。


 狙いは顔ではない。


 膝。


 重心が崩れる。


 もう一人が踏み込む。

 踏み込みが浅い。


 (地面を見ていない)


 ヴォロは踏み込まず、押す。

 力ではない。角度。


 倒れる。


 最後の一人は、刃を引いた。


「……ちっ」


 逃げる。


 追わない。


 追えば、線を越える。

 役所の男が息を吐いた。


「……今のは?」


「試し」


「誰の」


「知らない。だが——」


 ヴォロは地面を見る。

 倒れた跡。

 逃げた跡。


「金を持ってる側の動きだ」


 港に戻ると、別の男が待っていた。

 徽章。

 ギルドだ。


 受付ではない。

 監査の顔。


「外で揉めたな」


 断定。


 ヴォロは紙を出す。

 さっきの記録に、追記。


 〈接触:覆面三/刃短/奪取目的〉

 〈応対:転倒一/離脱二〉

 〈越線なし〉


 監査は頷いた。


「登録は?」


「ない」


「仮でいい。——ロジスティ」


 数を見る者。

 運ばず、殴らず、狂いを見つける職だ。


 初めて聞く言葉。

 だが、港の仕事を思い返すと、

 もう前に戻れない気がした。


 数を見る職。


「条件は?」


「記録を出すこと。盛らないこと」


 それは命より重い条件だった。


「盛られたら?」


 監査は少しだけ笑った。


「その時は、前に立つな」


 夜、母に話す。

 外に出たこと。

 刃が来たこと。


 母は黙って聞いた。

 縫い針が止まる。


 それから言った。


「線を越えなかったなら、いい」


 それだけ。


 布団に入り、ヴォロは紙を畳む。

 港の紙。

 外の記録。


 同じ紙だ。

 だが、置かれる場所が違う。


 胸の奥で、重しが一つ外れる。


 (前に立つ場所は、選べる)


 その感覚が、

 少しだけ、救いだった。

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