第60話|値段より先に来るもの
夜の治療院は、音が少ない。
少ないが、静かではない。
木枠のきしみ。
火皿の灰が沈む音。
遠くの街道で、馬が足を止める気配。
補給兵が最初に顔を上げた。
「……来てる」
誰も聞き返さない。
何が、とは言わない。
その言い方は「敵が来る」ときの声じゃない。
もっと、面倒な種類のときの声だ。
剣士が剣を取るが、抜かない。
術士は灯りを落とす。
グレイは扉の方を見たまま、動かない。
「二つだな」
補給兵が続ける。
指を二本立てる。
「正面から来るのが一つ。
横から回すのが一つ」
ヴォロは頷いた。
「順番は」
「ほぼ同時。
ただし――」
補給兵は少し言葉を選んだ。
「正面は“話”。
横は“仕事”だ」
剣士が鼻で息を吐く。
「楽な方が先に来るな」
その通りだった。
扉は叩かれなかった。
ノックもしない。
廊下を歩く足音が止まり、
間を置いて声が落ちてくる。
「……いるのは分かってる」
若い男の声だった。
焦りがない。
それでいて、長居する気もない。
グレイが扉を開ける。
男は一人。
武器は見せていないが、
隠しているのが分かる立ち方だ。
「仕事だ」
男は短く言った。
「場所と対象だけ渡す。
今夜中。
即金」
剣士が一歩、前に出かける。
ヴォロが手で止めた。
「内容は」
男は肩をすくめた。
「街道脇の倉。
居座ってる連中がいる。
追い出すだけだ」
「追い出す、ね」
グレイが言う。
「死んでも?」
男は答えなかった。
答えないことが、答えだ。
「金は」
「悪くない」
「依頼主は」
男は一拍置いた。
「……聞かない方がいい」
その瞬間、空気が決まった。
これは正式な依頼じゃない。
責任の逃げ道だけが用意された仕事だ。
ヴォロが口を開く。
「それは、依頼じゃない」
男が眉をひそめる。
「は?」
「暴力の処理を、
こちらに押し付けてるだけだ」
男は苛立った。
「細けぇこと言うな。
金は出る」
「安い」
即答だった。
男が笑う。
「値段は――」
「金額の話じゃない」
ヴォロは動かず言った。
「帳簿に乗らない。
数にならない。
依頼主がいない。
終わっても次がない」
男は言い返そうとして、やめた。
一歩下がる。
「……断るってのか」
「断る」
グレイが答えた。
男は四人を見回す。
値踏みする目だ。
「後悔するぞ」
返事はない。
扉が閉まる。
足音が遠ざかる。
「早かったな」
剣士が言う。
「早い仕事ほど、後が残る」
補給兵が地図を畳む。
「噂になるぞ」
「それでいい」
ヴォロは短く返す。
その直後だった。
裏口の影が、静かに動いた。
今度は声がない。
足音も、近づいてから分かる。
術士が息を吸う。
「……こっちは、重い」
二人が現れた。
武器は見せない。
だが、視線が違う。
「話がある」
背の高い方が言う。
「条件を、揃えたい」
それだけだった。
金の話は出ない。
対象の話もない。
だが、分かる。
本命だ。
ヴォロが前に出る。
「揃えるとは」
「範囲だ」
「影響だ」
「失敗時の責任だ」
三つの言葉が落ちる。
剣士が低く言う。
「胃が冷えるな」
「冷えない仕事は信用できない」
補給兵が続ける。
「依頼主は」
「まだ出ない」
「出るときは?」
「条件が一致したら」
一致。
選別だ。
沈黙。
全員が理解する。
さっきの仕事を受けていたら、
この話は来なかった。
ヴォロが言う。
「一つ、確認する」
「どうぞ」
「さっきの噂仕事。
あれは、あなた方の用意か」
二人は曖昧に答えた。
「……参考にはした」
十分だった。
「なら、答えは同じだ。
あれは依頼じゃない」
「理由は」
「安い」
視線が一瞬動く。
「こちらは、
条件で値段を決める」
「値段が先に来る仕事は受けない」
長い沈黙。
「……理解した」
背の高い方が言う。
それで決まった。
値段は、上がる。
二人は去った。
扉が閉まる。
静寂。
「切ったな」
グレイが言う。
「切った」
「楽な仕事を」
「次は、楽じゃない」
剣士が言う。
「次は、値段が付く」
補給兵が続ける。
術士が灯りを戻す。
「治療院が汚れなくて済んだ」
「それでいい」
ヴォロは息を吐く。
外で風が鳴る。
街道の音が戻る。
切られた仕事は、戻らない。
だが切った団は、
必ず条件付きで呼ばれる。
値段は、もう一段、上がった。




