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第57話|窓口に触れるな

 夜の治療院は、音が少ない。

 正確には、音が減らされている。

 風の向き。

 雪の踏み方。

 灯りの落とし方。

 すべてが、「ここは仕事場だ」と言っている。


 グレイは、建物の裏手に立っていた。

 剣は抜かない。

 鞘から半分も出していない。

 今はまだ、刃の仕事じゃない。


 剣士は正面側。

 入口から三歩外れた位置。

 扉が開いた瞬間に、中へ踏み込まれない距離だ。


 術士は中。

 患者はいない。

 だが、治療台は片付けていない。

 「ここが治療院だ」と分かる形を、あえて残している。


 補給兵は、屋根の影。

 足音が出ない場所。

 逃走路になるであろう裏道を、すでに殺している。


 ヴォロはいない。

 今夜、ここに判断役は要らない。


 ――来る。


 それは、勘じゃない。

 数の読みだ。


 三つ。

 足音は三つ。

 だが、呼吸は四つ分ある。


 グレイは、そこで初めて鞘から剣を抜いた。

 音は立てない。

 雪の中で刃を出すときは、角度だけで音が消える。


 最初に姿を見せたのは、男だった。

 重心が低い。

 自信がある。

 夜の仕事に慣れている歩き方だ。


 二人目、三人目も同じ。

 揃っている。

 即席じゃない。


 ――古い流れの人間だ。


 治療院の窓を見上げる。

 灯りを数える。

 割る位置を測る。


 その瞬間だった。


 剣士が、前に出た。

 斬らない。

 突かない。

 ただ、間合いを殺す。


 男の一人が反射で刃を抜く。

 その刃を、剣士は受け止めない。

 滑らせる。


 体勢が崩れたところへ、グレイが入った。


 一撃。

 速い。

 深い。


 だが、致命じゃない。

 肋を割り、肺を外す位置。

 声は出る。

 だが、動けない。


 残りの二人が散る。

 だが、散れない。


 屋根から砂利が落ちた。

 補給兵が、逃げ道を潰した音だ。


「……くそ」


 誰かが言った。

 その声には、驚きよりも理解が混じっていた。


 ――ああ、これは、そういう場所か。


 三人目が、無理に前へ出た。

 力がある。

 自分が強いことを知っている。


 だから、剣士を狙った。


 グレイは、迷わなかった。


 踏み込み。

 柄で殴る。


 膝が砕ける。


 最後の一人は、走らなかった。

 剣を落とした。


「……窓口、か」


 呻くように言う。


 グレイは答えない。

 答えるのは仕事じゃない。


 剣士が言った。


「触るな」


 短い。

 だが、十分だった。


 三人は生きている。

 だが、もう戻れない。


 治療院の灯りは、消えなかった。


     *


 同じ夜。

 北の外縁。


 依頼主の屋敷では、誰も起きていなかった。

 少なくとも、起きているようには見えなかった。


 だが、書斎の奥で、一人の男が帳簿を閉じた。


 今日、報告はない。

 それが報告だ。


 街道管理の部下からも。

 北の調整役からも。

 ギルドからも。


 ――つまり、何も起きていない。


 男は、窓の外を見た。

 雪は静かだ。


「……触ったか」


 誰にともなく言う。

 返事はない。


 だが、答えは出ている。


 触った。

 そして、戻ってきていない。


 男は、帳簿に何も書かなかった。

 書く必要がない。


 その代わり、別の紙を一枚、脇へ避けた。


 そこには、まだ名前がない。

 だが、値段だけが上がっている。


     *


 夜明け前。

 治療院。


 術士が、床に落ちた血を拭いていた。

 最小限だ。


「……患者は?」


「いない」


 剣士が答える。


 グレイは、外で剣を拭いていた。

 血は少ない。

 だが、匂いは残る。


「次は来ると思うか」


 剣士が聞く。


 グレイは、少し考えた。


「……いや」


「理由は?」


「来た奴が、戻れないからだ」


 補給兵が屋根から降りる。


「噂になるな」


「なる」


 グレイは即答した。


「だが、正しい噂だ」


 そのとき、奥から足音がした。


 ヴォロだ。

 いつの間にか戻ってきている。


 中を一瞥し、血の量を見る。


「……成立してないな」


「してない」


 剣士が言う。


「それでいい」


 ヴォロは、それ以上聞かなかった。


 外で雪の音が変わる。

 遅れて届く音。


 だが今夜の遅れは、

 値段が上がる音だった。

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