第56話|昼の利益
昼の道は、静かだった。
音がないわけではない。
足音はある。荷車の軋みもある。
だが、夜にあった余計な音がない。
誰かの咳払い。
意味のない挨拶。
立ち止まる理由のない立ち止まり。
それらが、消えていた。
最初に歩いたのは、村の女だった。
名を呼ばれるほどの人間じゃない。
商人でも、役持ちでもない。
だがこの道を通らなければ、明日が重くなる。
女は、何度も足元を見た。
ぬかるみがない。
石が置かれている。
昨日まではなかった石だ。
「……誰か、踏み固めたのかね」
答える人はいない。
だが、踏み外さずに歩ける。
橋の手前で一度止まる。
古い板橋だ。
夜は怖い。
昼でも怖かった。
だが今日は、板が増えている。
釘は新しい。
目立たない補修。
褒めるほどでもない。
だが、壊れる気配がない。
女は渡った。
何事もなく。
渡りきったあと、振り返る。
誰かがいる気配はない。
見られている感じもしない。
なのに――
通れた。
女はそれ以上考えなかった。
考えないで済む、ということが
どれほど楽かを、身体が先に知ってしまったからだ。
*
ヴォロは、少し高い場所から道を見ていた。
見張りではない。
守りでもない。
「整っているか」を見る位置だ。
補給兵が低く言う。
「昼の通行、増えてるな」
「数は」
「まだ少ない。でも戻り始めてる」
術士が地面を見ながら言った。
「怪我の出方が違う。転倒が減ってる」
剣士は何も言わない。
剣を抜く必要がないからだ。
この任務に、斬る工程はない。
斬ると成立してしまう。
ヴォロは、道の先を見た。
昼の道が通るということは、
夜の道が“選ばれなくなる”ということだ。
選ばれなくなった流れは、
自然に腐る。
腐る前に、暴れる者が出る。
来るなら、今日だ。
*
来たのは、三人だった。
足取りが軽い。
躊躇がない。
夜の歩き方だ。
強い。
少なくとも、自分が強いと信じている。
先頭の男が、道に立った。
剣は抜いていない。
抜かなくても、通じると思っている。
「止まれ」
声は大きくない。
だが、通る気を折る声だ。
後ろにいた村の男が、足を止めた。
女も止まる。
数人が、迷う。
男は言った。
「この道は、危ない」
誰も答えない。
答えなくても、意味は分かる。
夜の札を買え。
昼は保証しない。
「……今さら昼を通るな」
男は続けた。
「事故が起きる」
事故。
便利な言葉だ。
グレイが、一歩前に出た。
剣は抜かない。
だが、前に出る。
男の視線が、グレイに絡む。
絡んだ瞬間、分かる。
――強い。
男は、笑った。
「外の剣か」
外。
内と外を分ける言葉。
グレイは答えない。
答える必要がない。
代わりに、視線を横に流す。
ヴォロを見る。
短い確認。
問いではない。
判断を戻す視線だ。
ヴォロは、男を見る。
数。
言葉。
残るもの。
どれも、ない。
だが――
ここで斬ると、成立する。
成立すると、昼の道は“争いの場”になる。
争いの場になった道は、使われない。
ヴォロは、首を横に振らなかった。
頷きもしない。
代わりに、低く言う。
「立たせるな」
グレイは、理解した。
斬らない。
だが、前に出させない。
*
補給兵が、足元を動かした。
目立たない。
ただ、石の位置をずらす。
男が一歩踏み出す。
踏み出した瞬間、足場が沈む。
深くない。
だが、踏み込みが殺される。
術士が、村人の側に立つ。
小さく、術を張る。
光らない。
守っていると分からない。
剣士が、男の横に滑り込む。
剣はまだ抜かない。
「通るな」
男が言う。
「通っている」
剣士が返す。
事実だけを置く。
男の後ろの二人が動こうとする。
だが、道が狭い。
昼の道は、広くない。
広くしないことで、夜の利を消している。
男は、舌打ちした。
「……外の連中が、何をした」
ヴォロが答えた。
「何もしてない」
嘘ではない。
「昼を通れるようにしただけだ」
男の目が、歪む。
「それが支配だ」
「違う」
ヴォロは静かに言う。
「支配は、選べない」
女が、一歩進んだ。
守られていることを、知らないまま。
通れるから、通る。
それだけだ。
男は、それを見た。
自分の言葉が、
もう効いていないことを。
男は、剣に手をかけた。
その瞬間、
剣士が抜いた。
速くない。
だが、正確。
男の剣を弾く。
弾かれた剣が、地面に落ちる。
音は大きい。
だが、誰も叫ばない。
グレイが、男の前に立つ。
剣は抜かない。
抜かなくても、終わっている。
男は、歯を食いしばった。
「……覚えておけ」
覚える、という言葉は
次の暴力を意味する。
ヴォロは、男を見た。
「覚えるなら、これを覚えろ」
男が睨む。
「ここで何も起きなかった」
ヴォロは言った。
「起きなかったことは、帳簿に載らない」
男は、剣を拾わなかった。
拾えなかった。
後ろの二人が、引く。
強い者ほど、引き際を知っている。
三人は、夜の方へ消えた。
*
道は、再び動き出した。
誰も何も失っていない。
誰も救われた顔をしていない。
ただ、通れた。
女は、振り返らずに歩いた。
もう、後ろを見る必要がない。
*
補給兵が息を吐く。
「……燃えなかったな」
「燃やさせなかった」
ヴォロが言う。
術士が言う。
「次は、もっと露骨になる」
「なるな」
剣士が言う。
グレイは、剣に手を置いたまま、
何も言わなかった。
問いは、もう要らない。
ヴォロは、道を見下ろした。
昼の道に、利益が置かれた。
それは、正義じゃない。
だが、生きる理由になる。
「……次は、治療院だな」
グレイが言った。
ヴォロは頷いた。
「場所を出した以上、来る」
強硬者は、折れた。
だが、消えていない。
消えない火種は、
必ず別の形で燃える。
今回は、成立させなかった。
次も、そうできるとは限らない。
だが――
値段は、また上がった。
安くはならない。
そして、安くならない団は
必ず、試される。
雪の音が、遠くで変わった。
遅れて届く音。
今度の遅れは、
警告だった。




