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第43話|断れない依頼

依頼は、表から来ない。

表から来た依頼は、断れる形になっている。


治療院の灯りを落とした夜から三日。

雪は同じように積もり、同じように崩れた。

同じなのに、空気だけが違った。

人が「来ない」ことが、続きすぎると

その不自然さが、次の手になる。


術士は朝、火皿の灰を捨てた。

捨てる場所を変えた。

治療院の裏ではなく、さらに先――小川の折れ目に流す。

灰の位置は、灯りの位置だ。

灯りの位置は、人の位置になる。


補給兵は、建物の周囲を一周した。

足跡は消さない。

足跡を消すと、消した人間がいると分かる。

代わりに、足跡の「種類」を増やす。

重い足。

軽い足。

引きずる足。

来た人間が一人だと分からないように。

来た人間が四人だとも分からないように。


剣士は入口から三歩下がった位置を変えない。

その位置が、最初に殺さない位置だと分かっている。

最初に殺さない位置は、最後に殺さない位置にもなる。


グレイは、外に出る時間が増えた。

見張りではない。

見張りという役割を名乗った瞬間、攻撃理由が出来る。

だから、散歩のように歩く。

散歩のように歩いて、戻ってくる。


ヴォロは、紙を出さない。

紙は、記録のために持つものではない。

紙は、「書ける」と知られた時点で刃になる。


その朝。

扉は叩かれた。

叩き方が軽い。

軽い叩き方は、慣れている叩き方だ。

慣れているのに、遠慮している。


術士が動いた。

速くない。

だが迷いがない。

扉を少しだけ開ける。

隙間は拳一つ分。

顔が見えない幅。


「……治療か」


外の声は若い。

若い声は、まだ壊れやすい。


術士は答えない。

答えない代わりに、布を差し出す。

白い布。

清潔であることだけを示す布。


隙間から手が伸びた。

手は震えていた。

震えの種類が二つ混じっている。

寒さと、痛み。


「中へ」


術士は言わない。

言えば「受け入れ」になる。

代わりに、扉をもう一指分だけ開ける。

入れる。

だが入れたとは言えない。


男が滑り込んできた。

若い。

肩が落ちている。

右脚を引きずっている。

左手は腹を押さえている。


血の匂いが薄い。

薄い血の匂いは危険だ。

外に出ている血より、内に溜まっている血の方が、人を静かに殺す。


剣士が男の背後に立つ。

立つ位置は、抑える位置ではない。

逃げ道を作る位置だ。

逃げ道を作るのは、敵のためではない。

こちらが「閉じ込めた」と言われないためだ。


グレイは入口の外に残った。

残ることで、入った人数を曖昧にする。

それに――剣は、外で抜いた方がいいこともある。


補給兵が床板の上に、あえて音を立てて立った。

患者が来た時に音が立つのは自然だ。

自然な音を増やすのは、現実を薄める。


術士は男を寝台に倒させず、椅子に座らせた。

椅子は逃げられる。

寝台は逃げにくい。

逃げにくい状態は、拘束に見える。


「見せて」


術士の声は短い。

頼みではない。

命令でもない。

手順だ。


男が服の裾を持ち上げた。

腹に巻かれた布が赤い。

赤が古い。

古い赤は、止まった血ではない。

乾いた血だ。


「……追われてる」


男が言った。

言い方が雑だ。

雑な言い方は、説明する余裕がない証拠だ。


「誰に」


術士が問う。

聞きすぎない。

だが聞かないと、治療が罠になる。


男は唇を噛んだ。


「……知らない。

 顔は見てない。

 でも――“ここ”だって言った」


ここ。

その一語で、空気が固まる。

補給兵が視線を床板から上げる。

剣士の指が、鞘の口を押さえる。

抜かないための動作だ。


ヴォロは影から出た。

出る位置は、男の正面ではない。

正面に出ると、主導に見える。


「誰に、ここだと教わった」


男がヴォロを見る。

視線が迷う。

迷う視線は、嘘をつけない視線だ。


「……治療院の、話をしてくれた人がいた。

 “灯りが落ちる夜のあと、灰が川に流れる”って。

 それで――」


それは、内部情報だ。

そして内部情報は、内部に刃を生む。


術士は表情を変えない。

変えると、自分がその灰を捨てたと認めることになる。

だから、手だけを動かす。

布をほどく。

傷口の位置を見る。

横腹。

浅くない。

だが致命の線は避けている。


「刃だな」


術士が言う。

撃ち抜く傷ではない。

切り裂く傷だ。


男は頷く。


「……止めてくれ。

 金は、ない。

 でも、代わりに……これを渡せる」


男が懐から何かを出した。

紙ではない。

札でもない。

小さな金属片。

刻印がある。

港の刻印ではない。

北の裏で回る、荷の印だ。


補給兵がそれを見て、息を止めた。

止めた息は、恐怖ではない。

計算の息だ。


「それ、どこで」


男が答える前に、ヴォロが言った。


「言うな」


短い。

だが命令ではない。

盤面の調整だ。

言わせれば、男は「関係者」になる。

関係者になった患者は、治療した瞬間にこちらも関係者になる。


術士は男の傷を押さえ、針を出した。

縫合は静かだ。

静かだが、時間がかかる。

時間がかかる治療は、足音を呼ぶ。


ヴォロは補給兵を見た。

視線でだけ指示する。


補給兵は頷かない。

頷くと、意図が成立する。

代わりに、布袋を取った。

中身を床に落とす。

乾いた豆。

豆は踏むと鳴る。

鳴り方で、足音の数が分かる。

入口付近に豆を散らした。

誰が来ても、音で分かる。

分かったとしても、「見張っていた」とは言えない。

豆を落としただけだ。


剣士が小さく呟く。


「……ここまで来たってことは、

 もう“断る形”じゃないな」


ヴォロは答えない。

その通りだからだ。

治療院に来た患者が、ただの患者であるうちは、断れる。

だが患者が、こちらの灰の捨て方を知っている。

その時点で、患者は患者ではなくなる。

情報の端になる。

そして情報の端は、引きちぎられる。


外で豆が鳴った。

一粒。

二粒。

踏み方が軽い。

軽いのに迷いがない。

――来た。


グレイが外から言った。

声を張らない。

だが届く。


「二人だ。

 制圧じゃねえ。

 ……“使い”だ」


使い。

使いは、言葉で刃を出す。


扉が叩かれる。

叩き方は軽い。

だがさっきの患者の軽さとは違う。

軽いのに、拒否を想定していない軽さ。


術士は手を止めない。

止めると、治療が「交渉」になる。


ヴォロが扉へ向かう。

歩幅は一定。

急がない。

急ぐと、罪を持っているように見える。


扉を開ける。

開けすぎない。

隙間は拳二つ分。


外にいたのは、女と男。

どちらも武装していない。

だが武装していないのが武装だ。


女が言った。


「治療院を探している人がいる」


探している。

探している、と言う時点で、見つけている。


ヴォロは答えない。

男が続ける。


「病人ではない。

 ……依頼主だ」


依頼主。

その単語は、治療院の文脈にはない。

だからこの二人は患者ではない。

使いだ。


女が一枚の紙を差し出した。

白い紙。

ギルド印はない。

だが紙質がいい。

紙質がいい私的依頼は、危険だ。


「場所を教えるだけでいい。

 会うのは夜」


夜。

夜は逃げ道が減る。

逃げ道が減る場を指定するのは、逃げを罪にするためだ。


ヴォロは紙を受け取らない。

受け取れば、受諾の形が出来る。


「依頼主の名は」


ヴォロが問う。

名を聞くのは、条件を取るためだ。

条件を取らなければ、撤退基準が奪われる。


使いの男が答える。


「名は出ない。

 だが――“整えたい”と言っている」


整える。

その言葉は、監査が使った言葉と同じだ。

同じ言葉は、同じ刃を呼ぶ。


女が付け足す。


「北とギルド、両方に顔が利く。

 ……拒否すれば、次は“保護対象外”では済まない」


脅しではない。

脅しとして成立していない言葉だ。

成立していないから、逆に本物だ。


ヴォロの喉が冷える。

恐怖ではない。

盤面が固まる冷えだ。

会えば、管理される。

会わなければ、潰される。


使いは紙を隙間に滑らせようとした。

扉の内側に紙を落とす形を作るためだ。

紙が落ちれば、拾った瞬間に触ったことになる。


ヴォロは扉を閉めた。

紙は挟まれ、外に落ちた。

落ちた紙は、こちらのものではない。


女が一瞬だけ目を細めた。

怒りではない。

評価だ。


「……賢いね」


賢い、は褒めではない。

賢い、は「面倒」だという意味だ。


二人は去った。

去り際が綺麗すぎる。

綺麗に去る者は、戻ってくる。


扉が閉まる。

室内に戻ると、術士は縫い終えていた。

血は止まっている。

だが男の顔色は悪い。


「……助かった」


男が言う。

術士は返さない。

返せば、関係が成立する。


補給兵が男の手元の金属片を見つめている。

剣士がその視線を追い、低く言った。


「それ、荷の印だよな」


補給兵は頷かない。

頷けば、確定になる。


代わりに、ヴォロが言う。


「……ここを嗅ぎつけたのは、患者じゃない。

 患者を使った誰かだ」


男が息を飲む。

その反応で、確信が一つ増える。


ヴォロは男に向けて、短く言った。


「出ていけ」


冷たくない。

だが温かくもない。


「ここに居ると、お前は死ぬ」


男が口を開く。

何か言い訳を言う前に、グレイが言った。


「今すぐだ。

 歩けるか」


男が頷く。


補給兵が毛布を投げた。

投げ方が雑だ。

雑なのは、優しさを見せないためだ。


術士が薬草の包みを置いた。

置き方が淡々としている。

淡々としているのは、施しに見えないためだ。


剣士が扉を開ける。

開けすぎない。


男は出ていく。

背中が小さい。

小さい背中は、狙われる背中だ。

だからグレイが外へ出て、男の影になる。

影になるのに、並ばない。

並ぶと、護衛になる。

護衛になると、仕事になる。

仕事になると、殺される。


二人は距離を空けて、夜の白に溶けた。


戻ってきたグレイは、扉を閉める前に言った。


「……追尾が一ついた。

 俺のじゃねえ。

 あの患者のだ」


ヴォロは、短く息を吐いた。


「断れない依頼、来たな」


剣士が言った。


「行くのか」


ヴォロは答えない。

答えると、ここで決めたことになる。

ここで決めたことは、港の都合が混ざる。


補給兵が床の豆を拾いながら言う。


「行かなくても、来る。

 来たら――ここが割れる」


術士は火皿の灰を見つめたまま、低く言った。


「……私はここを、失いたくない」


その一言は、団の言葉だった。

初めて、場を「自分のもの」と言った。


ヴォロは、ようやく紙を出した。

茶色い紙。

罫線なし。

自分のための紙。

だが、まだ書かない。

書くのは、最後だ。


「今夜は会う」


そう言ってから、ヴォロは付け足した。


「会い方は、こちらが決める」


決める、という言葉は危険だ。

だが今は、危険を引き受けないと、全員が消える。


剣士が立ち上がる。

鞘の口を押さえたまま。


「撤退基準は」


ヴォロは短く言った。


「交渉が罪になる盤面を、先に壊す。

 刃を先に出させない」


術士が目を上げる。


「どうやって」


ヴォロは、火皿の灰を指した。


「灯りを点ける」


補給兵が眉を動かす。

それは、誘いだ。

誘いは、罠になる。


ヴォロは続けた。


「点けて、消す。

 点けたことが罪にならない形で消す。

 “治療院が開業している”という噂だけを、今夜だけ作る」


噂は人を呼ぶ。

人が来れば、相手は“手”を出しやすくなる。

手を出せば、こちらは“制圧ではない制圧”を逆に作れる。

配置の奪い合いだ。


グレイが、壁にもたれたまま言った。


「……相手は誰だ」


ヴォロは答えない。

答えれば、名が成立する。

名が成立すれば、管理が始まる。


代わりに言う。


「相手が名を出さないなら、

 こちらも名を出さない」


術士が火皿に炭を置き直す。

灯りが、少しだけ戻る。

戻しすぎない。

だが、外から見れば――“誰かが居る”。


北の夜は音が少ない。

だから、灯りが音になる。


灯りが鳴った。

その灯りの鳴り方で、

今夜、誰が踏み込むかが決まる。


ヴォロは紙を畳み、懐へ戻した。

書かれていない紙は軽い。

だが軽い紙ほど、次の夜に重くなる。


そして、その重さを選べるのは――

今夜だけだった。


雪が鳴った。

遅れて届く音。

だが今夜は、遅れが致命に変わる前に動く。


四人と一人は、まだ名を持たない。

名を持たないまま、盤面を壊しに行く。

断れない依頼を、断れないまま。

こちらの形に、折り直すために。

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