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第32話|前に立ち続ける剣

 北の仕事は、終わり方が早い。

 戦闘が短いわけではない。

 殺しが少ないわけでもない。

 「次に繋がらない形で終わる」から、早く感じるだけだ。



 グレイは雪原の端に立ち、剣を拭いていた。

 血は乾ききっていない。

 乾く前に拭く癖は、誰に教わったものでもない。



 乾いた血は、刃を鈍らせる。

 鈍った刃は、余計な力を呼ぶ。

 ――力は、要らない。



 今回の仕事は三人。

 斥候一、荷担二。

 護衛線の外で揉めていた連中だ。



 交渉はなかった。

 交渉があると、判断が要る。

 判断が要ると、責任が生まれる。

 だから北は、交渉を嫌う。



 最初に前へ出たのは、いつも通り、グレイだった。

 考える前に足が出る。

 考えるより早く、刃が通る。



 首。

 鎖骨。

 最後は、逃げようとした背中。



 終わった。

 あまりに早く。

 あまりに、いつも通りに。



 周囲の空気が戻る前に、連絡役が姿を見せた。

 若い。

 だが顔を覚える必要はない。

 北の顔は、いつも途中で変わる。



「……問題なしだな」



 確認ですらない。

 結果が見えている問いだ。



「荷は」

「通ってる」

「死体は」

「置いてきた」



 連絡役は頷いた。

 帳簿を出さない。

 書かないという判断は、最初から決まっている。



「次も頼む」



 そう言って、座標だけを渡す。

 地図ではない。

 言葉でもない。

 “場所”だけ。

 それで十分だと分かっている言い方だった。



 グレイは頷かなかった。

 否定もしなかった。

 ただ剣を拭き、鞘に戻した。



 ――静かすぎる。



 帰路の雪が、やけに軽い。

 踏み抜くはずの場所で、沈まない。



 (……整えられてる)



 北の仕事は、常に荒れている。

 荒れていない現場は、誰かが先に手を入れている。

 その誰かが、自分である可能性に、

 グレイは一拍、遅れて気づいた。



 宿に戻ると、声をかけられた。



「早かったな」



 顔を上げると、補給線の調整役が立っている。

 この男も、名前は覚えない。



「結果が早いからな」



 そう答えると、男は満足そうに笑った。



「助かる。

 お前がいると、話が短くて済む」



 短くて済む。

 それは、褒め言葉だ。

 だが同時に、

 “理由を聞かなくていい”という意味でもある。



「……あの三人」



 グレイは、剣帯を外しながら言った。



「危険指定、されてたか?」



 男の笑みが、一瞬だけ止まった。

 止まったが、崩れはしない。



「……北では、

 危険は“なる”もんだ」



 答えになっていない。

 だが、北ではそれが答えだ。



 グレイは、それ以上聞かなかった。

 聞いた瞬間、

 自分が「線を越える」のが分かっていたからだ。



 部屋に戻る。

 狭い。

 だが一人で剣を置くには、十分な広さだ。



 鞘を外し、刃を点検する。

 欠けはない。

 歪みもない。

 ――完璧だ。

 完璧すぎる。



 完璧な剣は、

 折れる前に捨てられる。



 グレイは壁に背を預け、目を閉じた。

 脳裏に浮かぶのは、

 いつも同じ位置。



 刃と刃の間。

 次に血が出る場所。

 そこに、必ず立っていた影。



 前に出ない。

 だが、前を見ている。

 判断を止める声。

 撤退を“逃げ”にしない言葉。



 ――ヴォロ。



 名前を思い出した瞬間、

 胸の奥で、何かが軋んだ。



 あの場に、あいつがいなかったら。

 今日の三人も、

 もっと早く、

 もっと綺麗に、

 もっと「正しく」死んでいた。



 正しさで、終わらせる。

 それが北の仕事だ。



 だが――

 それを続けた先に、

 自分が残る場所はない。



 翌日、呼び出しがあった。

 同じ調整役。

 同じ座標。

 ただ一つ違うのは、

 場所が「谷」だったこと。



 谷は、配置を誤ると終わる。

 そして、終わり方を選べない。



「次は――

 少し、きついぞ」



 調整役は、そう言った。

 忠告ではない。

 確認でもない。

 値踏みだ。



 グレイは剣を持ち、立ち上がった。



「一人でいいのか」



 初めて、そう聞いた。



 男は、わずかに首を傾ける。



「……他に要るか?」



 要らない。

 そう答えれば、この先も生きられる。

 要る。

 そう言えば、ここで終わる。



 グレイは、少しだけ考えた。

 考えたこと自体が、

 もう答えだった。



「……一人じゃ、足りねえな」



 男は、何も言わなかった。

 だがその沈黙は、

 拒否ではなく、保留だった。



 その日の夜。

 グレイは荷をまとめた。

 逃げるためではない。

 戻れなくなると、分かっていたからだ。



 谷に向かう前、

 一つだけ、座標が追加された。

 見覚えのある場所。

 雪の音が、変わる場所。



 (……やっぱり、そうなるか)



 北は賢い。

 だから必ず、

 一番危ない配置を選ぶ。



 前に立ちすぎる剣と、

 判断が多すぎる集団。

 ぶつければ、

 どちらかが折れる。

 あるいは、

 両方が消える。



 グレイは剣を背に負い、歩き出した。

 前に立つためではない。

 止まるためでもない。

 ――確かめるためだ。

 自分が、

 まだ「戻れる剣」なのかを。



 雪が鳴った。

 遅れて届く音。

 だが今回は、

 遅れていなかった。



 グレイは、足を止めた。

 そこに――

 すでに、誰かが立っている気配があった。



 前に出ない影。

 だが、前を見ている影。



 配置は、

 もう一度、組み直されようとしていた。

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