第23話|値札が揃うまで
北の仕事は、終わらない。
終わらせない仕事が、北では一番金になる。
雪はまだ浅かった。
だが浅い雪ほど、音を残す。踏み跡がはっきり残り、誰がどこを通ったかを、後から来た者に教えてしまう。
ヴォロは街道脇で立ち止まり、膝を折った。
雪面に顔を近づけ、息を止める。
――重い。
踏み跡の沈みが均一すぎる。
荷車の重さではない。
人間の体重だ。しかも一人分ではない。
「……二刻前。四人。戻ってない」
独り言のように言うと、少し後ろでグレイが歩みを止めた。
剣の柄に手は掛けない。ただ、肩の向きが変わる。
「戻ってないってことは」
「様子見だ。まだ来ない」
グレイは短く息を吐いた。
前に立つ男の呼吸だ。
吸って、吐いて、すぐ動ける位置で止まる。
二人は並ばない。
だが距離は一定だった。
この距離が崩れない限り、襲撃は成立しない。
――それが、ここ数刻で証明されていた。
*
この十日で、任務は四つ。
いずれも北方街道の補給線。
どれも似ている。
襲撃はある。
だが、荷は通る。
死者は出ない。
襲撃者は必ず引く。
引き際が、妙に揃っている。
最初の二件は偶然だと思われた。
三件目で、商人が眉をひそめた。
四件目で、依頼文言が変わった。
――護衛。
その文字が消えた。
代わりに書かれたのは、
――通過保証。
言い換えだ。
だが、意味は違う。
護衛は守る仕事だ。
通過保証は、通す仕事だ。
通すために、何をしないか。
通すために、どこまでやらないか。
そこまで含めて、値が付く。
*
「また、通したな」
北の宿屋。
暖炉の火は小さく、酒は薄い。
宿の主人が、笑わずに言った。
「通しただけだ」
グレイが答える。
剣士らしくない返答だ。
主人は鼻で息を吐いた。
「殺さねえ剣は、北じゃ嫌われる」
ヴォロは酒に口を付けず、卓の木目を見ていた。
「……殺さないから、通る」
主人は一瞬、言葉に詰まった。
詰まるということは、反論が思いつかないということだ。
「それがな……」
主人は声を落とす。
「それが続くと、困る奴が出る」
ヴォロは視線を上げた。
「困る?」
「襲って、失敗して、でも死なない。仕事は成立しない。だが、死体も出ない」
主人は肩をすくめる。
「上が怒る。怒るが、理由を言えない。
理由を言えない怒りは……刃になる」
*
翌日の任務も、同じだった。
襲撃は三方向。
だが、包囲は完成しない。
グレイが前に出る。
出すぎる。
だが、その一歩が、襲撃者の判断を狂わせる。
ヴォロは剣を抜かない。
代わりに、位置をずらす。
退路を一つだけ残す。
その退路に、わずかな雪の盛り上がりを作る。
足を取られるほどではない。
だが、走れない。
「……ちっ」
舌打ち。
それが聞こえた瞬間、襲撃者は引いた。
追わない。
越線しない。
結果、荷は通る。
*
支部では、報告が淡々と処理された。
被害最小。
撤退基準遵守。
通過成功。
評価欄は空白。
空白は、まだ決めていないという意味だ。
受付の女が、ヴォロにだけ視線を向けた。
「……名前、出てます」
小声だった。
「どこで」
「紙じゃないところ」
紙でない評価は、危険だ。
ヴォロは頷いた。
*
同じ頃。
街道から半日の森の中。
火を焚かない集まりがあった。
人数は五。
武装はまちまち。
「また失敗だ」
一人が言う。
「殺せとは言われてない」
別の一人が返す。
「だが、通すなとも言われてない」
沈黙。
「……じゃあ、どうしろって言う」
最年長の男が口を開いた。
「値が合ってないんだ」
「値?」
「通す仕事に、金が付いてる。
殺す仕事に、金が付いてない」
誰かが舌打ちした。
「じゃあ……」
言い淀む。
「じゃあ、誰が決める」
最年長は言った。
「決めるのは、上だ」
「上が決める前に、こっちが動いたら?」
静かに首が振られた。
「それは……勝手な刃だ」
勝手な刃は、使い捨てだ。
*
その夜。
ヴォロは倉庫の寝床で、紙を広げていた。
茶色い紙。
自分のための紙。
〈任務:連続成功〉
〈死者:なし〉
〈評価:未確定〉
〈危険:静かな集約〉
書いて、止まる。
紙の外で、靴音が一つ通り過ぎた。
止まらない足音。
通り過ぎる足音。
グレイが低く言う。
「……来てるな」
「まだだ」
ヴォロは答える。
「判断が揃ってない」
グレイは笑わなかった。
「揃ったら?」
ヴォロは紙を畳んだ。
「揃ったら……」
一拍。
「本気で消しに来る」
グレイはゆっくり息を吸った。
「ようやくか」
その声に、恐れはなかった。
倉庫の外で、雪が落ちる音がした。
昨日より重い音。
値札は、もう揃っている。
まだ貼られていないだけだ。
貼られた瞬間、
この仕事は“整える”仕事ではなくなる。
ヴォロは目を閉じ、息を細くする。
次は――
通すためではない。
生き残るための戦闘になる。
北の夜は、静かにそう告げていた。




