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第20話|線が折れる場所

 北方街道の雪は、踏まれる前から音を持っていた。


 乾いた粉雪ではない。湿りを含んだ、重い雪だ。

 重い雪は、足を取る。足を取る雪は、戻りを遅らせる。


 ヴォロは街道の脇に立ち、地面を見ていた。

 目線は低い。だが視野は狭くない。

 雪の割れ方。

 踏み固められた部分と、意図的に避けられた部分。

 そこに混じる、わずかな擦れ。


 ――いる。


 口には出さない。

 口に出すと、判断が先に立つ。

 判断が先に立つと、現場は割れる。


 今回の二次任務は「単独不可」。

 だが、正式な班ではなかった。


 同行者は二名。

 どちらもE級上がりで、北の外縁経験がある。


 一人は槍使い。

 前に出る癖がある。


 もう一人は短剣。

 後ろを見るが、決断が遅い。


 どちらも悪くない。


 ただ――並び方が違う。



「……何か見えるか」

 槍使いが聞いてきた。

 声は軽い。

 軽い声は、まだ余裕がある証拠だ。



「まだ触ってない線がある」

 ヴォロはそう答えた。

 断定しない。

 断定すると、次に問われるのは理由だ。



「前も似たような感じだったろ」

 短剣が言う。

 雪を踏みながら、視線だけを前に投げている。

 視線が前だけにある人間は、退路を軽く見る。



「前は“散発”だった」

 ヴォロは言葉を選ぶ。

「今回は……整ってる」



 整っている、という言葉に、槍使いが鼻で笑った。



「整ってるなら、尚更押せる。

 向こうも様子見だ。

 こっちが引けば、また付け上がる」



 間違ってはいない。

 だが、その論理は“討伐”の論理だ。

 ヴォロは一歩、位置をずらした。

 自分が前に立たない位置。


 だが、声は届く位置。



「撤退基準を越えてない」



「越えてからじゃ遅いだろ」



「越えた瞬間に、線が折れる」



 槍使いは歩みを止めた。

 短剣も足を止める。

 三人の影が、雪の上で交差する。


 ここで折れる。

 線ではなく、人の判断が。



「……お前、いつもそうだな」

 槍使いが言った。

 責める声ではない。

 だが、納得もしていない声。



「正しいことは言う。

 だが、腹を括る前に引く」



 ヴォロは否定しない。

 否定は感情を生む。

 感情は判断を濁らせる。



 その瞬間だった。

 風が変わる。

 雪が、ほんの一拍遅れて落ちる。



「――来る」

 ヴォロの声は低かった。

 だが届いた。



 左。

 低い位置。

 刃は短い。


 槍使いが反射で前に出る。

 出るのが早すぎた。



「待て――」

 言い終わる前に、影が跳ねた。

 刃は狙っていない。

 致命ではない。

 だが、膝を削るには十分だった。



 槍使いが倒れない。

 倒れないが、踏み込めない。


 短剣が動く。

 遅い。


 判断が一拍遅れた。



 ヴォロは剣を抜かない。

 代わりに、位置を取る。

 影と影の間。

 刃が通った後の、逃げ道。



「引け」

 声は強くない。

 だが、響く。



 襲撃者は一瞬、迷った。

 迷った瞬間に、撤退が決まる。


 雪が乱れる。

 影が消える。



 残ったのは、膝を押さえる槍使いと、

 息を荒げる短剣。



「……ちくしょう」

 槍使いが吐き捨てた。

 怒りではない。

 悔しさだ。



「追うな」

 ヴォロは言った。

 追えば、線を越える。



「追わねぇよ……この足でどうやって追う」

 血が滲む。

 致命ではない。

 だが、北では“戻れない怪我”だ。



 帰路は重かった。

 雪よりも、空気が。



 短剣がぽつりと言った。



「……お前、最初から分かってたな」



「可能性はあった」



「止められたか?」



 ヴォロは答えない。

 止めるには、前に立つ必要がある。

 前に立てば、今回の条件を越える。



「……正しいよ」

 短剣は続けた。



「正しい。

 でも――一緒にやる気にはならない」



 その言葉は、刃より深かった。



 支部に戻ると、報告は淡々と処理された。


 被害最小。

 襲撃未成立。

 撤退基準遵守。


 紙の上では、完璧だ。



 だが評価欄には、短い朱が入った。


 〈統率に課題〉

 〈現場理解に難あり〉

 〈単独行動向き〉



 褒め言葉はない。

 褒めないのは、次に使うからだ。



 倉庫の寝床で、ヴォロは茶色い紙を出した。

 書く。

 〈判断:正〉

 〈結果:孤立〉

 〈不足:前に立つ者〉



 紙を畳み、板で挟む。

 位置を半歩ずらして横になる。



 正しさは、人を守らない。

 だが、正しさがなければ、人は集まらない。



 北のどこかにいる。

 前に立ちすぎる剣。

 折れずに生きている剣。



 ヴォロは目を閉じた。


 次は――


 線を折らせないために、

 自分が折れないために。


 剣が要る。

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