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第13話|初めての班

 ギルドの朝は、港と匂いが違う。

 潮は薄い。代わりに、乾いた油と紙と、石壁の冷えがある。息を吐くと、白くなるほどではないが、喉の奥が少し締まる。ここは濡れない。濡れない場所は強い。強い場所では、弱い者の失敗が“記録”になる。



 ヴォロは支部の入口で靴底を一度だけ擦った。港の土を落とすためではない。足音の癖を消すためだ。癖は追える。追えるものは、後ろから刺される。



 掲示板の前は、すでに人が固まっていた。紙が並ぶ。端が揃い、朱の印が均一で、釘の位置まで揃っている。整いすぎたものは、誰かの都合で整えられている。



 受付の女が、今日は奥の机ではなく、掲示板の横に立っていた。目が速い。目の速さは、見つける速さではない。見ないで済ませる速さだ。



「ヴォロ。こっち」



 呼び方に、余計な温度はない。だが、呼ぶということ自体が、ここでは線になる。港では呼ばれない方が生きやすい。ギルドでは呼ばれない方が“仕事が無い”ことになる。



 ヴォロは返事を短くした。



「はい」



 受付の女は紙束を二枚、指先で弾くように揃えた。折らない。汚さない。触れた跡を残さない。昨日教わった通りだ。



「E級。外縁の見回り。責任者付き。――あなたは同行。受ける?」



 受ける、という言葉の裏にあるのは、断る権利があるという建前だ。建前がある場所は、断った者に“理由”を求める。理由は弱点になる。



 ヴォロは頷いた。浅く。



「受ける」



「分かった。責任者は、あの人」



 受付の女が顎で示す。廊下の向こうから、革靴の音が近づいてきた。音が硬い。迷いがない。体重の乗り方に、誰かを背負う癖がある。



 出てきたのは、監査でも訓練係でもない。腕章の色が違う。支部の“担当”――現場をつなぐ役だ。顔は若くない。だが老けてもいない。目が疲れている。疲れた目は、余計な夢を見ない。



「Eの外縁。俺が責任者だ。名前はレド」



 名乗りは短い。港の男に似ている。だが決定的に違うのは、名が“記録に載る”という前提で喋っていることだ。



 レドはヴォロを見た。見る時間が短い。だが、見落としてはいない。手の硬さ、目の動き、呼吸の浅さ。そこまで見て、すぐ次へ移る。



「班を組む。三人に増やす。お前で四人だ。――外縁は港の延長じゃない。勝手に動くな。分かったか」



「分かった」



「返事は短い。よし」



 レドが歩き出す。ヴォロは半歩、横に付く。正面に付くと、視界の中心に入る。中心は狙われる。横は情報が拾える。



 訓練場の脇を抜け、支部の裏手にある門へ向かう。石壁が途切れ、外の風が入る。風は冷たい。港の風とは違う。港の風は塩で喉をざらつかせるが、外の風は喉の奥を“無音”にする。無音は、音を拾いにくくする。拾いにくい音ほど、刃に繋がる。



 門の前に、すでに二人が待っていた。



 一人は若いファイター。肩に斧。靴が新品に近い。背筋が立っている。自分の背中を見せたい歩き方だ。



 もう一人はメイジ。杖を持っているが、握りが浅い。手のひらが白い。戦場より、教本を先に握ってきた手だ。だが目は尖っている。尖った目は、言葉で勝ちたい。



 ファイターがレドを見るなり言った。



「遅い。外縁なんだろ? さっさと片づけようぜ」



 メイジが鼻で笑う。



「片づける、ね。魔物が出たら、君の斧だけじゃ足りない。火で焼けば終わる」



 言葉が硬くなる音がした。港の道で聞いた音と同じだ。硬くなった言葉は拾えない。拾えない言葉は、拳になる。拳は荷を落とす。荷が落ちれば責任が生まれる。責任は弱い方へ落ちる。



 レドは止まらない。止まって二人を見比べることをしない。止まると、揉め事が“出来事”になる。



「外縁の見回りだ。戦う任務じゃない。――それと」



 レドの声が少しだけ低くなる。



「ここはギルドだ。勝手に決めるな」



 ファイターが舌打ちしかけた。メイジが肩をすくめかけた。言い返しの形が生まれる瞬間。ヴォロは、その瞬間に“位置”を変えた。



 半歩、前。真正面ではない。レドと二人の線を遮る位置ではない。斜め。視線の線上を、わずかに外す。



 自分を中心にしない位置だ。



 それでも、空気は少しだけ遅れる。遅れた一瞬で、人は呼吸を整える。



 レドが続ける。



「班だ。隊列を決める。前はファイター。左右は俺と――メイジ。後ろにヴォロ」



 ファイターが言いかける。



「後ろ? あいつ――」



 レドは切らない。切ると角が立つ。角は夜に来る。代わりに、事実だけを置いた。



「後ろが崩れると、全員が崩れる。後ろを見る奴が要る」



 メイジが笑う。



「後ろを見るなら、私でも――」



 レドは顔を動かさず言う。



「お前は前を見ろ。詠唱が遅れると、全員が焼ける。前を見る仕事はお前だ」



 役割を置く。役割を置くと、言葉が“自分の勝ち”から“自分の責任”に変わる。責任は、人を黙らせる。



 ヴォロは何も言わなかった。言えば紙が汚れる。今日は紙が付いてくる日だ。汚れた紙は、後で自分を刺す。



 門が開く。外へ出る。石畳が土へ変わる。土はまだ固い。だが車輪の溝が浅い。最近、重い荷は通っていない。――外縁の流れが落ちている。



 レドが言う。



「歩幅を揃えろ。音を揃えろ。揃えれば、乱れが分かる」



 ファイターは歩幅が大きい。メイジは小さい。揃えようとすると、互いに不満が出る。そこに言葉が乗れば揉める。



 ヴォロは後ろから“揃え方”を変えた。



 歩幅ではなく、足の着地の“拍”を揃える。大きい者は長く、小さい者は短く。だが着地の間隔だけを合わせる。港の荷車の車輪の音と同じだ。速さではなく、間を合わせる。そうすれば、別の身体でも一つの流れになる。



 ファイターの足音が一瞬乱れた。だが次の一拍で合った。メイジの足音も合った。合った瞬間、人は「自分が合わせた」と錯覚する。錯覚は便利だ。自分が合わせたと思った者は、次も勝手に合わせる。



 外縁に近づくにつれ、草の色が変わった。踏まれ方が変わる。匂いが薄くなる。薄い匂いは、危険だ。匂いが薄いと、血の匂いが目立つ。



 ファイターが前で言った。



「何もいねえな。帰ろうぜ」



 メイジが鼻で笑う。



「だから言ったろ。私の火なんて必要ない」



 言葉が軽い。軽い言葉は、次に重くなる。ヴォロは前の二人を見ず、地面を見る。



 草の先が一箇所だけ、同じ方向に寝ている。風の向きとは逆だ。誰かが通った。重い者ではない。軽い。だが急いでいる。足の裏で草を押した形がある。押した形は“逃げ”の形だ。



 レドが足を止めないまま、声だけを落とす。



「何か見えたか」



 質問ではない。確認だ。確認は答えなければならない。答えなければ、責任者は困る。困った責任者は、部下を守れない。



 ヴォロは短く言った。



「通った跡。軽い。急いでる」



 ファイターが振り返る。



「誰かいるってことか?」



 メイジが目を細める。



「魔物? 盗賊?」



 ヴォロは言い切らない。言い切ると、外れた時に責任になる。責任は弱い方へ落ちる。



「逃げの形。追われた可能性」



 レドは一拍だけ呼吸を変えた。それで十分だった。責任者が“見えた”と理解した合図だ。



「隊列変える。メイジ、前へ出るな。ファイター、三歩前。俺が左。ヴォロ、右後ろ」



 配置が変わる。配置が変わると、揉める者は揉める。だがレドは理由を説明しない。説明は議論を呼ぶ。議論は時間を食う。外縁で時間は刃だ。



 ファイターが不満そうに言いかけた。



「なんで――」



 その瞬間、ヴォロは“そこ”へ立った。



 ファイターが言いかける言葉の出口と、メイジが言い返す言葉の入口の間。真正面ではない。斜め。視線の線上を外しながら、二人の“言葉の線”だけを横切る位置。



 言葉がぶつかると、二人は相手を見る。相手を見ると、背中が空く。背中が空くと、外縁は刺す。



 だから、相手を見せない。



 ファイターはヴォロを見るしかなくなる。メイジもヴォロを見るしかなくなる。だがヴォロは二人を見返さない。地面を見る。地面を見ている者に、言葉は刺しにくい。刺すと“子どもを虐めた”形になる。形はギルドで嫌われる。



 レドが言った。



「理由は帰ってからだ。今は歩け」



 その言葉で、ファイターは口を閉じた。メイジも閉じた。閉じた口は、息を拾う。拾った息は、音を聞く余裕になる。



 次の瞬間、前方の草が揺れた。



 小さい揺れ。風ではない。風なら広がる。これは一点だ。一点の揺れは、意志だ。



 ファイターが斧を握り直す。メイジが杖を持ち上げる。どちらも早い。早い動きは良い。だが早い動きは“派手”だ。派手は、次の派手を呼ぶ。



 ヴォロは派手を作らない。代わりに、遮蔽物を作る。



 右手で小石を拾う。投げない。足元へ落とす。乾いた音。音が一つ増えると、相手は数える。数えると、踏み込みが遅れる。遅れた一瞬で、位置が取れる。



 草の間から出てきたのは、魔物ではなかった。



 人。薄い布。汚れ。息が乱れている。だが刃は持っていない。持っていないのに逃げている。追われている。



 その背後――さらに揺れ。



 今度は重い。草が押し倒される。足音が二つ。軽くない。訓練された足だ。訓練された足音は、鳴らさないはずなのに鳴る。鳴るということは、急いでいる。急いでいるということは、計画が崩れている。



 崩れた計画は、危険だ。崩れた計画は、刃を短くする。



 追ってきた二人は覆面。刃が短い。奪いではない。口封じに近い。だが、ここはギルドの任務中だ。ギルドの旗が付いている。旗が付いている場で刃を出すのは、相手も覚悟が要る。



 だから、覚悟の前に“割に合わない”を置く。



 ヴォロは声を出さない。声を出すと、恐怖が紙に残る。紙に残った恐怖は、次の夜に奪いに変わる。



 代わりに、ファイターの視線を誘導する。



 ヴォロは半歩だけ、右にずれる。刃の線から外れるためではない。ファイターの斧が当たってはいけない位置から、相手の刃の線へ“導く”ためだ。



 ファイターは自然に前へ出る。出たくなる距離に、ヴォロが置いたからだ。置いた距離は、相手の踏み込みを浅くする。浅い踏み込みは、体重が乗らない。体重が乗らない刃は、止まる。



 覆面の一人が刃を振る。ファイターの肩を狙う線だ。



 ヴォロはその線の“手前”に立たない。線の“横”に立つ。刃が通り過ぎた瞬間に、肘の外側へ手を当てる。叩かない。押す。力ではない。角度。



 刃は届かない。届かない刃は、余計に怖い。怖い刃は、次を雑にする。



 メイジが詠唱を始めかける。火の言葉の入口が喉にかかる。



 ヴォロは振り返らず、手だけを上げた。止める合図。レドの合図と同じ形。形が同じだと、メイジは止まる。止まった詠唱は失敗に見える。失敗に見えると、プライドが痛む。だがプライドより大事なのは、燃やしてはいけないものがあるという事実だ。



 追われていた人間が、ギルドの依頼対象かもしれない。燃やしたら、依頼が壊れる。壊れた依頼は、紙の上で“責任”になる。



 レドが低く言った。



「殺すな。逃げ道を作れ。――相手に引く理由を与えろ」



 責任者の声が落ちると、班は“同じもの”になる。港ではそれが起きない。港は誰も責任を背負わない。だから揃わない。揃わないから殴り合う。



 覆面の二人は、ギルドの班が揃ったのを見た。揃った班は面倒だ。面倒な相手は、割に合わない。



 ヴォロは最後に一つだけ、環境を使う。



 足元の石を、今度は投げる。狙いは膝でも顔でもない。草の奥の硬い地面。乾いた音を強く鳴らす場所。音が鳴ると、そこに“誰かが来る”と思わせられる。来ると思えば、刃は引く。



 覆面が舌打ちをした。舌打ちは撤退の音だ。撤退する者は、最初に見せたくない背中を見せる。



 ファイターが追おうとした。



 ヴォロは追わない。



 追えば、線を越える。線を越えた者は、責任を背負う。責任は紙になる。紙になった責任は、夜に刺し返される。



 レドが言った。



「追うな。ここは外縁だ。境じゃない。だが境の代わりに、紙がある」



 紙。――ギルドの言葉だ。



 追われていた男は、膝をついた。息が荒い。荒い息は、嘘をつけない。嘘をつけない息は、真実の匂いを運ぶ。



「……助かった、のか?」



 ファイターが胸を張る。



「当然だろ。ギルドだぞ」



 メイジが鼻を鳴らす。



「私が火を出していれば、もっと――」



 レドはそこで初めて、二人を見る。



「火を出したら、こいつも燃えた。燃えた依頼は、紙で戻ってくる。紙で戻ったら、お前らが死ぬ」



 死ぬ、という言葉が出ると、二人の口が閉じた。ギルドは、優しい顔をして、死を紙にする場所だ。



 ヴォロは男の服を見る。縫い目。汚れ方。靴底。港の土ではない。だが町の土でもない。どこか、外から流れてきた者の汚れだ。――依頼票の外側にいる人間。



 レドが男に言った。



「名を言え。言えないなら、事情だけ言え」



 男は唇を噛んだ。噛む癖は、話したくない癖だ。だが追われている者は、話さないと次に追われる。



「……荷を見た。数が合わない荷を……」



 ヴォロの胸の奥で、港の匂いが戻った。帳簿の嘘。数の狂い。紙の線。――同じだ。場所が違うだけで、やっていることは同じ。



 レドは頷いた。



「分かった。今日はここまで。支部に戻る。――ヴォロ」



 名を呼ばれる。名を呼ばれるのは、線が伸びる合図だ。



「お前が見たことを、帰ったら紙にしろ。盛るな。削るな。――置け」



 置く。紙を置く。港では紙は奪われる。ギルドでは紙は守りにもなる。守りにもなるが、狙いにもなる。



 ヴォロは返事を短くした。



「はい」



 帰り道、ファイターがぶつぶつ言う。



「追えば仕留められたのに」



 メイジが言う。



「私の火なら――」



 レドは答えない。答えると議論が生まれる。議論は次の任務で足を止める。



 ヴォロは後ろで、二人の言葉を“位置”で消す。言葉が刺さる線上に立たない。代わりに、二人が互いを見ない距離を保つ。互いを見ない距離は、互いに殴れない距離だ。



 支部が見えてくる。石壁の冷え。乾いた油。紙の匂い。戻れる場所があるという事実だけで、人は少し油断する。油断は刃だ。



 ヴォロは油断しない。だが、今日一つだけ覚えた。

 戦闘をしなくても、戦いは終わる。  殴らなくても、刃は引く。  命令しなくても、人は動く。

 それは力ではない。  配置だ。



 支部の机で、ヴォロは茶色い紙を一枚抜いた。罫線はない。自分のための紙だ。

 短く書く。

 〈任務:外縁見回り(E)/責任者:レド〉

 〈接触:追跡二/対象一/刃短(口封じ寄)〉

 〈対応:追わず/火止/撤退誘導(音)〉

 〈班:衝突未発生(配置)〉

 書き終えた瞬間、胸が少しだけ楽になる。

 楽になるのが怖い。  だが楽にならなければ、次は息が乱れる。  息が乱れれば、刃が入る。



 ヴォロは紙を板で挟み、折らずにしまった。



 初めての班。  初めての“外の依頼”。

 そして初めて、ギルドの形で、港の生き方を通した日だった。

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