10話 恋人請負人
あれから五日が経った。
わたしの「模範囚作戦」は期待通りの成果をあげている。
毎朝グラン様に一日の予定を報告し、夜には行動の詳細を伝える。
そんな私の態度を、グラン様は好ましそうにしていた。どんなささいな話でも楽しそうに聞いてくれる。
「ニナの方からこうしてお話してくれるのは、とても嬉しいです」
「よかったです」
こちらから報告すれば、グラン様はわたしを見張ってる手間が省けるもんね。
「どうぞ」
グラン様が、わたしのカップに二杯目のお茶を注いでくれる。
「ありがとうございます」
初日は淡々としていて、まさに取調って感じだったけど。
二日目からは飲み物片手なので、普通におしゃべりしている気分だ。
「月が明るいですね」
テラスのベンチから、空を見上げる。
背後の居間にはもう誰もいない。みんな寝室に引き上げてしまって、いるのはわたしたち二人だけ。
小さな庭に咲いた花々が、ほのかに甘い香りを振りまいている。
(……楽しい)
義務に等しい時間なのに、そうとは思えないくらい心安らぐ。
(わたし、誰かに自分の話をゆっくり聞いてもらえることが、嬉しいんだ)
前世でも今世でも、その機会はなかなか与えられなかった。
(――それを与えてくれるのが、自分の天敵って。皮肉だなあ)
わたしは苦いものを感じたけど、今は忘れることにした。お茶を一口飲む。
「グラン様の方は、お仕事いかがですか?」
自分の報告することは尽きたので、グラン様自身のことを聞いてみる。
「昨日は山でなく、池の方に行かれていたから、任務を始められたんですよね」
悪魔の分際で出過ぎた質問かな、と心配したけど、グラン様は気軽に答えてくれた。
「ええ。下調べに行ってきたんですが……少々、困ってまして」
グラン様が言いよどむ。
どんな任務なんだろ? わたしが聞いてもいいのかな。
「ニナは、私の行った池にまつわる噂は存知ですか?」
そわそわしてたら、グラン様の方から話してくれた。
「知っていますよ。恋人同士で行くと別れるって言われてるんですよね」
そのジンクスを象徴するかのように、池の形は亀裂の入ったハート形。できすぎていて笑ってしまう。
「あそこには、悪魔が棲みついているようで」
「えっ!?」
思わず大きな声を出してしまい、口を押さえる。
「それは、その……魔物の方の悪魔、ですよね?」
「そうです。町の方々にお話を聞いてみたところ、悪魔のしわざと思われる現象を確認できました。十中八九、いるでしょう」
この世界に生まれて十六年経つけど、魔物の上位種である悪魔はまだ見たことがない。
こんなに身近にいたなんて、びっくりだ。
「あそこに行くと妙なことが起こるので、魔物がいるかもって噂は立ってたんです。でも、まさか悪魔だったなんて」
「大きな害がないと、なかなか悪魔の仕業とは思いませんよね」
本教会への報告は、先代の司祭様がしていたらしい。
けど、緊急性は高くない。だからずっと詳しい調査をされることもなく、放置されていたそうだ。
「パン屋のおばあちゃんから聞いたことがあるんですけど。
あの池、昔は破局の池どころか、恋愛成就の池だったらしいんですよね」
「私も聞きました。昔は亀裂のないハート形だったそうで」
「悪魔が退治されれば、もとの恋愛成就の池に戻るんでしょうか 」
わたしはグラン様に笑いかけた。
「よろしくお願いします、悪魔退治。グラン様ならあっという間ですよね」
「お任せを――といいたいところなんですが」
グラン様は困った顔をする。
「相手が出てこないことには、退治ができないんですよね」
「困っていることって、それですか?」
「一人で池に行ってみたんです。気配はするのですが、相手が出てこなくて」
「カップルでないと出てこないとか?」
おそらく、とグラン様はうなずいた。
「そこで、カップルの方に同行をお願いしようとしたんですが……」
悪魔退治のスペシャリストは、悩ましげに額を押さえる。
「ひょっとして、破局を怖がってついてきてくれないんですか?」
「ええ。悪魔がいる場所、というだけでもハードルが高いですしね」
それはそうだ。使徒が一緒でも、好きこのんで危険に近づきたくはないだろう。
「本部に連絡して、だれか女性職員を寄こしてもらおうかと考えているところです」
グラン様は軽く息を吐いて、ベンチの背にもたれた。
「……わたしでよければ、協力しましょうか?」
「え?」
「グラン様ご自身で、カップルのフリをしようとしているんですよね。
遠くからわざわざ人を呼ぶくらいなら、ここにいる人間を使った方が早いと思って」
う。きょとんとされてる。
悪魔となんて、フリでも嫌かな……
「いいん……ですか?」
「はい。グラン様さえよろしければ」
「こっちはニナさえよければ、まったく構わないです」
グラン様は身を乗り出してきた。
「あなたに協力していただけるなんて、夢のようです」
「大げさですよ」
夢のよう、なんて。転生者って、そんなに非協力的な存在に思われているんだろうか。
「お役に立ててうれしいです、グラン様」
「ミシェル、です」
目を瞬かせていたら、グラン様がくすりと笑った。セリフを繰り返す。
「ミシェル、です。呼び方。恋人同士でしょう?」
「あっ、そうですね」
納得したものの、ミシェル、の一言がなかなか出てこない。
緊張する。役とはいえ、誰かの恋人なんて。
「……ミシェル、様」
「様、はいりませんよ。呼び捨てにしてください」
わたしは呼吸を一つした。
「ミ、ミシェル……様! ミシェル様で勘弁してください。無理です!」
わたしは早くも泣き言を吐いた。
こんな立派な人を呼び捨てになんて。畏れ多くて、演技でもできない。
「恋人同士でも、様をつけて呼ぶことありますよね……?」
「恋人との間に壁があるようで、私は嫌です」
グラン様は頑なだったけど、頼み込んだら最終的には折れてくれた。
「いつかは、呼び捨てにしてくださいね」
さみしそうに言われた。
努力はするけど、わたしが感じているグラン様への壁は、たかが数日では乗り越えられないので、その日は永遠に来ないだろう。
(おっと、いけない。グラン様じゃなくて、ミシェル様ミシェル様ミシェル様)
念仏のように名前を唱える。
名前呼ぶだけでこんなにつまづくなんて。大丈夫かな、わたし。
「ミシェル様は、誰かとお付き合いしたこと、ありますか?」
「いえ全然」
いいながら、ミシェル様はわたしを抱き寄せた。流れるような動作で。
経験ゼロでこのクオリティなんですか?
試験前「全然勉強してない〜!」といってた友人が、余裕で平均点以上取ってた時のような裏切り感なんですけど。
「あなたにこんなことをするの、私が最初なんですね」
耳のすぐ近くで、低く穏やかな声がする。
「今夜のこと、忘れないでくださいね」
魅惑的な、ささやき声。
ホントに? 本当に恋愛レベル1? 手慣れすぎてません?
「グラ――ミシェル様」
わたしは挙手した。
耳まで真っ赤になっているのが、自分でわかる。
早々に白旗を上げた。
「まずは手をつなぐことからでお願いします……」
わたしは情けない顔で、ミシェル様の手を握った。




