第96章 堺の南蛮館
(1569年 七月) 堺
潮と香辛料の匂いが入り混じり、石畳には樽や木箱が積み上がっている。
赤銅色の肌をしたポルトガル商人たちが異国語を飛ばし、荷を担いで出入りする。
西日に照らされたガラス器が、浜の空気の中で鈍く光っていた。
豪商・今井宗久の屋敷で、南蛮人の一人が背の木箱を開く。銀細工の施された火縄銃と、精製度の高い白
い硝石が現れる。
秀吉は硝石を手に取り、静かに言った。
「この火薬は、敵を滅ぼすためやない。争いを“止められる”だけの力・・それを、信長様の未来に重ねと
る」
次に南蛮ガラスの杯を取り、光にかざす。
夕陽が透き通る青を映し、まるで水晶のようだった。
「・・見事なもんじゃ。うちのはまだ、すりガラスの域やからな」
蜂須賀小六が笑う。
「透けて見えるどころか、向こうが歪んで見えるのがうちのですわ」
秀吉は杯の薄さを指でなぞり、宗久に向けて言う。
「形は真似できる。釜の温度も配合も・・商いになるまで遠くはあるまい」
宗久は頷き、吹きガラス職を集める手筈を約した。
緋色の緞子を手に取ると、秀吉は低く呟く。
「これをうちで織れば、戦わずとも天下から銭を吸い上げられる」
やがて秀吉は杯を置き、前のめりになった。
「――ひとつ、頼みがある」
指を三本、すっと立てる。
「次に来るときは、“ジャガイモ、トマト、トウモロコシ”。それと、航海術を教えられる者を一人、必ず
連れてこい」
商人たちが顔を見合わせる。聞き慣れぬ名に戸惑いが走る。
「ジャガ。イモ? トマ・・ト?」
「名前はどうでもええ。その作物は、わしらの国で変える」
文箱から三枚の絵を取り出す。
一枚目は、土中にできる小さな丸芋。
二枚目は、黄橙色の小粒の実をつけた枝。
三枚目は、粒の列がまばらな細い穂と、それを粉に挽く石臼の図。
南蛮人の一人が目を見開く。
「コレ・・ジャガト? トマテ? トウモロシ?」
「おお、知っとるか」
さらにもう一枚――船の断面図、星の位置、羅針盤の使い方が描かれた図を差し出す。
「これは“海の道”を測る知恵。次には、これを教えられる水夫を連れてこい」
秀吉の瞳が鋭く光る。
「食える作物と、海を越える知恵。これがあれば、どこへでも行ける」
通詞が青ざめて言った。
「デモ、そんなモノ・・公方サマヤ他ノ大名ニ渡シテハ・・」
「そっちは放っとけ」
秀吉は腕を組んだ。
「これは“信長様の国”の話じゃ。他が何を言おうと、わしらは前に進む」
宗久は冷や汗を感じながらも、妙な確信を抱いた。
(この人・・本気で、天下じゃなく“世界”を狙ってやがる)
〔史実解説〕
この時代、日本に伝わったジャガイモ・トマト・トウモロコシは、現代品種とは大きく異なる原種に近い姿でした。
トマトは黄橙色で小粒、酸味や苦みが強く、観賞用や薬用として扱われることが多い。
トウモロコシは穂が小さく粒の列もまばらで、甘味は少なく粉食用。
ジャガイモも小粒で苦味を含むものが多く、食用として定着するには時間がかかった。
秀吉が未来知識で「どの形が良品か」を理解し、農民や職人に複数拠点で世代選抜をさせるなら食用化できるレベルまで品種改良にかかる時間は:トウモロコシ5〜8年:トマト7〜10年:ジャガイモ10〜15年で出来るようです。ジャガイモは特に重要で18世紀初頭に約250万〜300万人だったプロイセン人口が、19世紀半ばまでに約1,000万〜1,200万人規模(4〜5倍)に達したとされています。寒冷地・飢饉用栽培品目のエースです。




