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第89章 農具工房、鋼の息吹

1568年12月 墨俣城下


火縄銃の製造工程で立ちふさがった最大の壁――それは「ネジ」だった。


この国には、まだネジという精密部品を安定して量産する技術が存在しない。


一本一本、鉄棒を削り出して作る作業は手間ばかりかかり、到底量産には耐えなかった。


「・・このままじゃ、いつまで経っても流れ作業にならん・・」


秀吉はうなり、ついに一計を案じた。


「銃がだめなら、民の道具を作らせよ」


鉄工職人たちには農機具と生活用品の製造を命じ、見習いたちは水車ハンマーでの鍛造訓練を兼ねた基本


器具の大量生産にまわされた。


●農具の刷新 三本歯の鍬――つるはし――鎌、包丁、小刀に至るまで、鉄の輝きが道具の隅々に宿る。


従来、鍬は先端の刃だけが鉄で、柄や台座は木で作られていた。


だが墨俣で新たに作られた農機具は、台座や根元の結合部まで鉄製であった。


「おい……これは……全部、鉄か?」


村人たちは手に取って何度も裏を返した。


木ではない、漆でもない、本物の“鉄”であることを確かめるように。


「こんな贅沢な鍬、拝領でもなけりゃ見たことねぇぞ……」


「それが銀三枚だってよ。馬鹿か、おまえ、桁を間違えてんじゃ……」


誰かが言った。だがそれは真実だった。


墨俣では火縄銃の副産物として鉄材が増え、効率的な鍛造が行われ、流通する鉄製道具の価格は他所の半


分以下にまで下がっていた。


●秀吉の方針 「鉄は戦の道具だけではない。」


「土を掘る鍬にも、米を刈る鎌にも、命を育む力がある。」


・・武器を鍬に。鉄を飯に変える。それが、戦が終わった後の“備え”じゃ」


そう語る秀吉の声には、未来を見通す響きがあった。


農民の手に、安価で強靭な鉄の道具が渡り始めた。


村では千場漕ぎ(脱穀機)を囲んで、子どもたちがはしゃぎ、男たちはつるはしを振るって新たな畑を拓


き、女たちは切れ味の良い鎌で藁を刈り、台所では光る包丁が野菜を裂いていた。


結局ネジ切用の機械が出来るまで半年掛かるのだった。工場制分業の形態の歴史は1569年6月を待たねば


ならなかった。


――鉄は、命の礎へと変わって行った。


鉄の道具と人の居場所


墨俣の鍛冶場では、火縄銃製造に伴って副産物として生まれた鉄製の農機具が次々と姿を現していた。


千場漕ぎや脱穀機、三本歯の鍬、鉄鎌、つるはし、包丁。


いずれも、これまで木や石で間に合わせていたものに鉄を加えることで、作業効率が格段に上がり、民の


歓声が絶えなかった。


だが秀吉は、その影にある問題に、静かに思いを馳せていた。


稲架掛けされた黄金色の稲穂が、冬風に揺れる。その風景を見つめながら、秀吉はぽつりと呟いた。


「……”便利”が、仕事を奪うようになるかもしれぬな」


傍らにいた前野長康が、怪訝そうに首を傾げた。


「は……それはどういうことで?」


秀吉は稲の山を見つめたまま、答える。(資本主義原理の事を言っても意味がないだろうと考え直してよ


り具体的な例を挙げることにした)


「わしがまだ村の小僧だった頃――力も無くて、手も小さく、ただ小突かれて働くだけだった。


それでも、杵を支える役や稲を束ねる作業があって、何とか一人前として認めてもらえた。けど、もしあ


のとき、鉄の道具ばかりが並んでいたら……あの頃のわしにできる仕事は、もう無かったじゃろう」


前野は息を呑み、言葉を失った。


「小さい頃の村での生活を体験してきたからこそ、分かるんじゃ。“弱い者”には“役目”が必要なんじゃ。


さもなければ、心まで壊れる」


その言葉に、前野は深く頭を垂れた。


彼の表情には、秀吉の深い洞察への驚きと、共感が滲んでいた。


「……心得ました。各村の名主に通達を出しましょう。新たな道具で仕事を失った者がいれば、必ず申し


出るように」


「うむ。そうすれば、火縄銃の工房でも、倉の記録係でも、出来る仕事はある。」


「人を捨ててまで進む道など、わしは選ばん」


健一の脳裏に、あの白装束の声が響いた。


「お前の『豊かさ』は、『淘汰』を生む。これは『さだめ』だ。効率を追求すれば、必ず『弱き


者』は『袋小路』に陥る。お前の『倫理』は、この『法則』に抗えるか」


秀吉は、その言葉に深い苦痛を覚えた。自分が目指す「人類最適解」が、結果的に「弱き者」を切り捨て


ることになるのではないか、という疑念が胸をよぎった。

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