第84章 ジャンク船の造船
(1568年7月)桑名湊
桑名湊の造船所に、堺から呼び寄せた船大工たちが到着した。
彼らの顔には、この未知の土地での新たな挑戦への期待と、長年の経験に裏打ちされた自信が交錯してい
た。
私は彼らを地元の大工頭や熟練の水夫たちと引き合わせる。
「この六か月、お互いの技を存分に学び合え。桑名の材木、堺の道具、両方の良さを吸い尽くすのだ」
■ 共同建造と技術の融合
船台には、これから共同で建造する安宅船と小早船の骨組みが並ぶ。
これは単なる訓練ではない。互いの技術を見せ合い、融合させるための「試し船」だ。堺の船大工たち
は、その緻密な接合法や、水の抵抗を減らすための船底の曲線美を惜しみなく披露した。一方、桑名の大
工たちは、伊勢の良質な木材の選定眼と、波の衝撃に耐える堅牢な構造の組み上げ方を見せつけた。
「なるほど、この組み方は水捌けが良い」「この塗装は、潮風に強い」
互いの得意技を見せ合い、細部まで念入りに情報を交換しながら、一隻の安宅船と一隻の小早船が形を成
していく。
彼らは言葉を交わすだけでなく、実際に手を動かし、互いの道具を使い、汗を流しながら技術を吸収し合
った。
半年後、二隻の船はそれぞれの長所を併せ持ち、見事な出来栄えで完成した。職人たちの間には、競争で
はなく、互いへの深い尊敬と信頼が芽生えていた。
■ 隔壁構造、未来の船
完成した船を前に、私は工房の隅に集まった頭領たちを前に宣言した。
「そして、この半年で得たすべての知見を元に、新たな船作りに挑戦してもらう」
私は工房の真ん中に、イメージしやすいようにと大きな板切れと小さな仕切り板を並べていった。
「これだ、“隔壁構造”の新しい船――明のジャンク船のような堅牢な造りに挑戦する。これが明の“ジャ
ンク船”と呼ばれる大船の工夫だ」
私は板を使って部屋割りを示しながら、その仕組みを語り始める。
「――この船は、中をいくつもの“部屋”に板で仕切る**“隔壁”**という作りだ。もし船底や側に傷がつい
ても、水が全部に回らぬ。部屋ごとに水が留まり、船全体がすぐには沈まない。それに、底板も側板も何
枚も重ねて厚くしてある。波や岩にぶつかっても、一枚二枚やられたくらいでは、船の中に水は入らぬ。
これなら外海の荒波にも耐えられる」
集まった船大工や若い衆は、「……こんな仕切りのある船は見たことがない」
「厚板の重ね貼りも、思いつきもしなかった」と驚きの声を上げる。
彼らの常識を遥かに超える技術だった。
■ 30m級ジャンク船への挑戦
しかし、その驚きはすぐに、新たな挑戦への興奮へと変わった。
彼らは、秀吉が示した簡素な板の模型から、その設計が持つ無限の可能性を感じ取ったのだ。
「まずはお互いの船の作り方を覚え、試し船を造ってみる。習得したら新型の造船だ。
材料も道具も工夫次第だ。
新たな船を作るのだからな。桑名の造船所で、この国にまだない大船を形にしてみせよう。」
彼らは早速、提供された明のジャンク船の設計図を食い入るように見つめた。
それまで見てきた日本の船とは全く異なる構造に、首をひねり、議論を重ねる。堺の船大工は外洋での航
海経験が豊富で、その視点から隔壁構造の利点を力説した。
桑名の大工は、強固な木材の加工技術を活かして、どのようにその構造を実現するか、具体的な方法を模
索した。
彼らは試行錯誤を繰り返した。
厚い板を何枚も重ねて強度を出す方法、複雑な隔壁をいかに正確に組み合わせるか、そして何よりも、こ
の全く新しい構造の船が本当に水に浮かび、荒波に耐えうるのか。
失敗を恐れず、小さな模型を作り、実際に水に浮かべて試した。
互いの知識と経験を出し合い、熱心に議論し、時には衝突しながらも、彼らは粘り強く問題解決にあたっ
た。
そして、その半年間の試行錯誤の末、ついに全長30メートルクラスの巨大な隔壁構造を持つジャンク船
の建造が始まった。木材を切り出す音が響き渡り、槌が打ち鳴らされる。その静かな動きは、この国の
未来を大きく変える予感に満ちていた。桑名の港に、日本にまだない「未来型船」が、その胎動を力強く
刻み始めていたのだ。
※帆船の説明:ガレオン船の全長は、時期や用途によって幅がありますが、お
およそ30メートルから60メートル程度が一般的とされています。
例えば、有名なフランシス・ドレークの「ゴールデン・ハインド号」
は全長約36メートル。
大型のものでは1000トンを超えるものもあり、その全長も長くな
ります。
復元された日本の慶長遣欧使節団の「サン・ファン・バウティスタ
号」は、ガレオン船の一種とされ、全長55メートルもあります。




