表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
82/178

第81章 伊賀と雑賀――抵抗と「仮の和睦」

(1567年11月末~翌年4月・紀伊半島)


紀伊平定作戦の最中、秀吉は伊賀への交渉も重ねていた。


「上田や山田の里で、こちら(犬山)に移る気のある者はいないか」


10月末までに、山田佑才に現地の反応を探らせていた。しかし答えは冷ややかだった。


「・・・我が山田の里ですら、誰ひとり”犬山へ移る”話など耳を貸しませんでした。」


佑才自身も「聞くまでもない。伊賀者の多くは土地と一族に強く縛られている」と心から思っていた。


結局、伊賀の忍びは誰ひとり犬山へは動かなかった。


一方、紀伊の雑賀衆は石山本願寺と堅く結び、各地で激しい抵抗を繰り返した。


鉄砲隊を繰り出し、川筋・要害でゲリラ戦を挑んできたが、6か月にわたる戦と交渉の末、領地安堵を条


件に“形だけの帰順”で終息する。


その「形だけ」という言葉の裏には、秀吉の苦い経験と、理想と現実の乖離があった。


■ 伊賀忍び――土地への執着と「家」の重さ


私は伊賀忍びの頭領、上田義重のもとに、密かに使者を送った。


「犬山に来れば、禄と新しい家、自由な働き場を用意する。どうだこれ以上抵抗すれば女子供でも容赦な


く踏みつぶされるぞ」と。


義重は使者に静かに首を振った。


「我ら伊賀者は、先祖伝来の“山と水”にこそ魂を置く。」


「いかなる恩賞よりも、家と里を捨てることはできぬ・・・」


山田の里にいた古参の忍びも同じだった。老いた忍びが一言だけ、「”先祖代々の墓”がここにある。」


「それを捨てては、先祖にも子孫にも顔向けできぬ」と呟いたという。


山田佑才が後日語った。


「殿、伊賀者にとって“移る”とは死を意味します。」


「使者を出したこと自体が、誠意として伝われば十分でございましょう」


秀吉の心には、彼らの土地への強い執着と、自身の理想との間に存在する深い溝が、改めて刻み込まれ


た。


彼の脳裏に、あの白装束の声が響いた。


「お前の『利』は、彼らの『根』には届かぬ。これは『稲作文明』が選んだ『物語』なのだ、『お前の生


きた時代の物語』とは別の『物語』」


秀吉は、その言葉に深い無力感を覚えた。


合理性や未来の知識が、稲作文明の根源的な「価値観」や「長い年月で醸成された物語」の前では、いか


に無力であるかを痛感したのだ。


長島で味わった絶望が、形を変えて三度みたび彼を襲っていた。


そして皆殺しの命が信長から出された。


■ 雑賀衆――石山本願寺と銃火の駆け引き


一方、紀伊の雑賀衆は最後まで強硬だった。


「我ら雑賀衆は、いかなる大名にも屈せず」と、石山本願寺からの援兵を受け、独自の鉄砲隊を山野や川


辺に展開し、奇襲と夜討ちで織田軍を苦しめた。


ある夜、雑賀の若い頭領が密かに秀吉本陣を訪れた。


「降るに降れぬ。だが村を焼かれれば、民も寺も生きてはおれぬ」秀吉は静かに答えた。


「戦の勝敗ではなく、次は“町を残す道”を選ぶがよい。雑賀にしかできぬ働きもある」


その後も交渉は難航し、鉄砲を手放さぬこと、名目的な領地安堵――双方が「落とし所」を探り合い、最


後は“文書一枚の形だけの帰順”となった。


その和睦の裏には、秀吉の粘り強い交渉と、相手の心理を読み解く彼の才覚があった。


しかし、秀吉の胸には、この「形だけの和睦」が、いかに脆い「蓋」に過ぎないかという苦い予感が去来


した。


彼らの信仰は、利や理屈では動かせない、より根源的な「空気」として存在していることを、長島で痛感


していたからだ。


■ 和平後の空気――火種の残る“表と裏”


冬の紀伊の国。村々では表向き「織田家安堵」の札が立ち、年貢や検地も“新政”の名のもとで始まった。


だが、町角では誰ともなく「またいつか、戦が戻るかもしれぬ」と囁きあう声も消えなかった。


伊賀の山では、忍びたちが静かに影を潜め、雑賀の寺では、本願寺からの使者が再び来る日を待つ者もい


た。


「表は従順、裏は沈黙」――秀吉は、そうした土地の空気を敏感に感じ取り、「まつりごとは勝っ


てからが始まりだ」と、新しい統治策を練り始めていた。


彼の心には、表面的な平和の裏に隠された、根深い対立の種が見えていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ