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第7章 冥加金と紙の値段

冥加金――それは信長の財政基盤を支える、現実的かつ容赦ない徴収制度。その最前線に立ち会うことになった藤吉郎は、商人たちの苦悩と交渉術を目の当たりにする。

そして、ただの徴収ではなく「商談」と「物流」と「金融」の三重構造を読み解く眼差し。現代人・健一の経済頭脳が、ついに戦国の現場で本領を発揮し始める。

(1559年12月)尾張津島湊


津島湊(つしまみなと)での一行の目的は、信長の名のもとに名主組合を集めて冥加金(みょうがきん)を取り立てることであった。


日吉丸にとっては初めて間近で見る取立ての現場であり、商人や町人たちの緊張した顔つきに、これが単なる「徴収」ではなく「圧力」であることを改めて理解する。


信長は冗談交じりに、熱田では献上品代を冥加金代わりだと後で知ったと語る。その言葉に名主たちは乾いた笑いを漏らしつつも、こちらは逃げ場がないという空気が伝わってくる。


その場で、ある年配の名主が手を挙げて口を開いた。

「殿のお言葉、まことにありがたく存じます。ただ、近頃どうにも紙の値が上がり続けておりまして……。

美濃との商いがうまく運ばぬゆえに、なかなか仕入れも(まま)ならず、書き付けひとつとっても難儀しておるのです」


それを聞いた信長は一瞬だけ眉を上げたが、何も言わなかった。

名主は続ける。


「もし、殿のお力で美濃との通商が少しでも円滑になれば、我ら町の者たちも心置きなく冥加金を差し出す所存にございます」


日吉丸はそのやり取りをじっと見つめながら、(なるほど、これは単なる集金ではない。対話と交渉、そして見返りをどう与えるか――現代の企業取引と何も変わらない)と胸中で呟いた。


信長は笑みを浮かべ、場を収めた。

「よい。美濃とはいずれ話を通す。その時は、たっぷり払ってもらうぞ」


名主たちは一斉に頭を下げた。こうして、日吉丸の目には初めて信長の「商い」を理解する視点が生まれ始めていた。


その帰り際、信長は配下の者たちに向かって声をかけた。

「誰か、美濃に行って和紙の商談をまとめてこい」


しかし、配下の者たちは顔を見合わせるばかりで、誰一人として返事をしようとしなかった。信長の眉間に皺が寄り、低い声で命じた。


「よし、全員行け。商談をまとめた者には、褒美を取らす」


一瞬、空気が張り詰めた後、誰からともなく小さく頷きが返される。命令は絶対であり、同時に信長の中には試練と見返りのバランスが確かに存在していた。


城に戻った日吉丸は、さっそく熱田湊の茶屋四郎次郎のもとを訪ね、美濃の紙事情について尋ねた。茶屋は少し考え込みながらも、「推測ですが」と前置きして語った。


「どうやら、信長様が上洛したことを義龍が面白く思わず、嫌がらせとして紙の流通を妨げているのではないかと見ています。」

「尾張に流れている奉書紙(ほうしょし)は、美濃・近江・播磨(はりま)のものが多い。とりわけ美濃が止まると、かなりの痛手です」


それを聞いた日吉丸は、織田家の家臣が直接乗り込んでも、意地でも商談には応じないだろうと考えた。


そこで彼は次に末次氏のもとを訪ね、津島湊経由で紙を入れてもらえないか談判した。末次氏は話を聞いて快諾したが、急な取引ゆえに通常の年期払いではなく現金払いを条件として提示してきた。


日吉丸は思わず歯を食いしばった。というのも、織田家は湊の冥加金を銭払いで指定しており、ただでさえ銭が不足している中で現金払いを求められたのは、足元を見られたとしか思えなかった。


当時、戦国時代では中国銭が主に用いられていたが、流通量自体が少なく、銭の価値は安定していなかった。つまり、冥加金と取引資金の両立は極めて難しい課題だったのである。


とりあえず津島湊の紙の件が片付いたことを、日吉丸は信長に報告に向かった。だが、美濃に派遣された者たちはまだ誰一人として戻っていなかった。


日吉丸は一連の経緯を簡潔に説明し、末次氏の協力を取り付けたことを告げた上で、現金払いの条件に苦慮していることを打ち明けた 。


信長は少し驚いたような顔をしたものの、思ったよりも迅速な対応に機嫌を損ねることはなかった。むしろ、興味を引かれた様子で問いかけてきた。


「では、対策はあるのか?」

日吉丸は一瞬だけ躊躇(ちゅうちょ)したが、覚悟を決めて口を開いた。


「は、私鋳銭(しちゅうせん)を……考えておりました」


その言葉に、信長の目が細められ、次第に口元がほころんだ。


「ほう……」


信長は脇息にもたれながら静かにうなずいた。


「実のところ、我も近頃、銭の流通に不便を感じていた。いずれ大量の銭が必要になる……中国からの輸入だけに頼っていては間に合わぬとな」


日吉丸は、信長が心の中で思い描いていたものと自身の提案が一致していたことに、驚きとともに安堵を覚えた。


こうして日吉丸は、草履取りから小物頭に出世し、名を木下藤吉郎と改めることとなった。


それからおよそ二週間後、時は十一月の始め、信長に再び呼び出された藤吉郎は、関より腕の立つ鍛冶師たちを引き抜いたことを告げられる。


「この者たちの面倒を見てやれ。鍛冶場を立ち上げ、私鋳銭を作らせよ」


信長の言葉に、藤吉郎は深く頭を下げた。いよいよ、構想が現実に動き出す時が来たのである。

信長の指示を真正面から受け、配下たちが沈黙する中で、動いたのは藤吉郎ただ一人。

冥加金と紙の価格、貨幣流通の課題――そこに「私鋳銭」という禁断のカードを切った時、物語は新たなステージへ。

現代知識の応用と、戦国社会のリアルが交錯する瞬間。次章ではついに、鋳銭所の建設へ向けた突貫工事が始まります!



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