第75章 職人たちの到着と軍制度伝授
(1567年4月)犬山
新たに設ける職人町の工事がまだ始まったばかりだったので、もうしばらくは京の堀川通にあった山科
氏・中村氏・松井氏などの見込みのありそうな染物師達を片っ端から口と金でスカウトしてきた秀吉は犬
山城下まで引き連れてきた。
当たり前だが長男と当主はどこも出さなかった。
染物師・糊置師・彩色師・蒸師・水元師・仕上げ師・湯のし師・箔押師・絞り師・刺繍師――計九の職
分、九家族、五十一人という大所帯で、取り合えず城内に住まわせることにした。
城内の長屋で我慢してもらい、取り合えず各自で作業場づくりに取り掛かってもらっていた。
「新しい土地の水と空気は馴染むか?」
私は親方衆に声をかけ、材料や道具の不足があればすぐ手配するよう命じた。
職人たちも新天地の気配に心弾ませ、「犬山殿の誠意と、この絹の良さがあれば、きっと新しい色が生ま
れましょう」と、早くも意気込みを見せていた。
その折、大久保忠世が犬山に姿を現した。
「家康公より、織田軍や犬山殿の軍制を詳しく学んで来るように申しつけられて参上いたしました」今川
攻めの帰り際に、家康自身から頼まれていた話である。
「しばらく滞在し、黒鋤隊や犬山隊の編成・装備・陣中規律まで、隠し立てなくお見せしよう」
笑って言い、「職人の技も軍の仕組みも、犬山から天下へ――」そんな心持ちで、春の犬山に新しい風が
吹き始めていた。
■職人たちの到着と軍制度伝授(秀吉の洞察)
大久保忠世が犬山で黒鋤隊や犬山隊の仕組みを熱心に学ぶ姿を、私は静かに見守っていた。
(徳川家も、新しい軍の仕組みに関心を持ち始めたか)
だが、心の奥でこうも思っていた。
(――だが、この軍制は徳川家には根付くまい。あちらは家臣に与えた知行地が多く、家来一人ひとりの
領分が広い。身分秩序も頑固で、御家人・譜代・旗本・・皆が“自分の家”を重んじる。この犬山のように
全員を“俸禄で雇い、職分で縛る”近代式の常備軍は、そうそう真似できるものではない)
私は大久保に丁寧に制度を説明しつつ、(結局、徳川家は旧い身分と知行制に足を取られ、家ごとにまと
まりはあっても“天下を束ねる軍”にはならぬだろう)
と、冷静に先を読んでいた。彼の目には、未来の構造が見えているからこそ、徳川の限界も同時に見えて
いた。
■伝える技、変わらぬ家
犬山の長屋では、染師も兵士も新しい秩序の空気に戸惑いながらも、少しずつ前に進みつつあった。
大久保忠世が軍制や規律について質問を重ねる様子を、私は横目で見ていた。
(常備軍の理、近代的な軍制――確かに私が思い描く未来の形だ。だが、徳川家は家中に知行を多く分け
与え、各家が領地を持つから、古い身分秩序から逃れられまい。このやり方が、そっくりそのまま根付く
とは思えぬ)
ふと自分の主家、織田家についても考える。
(それを言えば、織田家だって事情は変わらぬ。信長様だけが自分の直轄領で俸禄制を導入し、少しずつ
新しい軍の形に近づけてはいるが――他の重臣家や家老家は、相変わらず家中と身分秩序にがんじがらめ
だ。私の犬山のような“職能・俸禄・常備軍”は、今の世ではまだ例外に過ぎぬ)
私は大久保に資料を見せながら、内心で小さく溜息をついた。
(世が変わるには、まだ時間がかかる。だが、まずは犬山で理想を一つ形にしてみせよう)
1か月後、大久保は暗い顔でお礼を申して岡崎に帰っていった。彼の顔には、秀吉の示した軍制の理想
と、自国の現実との間に横たわる溝への、深い苦悩が滲んでいた。
※ 軍政の説明:軍政の説明:この問題は史実では明治維新まで続きました。幕藩体制では知行地制度を切り離せない為に「新政府近代軍」対「知行地毎の武士集団幕府軍」となった。史実、信長は他の大名に比べ直轄地の割合が多い武将でした。さらに部下の知行地を転々と移して遠方に追いやっていた事を考えると最終的には日本全てを自分だけで領有(中央集権国家)を目指したのかもしれません。本作品では「目指している説」を取っていきます。




