第66章 掛川城無血開城と今川氏滅亡
掛川城、無血開城――
信長の「義」と秀吉の「報われる世界」の交錯点が、ここに訪れます。
今川の遺臣たちの選択は、忠義と生のはざまに揺れ、そして――死をもって答える者が現れる。
(1566年8月)掛川城
八月三日――予想通り、今川氏真がついに降伏を申し入れた。
その報はただちに掛川城へ伝えられた。
「氏真公、ご降伏なされたぞ――」
城を守る朝比奈泰朝と岡部元信も、ついに無血開城を決意した。
二人は一時は自害を覚悟していたが、秀吉が自ら城内に入り、説得にあたった。
「もうこれからは、そなたらの力が必要だ。ともに新しい世を築こう。」
「命を絶つより、我が家の家臣として、その才覚を振るってもらいたい」
秀吉の言葉は、熱を帯びていた。
命を惜しむ者には利を、義を重んじる者には大義を。
彼の言葉には、すべての人に「生きる道」を用意しようとする誠実さが満ちていた。
朝比奈も岡部も、しばし沈黙したのち、やがて深くうなずいた。
ただ一つ、条件を口にした。「ただし、氏真公を助けていただきたい――」
秀吉はすぐに北条に使者を送り、氏真の解放を願い出た。
北条方もこれを了承し、氏真は無事に城を出ることができた。
一方、前田隊はすでに朝比奈川まで進軍していたが、大井川を境界線とすることで北条と合意が成立。
秀吉軍・徳川軍は大井川まで兵を引き、戦の終息を迎えた。
掛川城には秋の風が吹き、戦国遠江の一時代が静かに終わりを告げていた。
掛川城無血開城の後、城下の一角に仮住まいを与えられていた朝比奈泰朝の姿は、ある日を境にふっつり
と見えなくなった。
秀吉の元に、一通の書状が届けられる。封を開くと、端正な筆致の手紙が・・一枚。
「――羽柴殿 このたびは、氏真様を救ってくださり、まことにありがとう存じます。貴殿の御振る舞
い、言葉の端々に、礼と才と、未来への志を確かに見ました。
されど、拙者は・・どうしても、貴殿のもとで生きることができませぬ。亡き義元公に対し、主君を守り
切れなかったこの身をもって詫びるべく、これより冥途へ参ります。
また・・これは申し訳なきことながら、素性の定かならぬ者の下にて命を使うこと、どうしても心が受け
入れませぬ。これは拙者の偏狭にして、他意なきこととお許しくだされ。
羽柴殿のご武運と、大和の安寧を、草葉の陰より祈っております。 朝比奈泰朝――」
手紙を読み終えた秀吉は、しばし言葉もなく、手紙を見つめ続けた。 やがてそっと紙を畳み、誰にも語
らぬまま懐にしまい込んだ。
「・・・これが武士か。いや、これが『空気』の暴力か」秀吉の胸に、歴史の「修正力」が再び顔を出
したかのような、重い感情が去来した。彼がどれほど「全ての人が報われる道」を求めても、この時代に
は、命をもって義を示すことを選ぶ者がいる。それは、彼が現代から持ち込んだ価値観とは相容れない、
しかし、深く尊い「空気」だった。
彼の脳裏に、あの白装束の声が響いた。「真実は暴力だ。お前の『人類最適解』は、彼らの『物語』を破
壊する。だから、彼らは自ら退場する」
秀吉は、その言葉に深い苦痛を覚えた。知性で世界を変えようとした自分が、結局は他者の尊厳を暴力的
に踏みにじる側に回ってしまう。これは、長島での無力感とは異なる、新たな種類の絶望だった。
■家康と数正の困惑と謝意
掛川城を去る時家康殿から木綿や砂糖黍、お茶のお礼を改めて言われた。
「羽柴殿、貴重な情報を惜しげもなく私どもの為にお教えいただき誠に感謝申し上げます。」
「本来ならこの様な貴重な情報は対価を出して教えて頂くところ。」
「この恩は生涯忘れるものではありません。」
健一としては「実は砂糖が欲しかっただけなんです。」
とは言えずに「いやいやこれも織田・徳川の同盟がより強く結ばれる為ならお安い御用ですよ」とごまか
すのだった。
その様子を家康の背後に控えていた石川数正はそのやり取りを見ながら、秀吉から教えられた数々の産物
に関する情報の書付を思い出していた。
今また時が経っても家康と同じ「秀吉に対する恐怖に似た畏敬」を感じずにはいられなかった。
そして子供の頃、家康が雪斎和尚に学んでいた頃「駿府に儂より頭の回る小僧がいた。
『そいつはたぶん儂を論破する事も出来たのではないか』」
と話たことを家康が打ち明けてくれた出来事が頭を駆け巡るのであった。
朝比奈泰朝の手紙には、筆者自身も胸を打たれました。
どんなに未来を語ろうと、「時代の空気」には勝てないこともある。
秀吉が悔しさと敬意を同時に抱いたその感情を、読者の心にも届けられていれば幸いです。
次章、時代は京へと舞台を移します。




