第65章 掛川城攻囲戦
今回の戦は「殺さずして勝つ」ことに重きが置かれました。
また、家康に対して木綿栽培と金肥の指南を与えるなど、秀吉が農業経済や民政に関わる姿も強調しました。
これは読者に、ただの“戦の秀吉”ではない側面を見せたかったからです。
次回、ついに掛川は開かれ、今川氏の時代が終わります。
(1566年6月)掛川
初夏の熱気が遠江の野を覆い始めた。
信長より伊勢の攻略を終えたことを知らせる手紙が届いた。
1566年5月22日、北畠具教を田丸城にて撃ち果たし伊勢攻略を終えたという。
少し時間が掛かってしまったが、岐阜城に帰り次第義昭を奉じて上洛をすることなどが書かれていた。
戦の潮目は変わりつつある。予定通り、秀吉らはこのまま今川領に攻め込んだ。
徳川家康も意地を見せ、なんとか兵三千をかき集めて出陣する。
秀吉軍も三千を動かし、さらに前田慶次の率いる千二百が加わった。
包囲の的は、掛川城――城内は、朝比奈泰朝が守将となり、さらに岡部元信もここに残っていた。
敗戦の混乱と田植えシーズンが重なり、思うように兵が集まらぬ。それでも三千五百が城に籠る。
北条軍は駿府城を包囲したまま動く気配を見せないことを確認し、秀吉らも安心して掛川城を徹底包囲す
る。
「ここで一気に決着をつけるぞ――!」掛川城を徳川三千、秀吉三千、前田慶次千二百で三方から包囲。
同時に、前田利家と山田佑才の隊は二千六百で、駿河口・大井川方面まで進軍を開始した。
包囲陣が完成し、掛川城の四方は固く封じられる。城内の士気は低く、兵糧もすでに心許ないと伝わる。
戦場には、じりじりとした膠着と、崩壊の前夜の緊張が漂っていた。
天幕の下、家康・秀吉・前田らが顔をそろえた軍議の場は、湿気と焦燥の気配が入り混じる。
秀吉が地図を指しながら切り出した。
「遠州――浜松を含むこの地は、もともと水持ちが悪く、田んぼも少ない。ちょうど田植えを終えた今か
ら八月にかけてが、一年でもっとも兵糧に困る時期だ。ここに籠らせて消耗させるのが最も理にかなう」
家康もうなずき、口を開く。
「朝比奈を力攻めしても損が大きい。心が弱い、三ヶ月も持つまい。」
「持久戦で降伏させるほうが、今後の治世にも禍根を残さぬ」
秀吉のありがたい方針に、家康は安堵し、感謝するばかりであった。
秀吉はふと笑みを浮かべる。
「思い出すな。あの墨俣の籠城戦――今度は攻め手として、あれを再現しようじゃないか。竹楯をぐるり
と巡らせて包囲壁を作り、そこにコンクリートで補強した防御柵も設ける。敵の出入りを完全に封じる。
攻撃は弓矢のみで十分。脱出できなければ、いや出来ないと思い込ませれば勝ちだ。」
敵の心を砕くには、力より“差”を見せつけるのが早い。秀吉軍には潤沢な輜重隊があり、兵糧もたっぷり
ある。軍議の場にいる全員が、この作戦の有効性にうなずいた。
「やるぞ。夏が終わる前に、敵は必ず降る。朝比奈と氏真どちらがが我慢強いか見ものだな。戦わずして
勝つ――これぞ兵法の極みよ」
長い包囲戦の間、家康は何度も秀吉の陣を訪れ、様々な問いかけをした。
特に、切り取った領地を早く安定させる極意を問われた秀吉は、「豊かさ」だと答えたところ、家康は沈
黙してしまった。
今川時代からの過酷な取り立てと、自身が領主になってからの戦続きで、領民に対して申し訳なさで一杯
な家康にとって、「豊かさ」は相当こたえたのだろう。
不憫に思った秀吉は、三河の特産に成り得る木綿について、その栽培の鍵は「金肥え」であると教え
た。家康は筆刺しを取り出しでメモをとりだした。
木綿は非常に栄養を必要とする植物であるため、人糞尿に三河湾で取れた干鰯・魚粕・骨粉油粕、さらに
草木灰を混ぜたものを使うように指南したのだ。
他にも細かな注意事項を丁寧に教えていく、それを丁寧に書き残していく家康だった。
家康は上手くいったらお礼をすると言ったが、秀吉はそれをあてにせず、ただ静かに包囲戦を過ごしてい
た。
暫くしたある日、家康が再び秀吉の陣を訪れた。
「羽柴殿。先日の木綿の指南、まことにありがたかった。他にも、何かこの遠江、三河の地を豊かにする
妙策はあるものか?」 秀吉は今度は「にやり」と笑った。
「家康殿、実はこの遠江の南部、特に東三河の気候は、ある稀有な作物の栽培に適しております」 家康
が身を乗り出す。
「ほう、それは一体?」
「砂糖黍でございます。南方ではすでに栽培され、甘露なる蜜を産む作物と聞きます。沖
縄ではすでに栽培の歴史があるようですな。」 家康が怪訝な顔をした。
「砂糖黍、と?そのような作物、この遠江で育つものか?」
「ええ。何年か前に、商人のつてで薩摩の商人と知り合いましてな。遠江の気候を話したところ、『育つ
かもしれぬ』と申しておりました。
ただし、その甘露を絞り出すには、それなりの手間と工夫が必要です。
キビから砂糖汁を抽出する作業が一番骨が折れる。
大きな水車や圧搾機が要りますゆえ、それは我が織田で引き受けましょう。
しかし、栽培さえできれば、これは金にも米にも勝る、新たな富の源となりますぞ」 秀吉は畳みかけ
る。
「東三河でキビを栽培し、それを適正な価格で我らが買い取り、加工いたしましょう。」
「もちろん、家康殿ご自身で絞り作業を手がけても構いませぬ。」
「そのための技術の相談にも乗りますゆえ。ただし水車や圧搾機は織田家の機密につき教えるわけにはま
いらぬ。」
「琉球で行われている方法ならお教えいたしましょう。」
砂糖黍は「多少の荒地でも育つ」、「灌漑不要」、「連作もある程度可能」、「刈り時の
幅がある」、「水田や麦畑に比べて技術的要求が低いのですぐにでも出来る。」
「このような作物がこの地で根付けば、民は飢えを知らず、徳川の財も盤石となりましょう。」
砂糖黍の苗はこちらで取り寄せますのでお待ちください。
ねねが喜ぶ顔を思い出し思わずニヤっとしてしまった。
砂糖なら此方にも利益が出そうだと皮算用しながら教えていくのだった。
他にもお茶も良いのではないかと教えた。
温州みかんはまだ鹿児島の山の中だと思って口をつぐんだ。
家康は一旦走らせていた筆を休めて空を見上げて、そして秀吉の言葉を噛みしめるように黙り込んだ。
その顔には、秀吉に対する恐怖に似た畏敬と、そして未来への確かな希望が浮かんでいた。
このような時にも秀吉が唯一忘れていなかったのは、「怖いのは武田だ」ということだけだった。
家康と別れた後新たに修験者たちを呼び寄せ、山田たちの諜報網に加えて修験者たちにも武田からの奇襲
だけはされないように手配させるのだった。
掛川城、無血開城――
信長の「義」と秀吉の「報われる世界」の交錯点が、ここに訪れます。
今川の遺臣たちの選択は、忠義と生のはざまに揺れ、そして――死をもって答える者が現れる。




