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第64章 因縁の対決

竹楯が迫る。

その背後からは、矢の雨と長槍の突き。

前田隊が初めて主力として戦う戦場で、敵は何を見たか。

この章では、竹楯・弓・長槍・騎馬を連携させた戦術が、敵の心を砕くまでの一部始終を“敵兵視点”で描いています。

(1566年5月)浜松


ほら貝の音が響き渡る。


一列に並んだ竹楯が、じわじわと地面をすべるように近づいてくる。


最初はただの壁かと思っていたが、その壁の背後には異様な気配が渦巻いていた。


「弓隊、前へ!竹楯を射抜け!」


隊頭の声に押され、我ら弓兵は前進し、矢を番える。


しかし、合図と同時に、敵後方から山なりの矢が私たちの上へ降ってきた。


数はそれほど多くない。思わず竹楯を狙い、さらに数歩前へと進み出る。


ようやく最大射程、八十間(約80メートル)。


渾身の矢を放つが、竹楯の上には雑兵が被るような強化編み笠がずらりと並び、壁のごとく進軍を止めな


い。


こちらの矢が刺さっても、壁の動きは鈍ることがない。


「なんだ、この壁は……!」その声には、困惑と、得体の知れない恐怖が混じっていた。


そのとき、血気にはやる猪武者が「突っ込めぇ!」と叫びながら駆け出した。


しかし、十間も進まぬうちに、四方から矢を浴びてハリネズミのように倒れていく。


仲間が倒れるたび、恐怖が背を撫でる。


やがて竹楯との距離が五十間を切った。


今度は敵の弓矢が一気に倍増し、雨あられのように降り注ぐ。


味方の弓隊も次々に倒され、たまらず後退を始めた。


指揮の声も届かぬ。


我々は地面に伏せ、木や岩陰、あるいは倒れた味方の死骸の後ろに身を潜めて竹壁の前進を見守るしかな


い。


竹楯の列が、ついに目の前――五間、三間、そしていよいよ至近――その瞬間、両軍の弓矢がぴたりと止


んだ。


「来るぞ……!」ごうん、と音を立てて竹楯が一斉に倒れ出す。


直後、先ほどまで見えなかった七間もある長槍が、竹楯の上からこちらをめがけて振り下ろされてきた。


身を伏せている兵が、次々と槍の豪打で薙ぎ倒されていく。


「うわぁぁ!」周囲の味方が我先に逃げ出したとき、再び矢の嵐が降り注いだ。


混乱の極み――だが、地響きとともに馬の駆ける音が迫ってくる。


振り返れば、奇妙なほど密集した騎馬武者の集団が、一人も歩兵を伴わず突き抜けていった。


その騎馬は本陣めがけて駆け抜けていく。


味方はもはや支える術もない。


馬の疾駆、壁の如き竹、空を埋める矢、そして容赦ない槍――そのすべてを目にしたとき、私は、ここで


の敗北を覚悟した。その絶望は、まるで泥のように、全身を包み込んだ。


■岡部・中村隊の結末と二俣城接収


◆ 岡部元信の視点


激しい乱戦の中、岡部元信は奥歯を噛みしめた。


「くそッ、これほどとは……!」 目の前には、竹の壁のように押し寄せる羽柴の兵。


あの墨俣の奇妙な砦を築いた男の軍勢が、今、遠江の地で牙を剥いている。その指揮を執るのが他ならぬ


木下藤吉郎、いや、羽柴秀吉。


(あの小僧が……まさか、ここまでやるとは!) 脳裏に蘇るのは、駿府での日々だ。


針売りから才覚を見出され、善得寺での学びを勧めた、あの目の鋭い小僧 。


桶狭間の戦いであの小僧が出てこなければ義元様は討たれることはなかったのだと自分を思い込ませてい


た。


ろくに槍も使えないような下賤の者。運だけは良いだけの小僧だと自分を思い込ませていた。


だが、今、その「小僧」は、今川の兵を次々と打ち砕く織田の将として、目の前に立ちはだかっている。


彼の才覚は、岡部が当時見抜いたものを遥かに超えていた事を悟ったのだ。


「中村め、何をしておる!早く退け!」


中村一氏の隊が、前田隊の竹楯と長槍に絡め取られ、崩れ落ちていくのが見える。


このままでは全滅だ。


「氏真様の御首みしるしは、決して渡さぬ……!」


元信は、味方の混乱に乗じ、即座に天竜川上流へと軍を迂回させた。


巧みに包囲網を抜け出し、この場を凌ぐことに徹する。生き残らねばならぬ。


氏真様だけは必ず守ってみせると決意を新たにしながら。


◆ 秀吉の視点


激しい戦の最中、秀吉の目は、乱戦の只中を巧みに抜け出そうとする一隊を捉えていた。


「あれは……岡部元信か」


秀吉の脳裏に、駿府の善得寺で学んだ日々が鮮明に蘇る 。


針売りだった日吉丸に、学びの機会を与え、今川家臣に取り立ててくれた男 。


そして、自分が「卑しい出自ゆえに信じてもらえず、何度も死と転生を繰り返した」


過去のループにおいて、彼に助言を退けられ、牢に繋がれた痛みが、胸を締め付ける 。


この「最後のループ」では、岡部はそれらの出来事を直接知らない。だが、秀吉は覚えている。


(あの恩義を裏切ったのは、俺の方か……いや、あの時の「空気」が、そうさせたのだ)


彼は知っている。岡部元信は、今川家への忠義に厚い、紛れもない武士だ。


だが、忠義だけでは、この時代の「空気」は変えられない。秀吉は、岡部がその「空気」に縛られ、未来


を見通せなかったことを理解していた。


「清正、利家!岡部元信は深追いするな!」


秀吉は、あえて追撃を命じなかった。中村一氏の隊は包囲から抜け出せず、前田隊の竹楯と長槍の前に崩


れ落ちた。


短い乱戦の末、中村は討ち取られ、残兵は次々と投降する。


これにより、二俣城は守る者を失い、城門は事実上がら空きとなった。


「城中、無人に近し――」 前田利家はすぐに本隊を率いて入城し、城と城下の治安を回復させた。


混乱に乗じて略奪に走る兵もなく、整然と城は接収されていく。


しばしののち、二俣城は徳川方へと正式に引き渡された。


家康のもとには、「二俣城、無事接収」との急使が届けられ、戦火の中で新たな拠点が手に入った。


天竜川以西の情勢は決定的に織田・徳川側へと傾いたのだった。


秀吉は、遠ざかる岡部元信の背中を見つめながら、静かに呟いた。


(いずれ、再び相まみえる時が来るだろう。その時こそ、刀ではなく、言葉で「全ての人が報われる道」


を示すのだ。それが、俺の選んだ道だ)


彼の心には、複雑な感情が渦巻いていた。


恩義と因縁、そして、過去の悲劇を繰り返さないという、揺るぎない決意が。


単なる合戦ではなく、"恐怖の構造"としての戦を描くことが、この章の目的でした。

逃げ場のない矢、突破できぬ楯、止まらぬ槍――。

岡部元信という過去を知る武将との因縁も含め、秀吉の中にある「恩」と「非情」の葛藤が、物語に重みを与えてくれました。

次回、二俣城陥落と岡部元信の選択が描かれます。



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