第57章 織田家飛躍の戦略(その1)
岐阜城にて迎えた元旦の深夜、祝賀の賑わいが過ぎ去ったあと、信長と秀吉の密談が始まる。
本章では、近江と伊勢――すなわち西方の戦略が中心となる。
浅井・六角・伊勢諸豪族、そして神宮・熊野・朝廷に至るまで。
戦の剣と、祭祀の衣、そして利権の算盤が交差する「国づくりの交渉」の妙をご覧いただきたい。
(1566年元旦深夜)信長との密談 ―西方編―
■滋賀 浅井家と六角家
信長様は、炉の火越しに私を見つめながら静かに尋ねた。
「西はどうする?」
私はすぐに答える。
「浅井には、すでにお市様が嫁いでおられます。これで浅井との縁もより強固なものとなりました。」
「加えて、美濃三人衆と軍事物資を送り、六角領を攻めさせ、滋賀を押さえさせます。」
「兵糧も惜しまず供給し、必要あらば増援も控えさせます」
(お市様の縁組で、浅井は織田と運命を共にする覚悟を決めざるを得ない。六角を制し、近江を安定させれば、琵琶湖も京への道も我らの手に落ちる。浅井の若い力と信長公の威光が合わされば、近江は確実に動くだろう)
「この策で近江が固まれば、京への道は盤石となります」
信長様は静かにうなずいた。
■伊勢 伊勢諸勢力と北鼻家
正月の余韻も消え、岐阜城の奥座敷は深い静寂に包まれていた。
炉の火が明滅し、信長様と私だけが残される。
宴席の賑わいのあとにあるこの静けさは、どこか決戦前夜のような緊張感を孕んでいた。
信長様が低い声で切り出す。
「伊勢はどうする?」
その言葉に、私は自然と背筋が伸びる。
伊勢――上洛を目指す上で最大の難所。
武力だけでなく、神宮と熊野、在地の勢力の“気”をいかに掌握するかが問われている。
私は静かに膝をつき、慎重に言葉を選んだ。
「伊勢神宮には、式年遷宮の復活を約束いたします。
百余年も絶えていた大祭を、信長公の威で復活させることで、神宮勢力の心を繋ぎます。
同時に、領地の安堵と経済的な助力も申し伝え、安心して織田方に付いていただくつもりです」
信長様は無言でうなずかれる。その眼光は“続けよ”と促している。
私はさらに進めた。
「式年遷宮の勅許を得るため、朝廷へは上納金五百貫を用意します。」
「その使者は吉良殿が適任かと。」
「神宮には神威の復活を、朝廷には財と名誉を、同時に差し出して信長公の正統性を盤石にいたしま
す。」
頭の中で、伊勢の在地領主や神宮の古老たちの顔を思い浮かべる。
彼らの多くは、乱世で疲弊し、力の強い者ではなく“世を動かせる者”を求めている。
「熊野にも密使を送り、水軍や南方の物流の協力も取りつけておきます。」
「伊勢湾から熊野灘まで織田の旗が立てば、敵対勢力の余地は消えます」
信長様の表情は変わらないが、その沈黙に重みがある。
(神宮と朝廷、熊野――それぞれに“利”と“大義”を与え、織田に取り込む。武力だけでなく、祭祀と権威、そして実利の三本柱で伊勢を固めるのが要だ)
私は、さらに決意を込めて言った。
「必ずや、北鼻家を退け伊勢を、信長公の上洛に障害なき道をお開きいたします」
炉の火が、ぱちりと爆ぜた。
その音だけが、部屋に響いていた。
戦国の覇者は、ただ剣を振るう者ではない。
伊勢神宮への「式年遷宮の再興」、朝廷への献金と勅許、熊野水軍との交渉――
すべては、織田の旗を「天意」として掲げるための地ならしであった。
この章で描かれた秀吉の提案は、信長の上洛戦を「ただの侵攻」ではなく「時代の要請」として演出する土台である。
神・朝廷・豪族――この三者の支持を得ることが、信長の覇道を「正当化」する最も本質的な策だった。




