第53章 黄金のにぎわい
第53章では、砦から城へ、工事現場から“城下町”へと変貌を遂げていく恵那の風景が描かれます。
砦建設に従事していた人々が現銀を手にし、恵那の地に活気が生まれる――
物と人が流れ、笑いと商いが交差するその中心にあるのは、秀吉の見えざる采配でした。
ここで描かれるのは単なる賑わいではありません。
“乱世における経済圏の胎動”――城下町がいかに生まれ、秩序を持ち始めるのかという「都市形成の第一歩」です。
墨俣の砦でもなく、尾張の陣所でもない、**「秀吉が初めて統治の基礎を築いた場所」**としての恵那。
その始まりを、どうぞお楽しみください。
(1565年12月末)恵那 恵那城下
一か月も経つと、恵那城の周辺はまるで別世界だった。
村の若者や百姓、現場の人夫たちが金子を手にするうち、「城下でカネが回っている」との噂が尾張、美
濃、さらには信濃まで駆け抜けた。
最初にやってきたのは、野太い声を上げる行商人たちだった。
「木綿はいらんか!」
「旅の塩だぞ!」
「鍋釜安いぞ!」
荷車や背負い籠を並べ、川べりの仮小屋が即席の市に早変わりした。
次いで、赤や青の華やかな着物をまとった遊女や芸者。
「兄さん方、お疲れの体を癒していきなさいな」
仮設の茶屋には、昼間から男たちの笑い声が響く。
賭場師や薬売り、旅の祈祷師や芸人までが「この城下なら稼げる」と集まり、どこからか三味線や笛の音
まで聞こえてくる始末。
「どっこい、儲かるところには人が集まるもんだ」と、蜂須賀小六が呆れながらも目を細めた。
竹中半兵衛は冷静に、「この浮かれ気分も長くは続かん。いずれ治安や秩序も必要になる」と秀吉に耳打
ちする。
人も物も、金も笑い声も、すべてがうねりを作っていたが――その熱気を支えたのは、秀吉の細かな采配
だった。
「小六、露店・屋台は西の空き地だ。怪しい連中は必ず名札をつけさせよ」
蜂須賀小六は、若い衆を何組にも分けて警備に走らせる。
「半兵衛、食い物の炊き出しと食材の調達を全部お前に任せる」
竹中半兵衛は台所組の親方と一緒に、餅や団子、根菜の分配に目を光らせた。
「吉晴、工事組と道具の管理、盗難と火の元の見回りはお前の役目だぞ」
堀尾吉晴は石切場や木場を巡回し、棟梁や大工と段取りを詰める。
城下にはいくつも「持ち場」が生まれ、それぞれの組が責任を持って取り仕切ることで、雑多な人の波も
乱れず流れ続けた。
屋台通りの一角には、桶を並べて三河湾直送の「なれずし」――「鮒ずしもいいが、うちは三河湾の鯛ず
しとこはだずしだ!」売り子が声を張る。
桶には三河湾の 鯛、こはだ、はぜ、いわし、あじ などが、塩と飯でしっかり漬け込まれている。
鼻を突く発酵臭の向こうに、「遠州屋の鯛ずし、一本いかが!」賑やかな呼び声が響く。
小六配下の若者が「市での揉め事はすぐ知らせろ」と見回りを続け、半兵衛の手下は「食材が足りなくな
りそうなら早めに声をかけよ」と鍋をかき混ぜる。
炊き出し場では焼き栗や団子が積まれ、甘酒の香りに人が吸い寄せられる。
吉晴が通りを歩きながら、「板壁の材料はこの後搬入だ、火事だけは気をつけろ」と声をかける。
全体の動きは、まるで巨大な機械の歯車が噛み合うようにスムーズだった。
夜になると、秀吉は高台から灯りと煙の町を見下ろす。
配下たちの采配の成果を目に焼きつけ、「史実の秀吉が使ったと言われた手だが流石だ、まあ更に俺流を
加えたがな」と、静かに満足げに頷いた。
わずか八十数日で石垣が組み上がり、壁と板壁も次々に完成。
半年間で、川沿いの台地には堂々たる恵那城が形を成していった。
ご一読ありがとうございました。
この章では、恵那という地が“砦のある村”から“城下町の胚胎”へと変わっていく過程を、経済と人の流れを通じて描きました。
秀吉の命令が的確に下り、配下たちがそれぞれに役目を果たすことで、秩序ある自由市場が成立していきます。
雑然とした群衆も、“仕切り”さえあれば組織になる――この原則を、戦乱の地に持ち込んだことこそが秀吉の強みです。
また、三河湾からの「なれずし」や、屋台の甘酒、露店の遊女など、生活感に満ちた描写が「生きた城下町」のリアリティを高めています。
次章では、急報がもたらす“歴史のうねり”と、それに向けた秀吉の動きが描かれます。
恵那で築いた礎を一時預け、彼は再び“表の戦場”――都へ向かうのです。




