第51章 阿木川 火を孕む静寂
完成した梯子砦――だが、戦はまだ始まらない。
第51章では、砦が完成した直後の“奇妙な静寂”が描かれます。
外からの敵影はまだない。だが内部では、山田佑才たち忍びが動き始め、情報収集と警戒が強化されていく。
秀吉はすでに、砦が「仕掛けられた戦場」であることを知っており、静かにその点火を待つのみ。
この章では、“何も起きないこと”そのものが不気味な緊張として描かれます。
戦いは、音を立てずに近づいてくる――その予感が、読者の背を撫でる章になるでしょう。
昨日は対象が優れず更新お休みしましたので本日2回行使します。熱いので皆様も体調管理気を付けてください。
(1565年11月)恵那・阿木川
梯子砦の堤防と土塁が出来上がったので後は大工仕事だけだとなり大工以外は恵那城の縄張りに向かう。
阿木川の朝霧が晴れるころ、谷間の小高い台地に秀吉たちが集まった。
縄張りの始まり――山際に竹竿を立て、地面に巻尺を伸ばす音が新鮮だった。
「さて、お前たち。今日は“ただの測り”じゃないぞ。」
秀吉は寺子屋出身の若い者たちを呼び集め、地図を地面に広げて見せる。
「いいか、基準になる直線を引く。たとえばここの二本松と、あちらの大岩まで竹竿で一直線。これが“基線”だ。」
「ここから各地点への角度を“測角器”で測る。たとえば、あの松の木から三角形になるようにもう一点。」
「――これを繋げれば、どんな地形でも誤差少なく正確な位置が出せる。」
寺子屋で算術の得意な藤助が「サイン、コサインですね?」と得意げに尋ねる。
秀吉は「そうだ、三角の力を使う。分かるな?」と微笑む。
半兵衛が「これなら広い城地も少ない人数で早く測れますな」と感心し、吉晴が「基線が動かぬなら、あとは角度だけでどこまででも広げられる」とうなずく。
秀吉は測角器を藤助の手に渡し、「この器械で角度を記して、後は算術で距離を出す。どこが曲がり角になるか、どこを一直線にできるか、――みんなで競争だ」と声を張った。
若い衆が竹竿をかつぎ、斜面を駆ける。
目印ごとに角度を取り、測量表に記録していく。
秀吉は新しい設計図の下書きを膝の上に置き、ふと頭の中に、前世でパソコン画面を前にした自分の姿がよみがえった。
(――キャド……そう、CADソフト。点を繋ぎ、線を伸ばし、角度を打ち込み、全体のバランスを見る。あれを一晩で覚えようと必死でキーボードを叩いたっけ。)
頭の奥で、マウスを握る感覚やショートカットキーの記憶が、いま、竹竿と墨縄、和紙の設計図へと変わっている。
(基準線と、三角形のネットワーク。それさえ押さえれば、どんなに広い土地も図面に落とせる。昔も今も、やることは同じだな――)
自分の記憶の底で、現代と戦国が一つに溶け合った。
■現場に戻って
設計図には、犬山城を模した本丸と二の丸、川に沿った土塁と堀、そして新しい通用門の位置――「よ
し、次はこの角度と距離を合わせて杭を打て!」秀吉の声に、現場の若者たちが一斉に動き出す。
竹竿が風に鳴り、角度を測る藤助の目がきらりと光る。
「このやり方、きっと天下に広まりますな!」
誰かがそうつぶやき、秀吉も小さく笑った。
第51章は、完成した砦を取り巻く“不穏な静寂”を中心に描きました。
動かぬ敵、動けぬ味方。
砦は完成したのに、戦いは始まらない――この“空白の時間”こそ、実は最も神経をすり減らす戦場です。
秀吉は言葉少なに砦の機能を確認し続け、忍びたちはその周囲に“見えない警戒線”を張っていきます。
この章は、戦国時代における**「戦の始まりは音ではなく、沈黙から始まる」**という現実を描くための呼吸の一章でもあります。
次章では、この静寂を破る“狼煙”がいよいよ上がります。




