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第4章 忍び寄る刻

なにをどうやっても成功しない。

袋小路に嵌ってしまった日吉丸(健一)は8度目に別の場所に時間も遡り現れることになります。

その絶望までの様子をお読みください。

第4章


善得寺での穏やかな日々は、日吉丸にとって束の間の静寂だった。


だが、歴史の奔流(ほんりゅう)は、音もなく彼の背後に迫っていた。


ある朝、雪斎和尚が日吉丸を奥庭へ呼び出した。冬の気配が残る庭に、凛とした空気が張り詰めている。


和尚は一通の書状を差し出した。


「これを読め」

差出人は今川義元の側近、岡部小四郎。日吉丸の評判を耳にし、直々に会いたいと書かれていた。


「和尚様、なぜ私が……?」


日吉丸の問いに、雪斎はまっすぐ彼を見据えて言った。


「お主の兵法は書に留まらぬ。生きた理だ。いずれ、それを世で問われる時が来よう。」


「その前に、一度、風に当たってこい」


その言葉に背を押され、日吉丸は駿府へと向かった。


だが、岡部邸の敷居は高かった。門前で乞食と見間違われた日吉丸は、雪斎の名を口にしなければ中にすら入れなかった。


中でも冷たい視線は変わらず、所作の一つ一つが嘲笑と侮蔑の対象となった。


ある日には水を浴びせられ、「この場にふさわしからぬ穢れを落とせ」と罵られた。


それでも日吉丸は耐えた。雪斎の教えに背を向けぬため、自らの怒りを奥底で燃やし続けた。


だが、彼はまだ知らなかった――どれだけ才を示そうと、“下賤(げせん)”という影は消えぬのだと。


やがて日吉丸は、岡部小四郎との対面を果たす。威風を備えた武士ながら、言葉に知性がにじむ男だった。


「聞けば兵法に通じているとか。では問おう――“勝つべき戦”とは何だ?」


日吉丸は迷いなく答えた。


「民を守り、秩序を支えるために戦うならば、それは勝たねばならぬ戦。」


「生き残りや名誉のためだけの戦ではありません」


小四郎は目を細めた。


「理想だな。だが、戦場においては理想を貫ける者こそ少ない」


「それゆえに、知が要るのでは?」


しばし沈黙ののち、小四郎は微笑した。


「面白い。寺にはない風がここにはある。しばらく滞在せよ」


こうして日吉丸は岡部邸に身を置くこととなった。折しも尾張との緊張が高まり、屋敷内も慌ただしくなっていた。


ある夜、小四郎と地図を広げ兵談していた日吉丸は、ふと口を開いた。


「この“桶狭間(おけはざま)”という地形、挟まれた谷地で兵が密集しやすく、包囲されればひとたまりもなさそうですな。古来の街道の話から見ても、危うい場所と見えます」


小四郎の手が止まった。

「……その見立て、他言無用だ。義元様にもまだ言っておらぬ。だが、そなたが気づくとはな」


それは、運命の幕開けだった。


後日、桶狭間で今川軍は大敗。混乱のさなか、日吉丸は突如捕らえられた。


「お主、織田に通じていたな?」


「下賤の身があれほどの助言をできるものか」


「裏切り者だ」


屋敷内で囁か(ささやか)れる疑念と差別の声は、日吉丸を牢へと追いやった。


雨音が響く牢の中、彼は天井を見上げ、薄く笑った。


「負けて、これか……」


だが、それで終わらなかった。


日吉丸は、気づけば再びあの兵談の場に戻っていた。


敗北、捕縛、死。


彼はそれを五度、六度と繰り返した。


そのたびに策を講じ、言を尽くしたが、誰も彼を信じなかった。


――理由は明白だった。出自、そして“空気”である。身分の壁は、いかなる知よりも重く、言葉よりも強かった。


「七度目の転生の果て、日吉丸は泥にまみれた牢の中で、冷たい天井を見つめながらついに悟った。


『ここでは、何をどう動いても、空気が変わらぬ限りすべて徒労……ならば、変えるべきは、この身分制度に縛られた構造そのものだ』」


今川では「下賤の身の者が才能を示すことへの拒絶」という集合意識”空気”が強すぎて歴史を変える舞台に立つことすらかなわないと見切った健一であった。


次に目覚めた時、彼は驚愕する。


――時は、桶狭間の“前年”に戻っていた。


この機を逃せば、また空気に潰されるだけだ。


「信長に仕える。それしか道はない」


日吉丸は、歴史を変えるため、自らの宿命を断ち切るため、ついに決断する。


“今川ではなく、信長へ”――この決断が、日吉丸にとって、そして戦国という時代にとって、新たな運命の扉を開くことになるのだった。



ご覧いただきありがとうございます。


本章は、「過去と自分をつなぐ手がかり」が浮かび上がる内省的なパートでした。


これは、彼の才覚が既存の秩序(出自)を脅かす「異物」と認識された結果であり、その才が理解不能なものとして「空気」の中で排除された最初の具体的な例と言えるでしょう。


彼の言葉は、彼らが長年培ってきた経験や常識を否定するかのようで、家臣たちの内心に漠然とした不安と不快感を植え付けてしまったのです。

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