第36章 長島輪中決戦
ついに、歴史が動き出します。
本来は永禄12年(1569年)に起こるはずだった「長島一向一揆」。
だが転生者・秀吉(健一)は、その悲劇を“5年早く”仕掛ける決断を下しました。
目的は、被害の縮小か、それとも…歴史の“修正力”への挑戦か。
潜入、調略、包囲。歴史の流れを変えるべく打たれた数々の策は、果たして運命に抗えるのか。
「思想」と「集団心理」という“見えざる敵”に挑む、最初の大局面がここに描かれます。
(1564年6月)長島輪中
――本来なら、長島一向一揆は永禄十二年(1569年)になってから起き、信長軍を長年苦しめることに
なるはずだった。
しかし歴史の修正力をねじ伏せるように、秀吉(健一)は伊賀者の祐才とともに、一向衆への潜入工作を
仕掛け、蜂起の時期を5年も早めることに成功した。
その背景には、想定外の事情がいくつも重なっている。
まず、美濃平定の際、ほとんど大きな損害を出さずに斎藤家を打ち破れたことで、尾張の兵がそのまま温
存された。
つまり、長島の包囲戦には尾張勢を総力投入できる、歴史上ほとんど例のない状況が生まれていた。
――岐阜城軍議の夜。
「祐才、よくやった。お前の潜入がなければ、こんな早く事が動くはずがない」
秀吉は密かに祐才を呼び寄せ、労いの言葉をかけた。
「長島の坊主どもの腹の内まで見透かしていたな。」
「おかげで相手の準備が不十分なうちに、包囲をしかけられる。」
祐才は静かに頭を下げた。
「殿の念入りな調略のおかげです。門徒内部の対立も見抜けました」
――三方からの包囲が始まり、輪中地帯は水と土に閉ざされていく。
兵糧も、水路も、夜ごとの舟も秀吉の手配した間者が密かに押さえ込んだ。
それでも、長島の門徒衆は三ヶ月にわたって頑強に抵抗した。
秀吉自身、包囲の進展を見ては何度も「このままでは犠牲が増えるだけ」と感じ、ついに信長の許しを得
て、説得の使者として単身長島へ乗り込んだ。
彼の胸には、何としてもこの悲劇を止めたいという、切実な願いがあった。
彼の脳裏に、あの白装束の声が響いた。
「抗うな。お前が加速させるほど、『遺伝子進化圧』は強まる。これは『定められた法則』だ」
この章では、転生者としての知識や策略を駆使しながらも、群衆の「信仰」と「空気」に苦しめられる秀吉の姿を描きました。
どれだけ合理的な策を講じても、感情や信念、そして“集団の意志なき意志”が介在する時、それは無力になる――
その理不尽さ、歴史の“意思”のようなものを、書いていて私自身も感じました。
この戦いは、ただの軍事衝突ではありません。
“未来の知”と“過去の熱情”との、激しい精神戦でもあるのです。
次章では、その試みの果てに待つ「敗北と覚醒」、そして「痛み」が深く描かれます。どうか心してご覧ください。




