第34章 箱型水田改革 村の測量始まる
国を変えるには、まず村を変えよ――
いよいよ犬山の水田改革が、実測と幾何学をもって本格始動します。
この章は、「数字と直角」で村を整えるという、“理系の戦国大名”藤吉郎の真骨頂ともいえるエピソード。
巻尺・竹竿・六分儀(の原型)を手に、百姓たちとともに村の骨格を描き直していく過程は、まさに**“土の上の革命”**です。
そして、若き小姓たちが各自の特技を活かして成長していく姿にもご注目ください。
(1564年1月)犬山
寒さが残る1564年の新年。
犬山からほど近い村では、秀吉のもとに集まった百姓たちが、朝早くから竹竿や巻尺を抱えて集まっていた。
田の形を“箱型”に整え、効率よく水を流すための大工事が、いよいよ始まるのである。
秀吉のそばには、四人の小姓がいた。
小姓頭の三好孫四郎は、几帳面で手先が器用。
手作りの巻尺を伸ばし、現場をきびきびと取り仕切る。
伊藤喜平次は好奇心のかたまり。
六分儀の原型を「見せてくれ、俺にもやらせてくれ!」と騒ぎつつ、村の子供たちに囲まれていた。
桑名弥一郎は数字好きで、寺子屋で一番の算術頭。炭筆を片手に、計算表と和紙
にかじりついている。
庄内源太は年下だが力自慢。
重い竹竿の束を両肩に担ぎ、どこまでも明るい声で先頭に立っている。
半兵衛が現場をぐるりと見回す。
「よし、みんな集まったな。今日は村の南端の高台と、北の石塔を“基点”にする。」
「まずはこの二点の間にまっすぐな“基線”を引くぞ。」
三好孫四郎が巻尺を南端の高台の地面にぴたりと合わせる。
源太が竹竿を持って、基線に沿って百歩、二百歩と進む。
「竹竿、三本分!縄も伸ばせ!…止まれ!」
孫四郎が合図を出し、村人たちが縄を引っ張ってぴんと張る。
「ここが基線の終わりだ!」
秀吉がゆっくり歩み寄る。
「よし、これが“村の物差し”になる。次は“角度”を測るぞ。喜平次、六分儀を渡せ。」
喜平次が嬉しそうに六分儀の原型を掲げて差し出す。
秀吉はそれを観測点に据えると、遠くの山の頂き、そして村はずれの寺の屋根を順番に見据えて、糸と目
盛りで方角を測った。
「三つ目の点は――そうだな、村役人の家の屋根を使おう。」
「ここから寺と屋根、そして山頂、三点を結んで三角形を作る。」
桑名弥一郎が和紙にすばやく角度と距離を書き入れる。
「ここでサインとコサイン、あとこの表の数値を使えば、三角形の各辺の長さが計算できます。」
秀吉が村人たちをぐるりと見渡す。
「三角形をいくつも繋いでいけば、村全体の地図が出来上がる。」
「これが箱型の田や水路を決める土台になるんだ。」
半兵衛がさらに説明する。
「作った地図は必ず残せ。炭筆で記録し、和紙は濡らさぬよう気をつけるんだ。」
「直定規で線を引き間違えたら、すぐにやり直せ。」
村人たちが緊張した顔で作業を進めていく。
最初は竹竿や縄が絡まり失敗もしたが、孫四郎が「落ち着いて、ここを抑えて!」と声をかけ、源太が
「大丈夫、持っててやる!」と力強くフォローする。
桑名弥一郎は「あ、角度が違う。ここからここはもっと開くはずだ」と気づき、再度六分儀で角度を確認
し直した。
伊藤喜平次は村の子供たちと一緒になって、目盛りの読み方や磁針の向きに夢中だ。
秀吉は村の名主や寺子屋出身の若者たちにも声をかける。
「数字や図が得意な者は、弥一郎のもとで計算を学べ。」
「迷ったら早見表を見るといい。俺も手伝うからな。」
徐々に作業が進み、村の地図が和紙の上に現れ始める。
「これが村の新しい形になるんだ。まず水路の位置を決め、そこから田をまっすぐ切り分ける。」
「次の村でも同じやり方でやる。皆で力を合わせれば、いずれこの一帯の田がすべて箱型になる!」
村人たちは戸惑いと期待の入り混じった表情で、できあがりつつある図面を覗き込んだ。
秀吉が最後に、明るく声を上げる。
「今日の苦労が、来年再来年の豊かさになる。みんな、頼んだぞ!」
小姓たちは、誇らしげに胸を張ってそれぞれの役割を果たしていた。
冷たい冬の空気のなか、村に新しい希望の息吹がゆっくりと広がっていった。
ご覧いただきありがとうございます。今回は、いよいよ水田改革の“現場編”でした。
戦国の農村に三角測量が登場する瞬間――その違和感は、未来への布石でもあります。
藤吉郎の改革は、単なる“思いつきの農業改善”ではなく、制度化・標準化・人材育成を伴う「近代」への道。
名主・若者・子供をも巻き込む教育型プロジェクトである点も大きな特徴です。
また、小姓たちの役割分担を通じて、藤吉郎のチームづくりとリーダーシップの萌芽が見えてきました。
土を測り、水を通す者こそが、この時代の“真の支配者”になっていく――そんな予感を、冷たい風の中に感じていただければ幸いです。
次回は一転して緊張感高まる軍議回。長島一向一揆がついに動き出します。
お楽しみに!




