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第33章   深夜の密談

一国一城の主となった藤吉郎(秀吉)は、もはや“成り上がり”ではいられない。

この章では、美濃平定後の「周囲諸国との地政学的な緊張」と「織田家内部の力学」が静かに浮き彫りになります。

夜更けの囲炉裏を囲んだ密談は、酒と炭火のぬくもりの中にあっても、冷たい現実と火種のにおいを孕んでいます。

信濃の武田、三河の家康、伊勢の一向衆、近江の六角と浅井、そして商人勢力――「見えない戦場」が、ついに幕を開けようとしています。

(1564年1月) 犬山城


新年の宴もお開きとなり、犬山城の一角にある小さな囲炉裏部屋には、秀吉、半兵衛、伊賀者の山田佑才


(すけとし)、修験者の熊野空円だけが残っていた。


外は雪。城の静寂に、炭火がわずかに赤く揺れている。


秀吉は杯に残った酒を口に含み、ゆっくりと吐息をもらした。


「……美濃を取ってからというもの、空気が変わったな。」


「岐阜を抑えれば、ただの戦さ人ではいられん。国が広がれば広がるほど、周囲の目も鋭くなる。」


半兵衛が、火を挟んで地図を広げる。


「まずは北と東、信濃の武田信玄。すでに信濃はほぼ手中。」


「越後の上杉と睨み合いつつも、間者の動きが美濃国境で目立ち始めています。山田殿、どうだ。」


山田佑才が静かに頷く。


「高遠、小諸、諏訪あたりから人の動きが増えました。」


「武田の間者が村々を探り、もし隙あらば、即座に軍を動かす構えでしょう。」


熊野空円が深くうなずく。「信濃は山ばかり。けれど、そこを越える兵こそが脅威です。」


「武田の兵は皆山岳移動が早い。こちらの守りが緩めば、一気に攻め込まれるやもしれませぬ。」


半兵衛が地図に指を這わせる。「岐阜を取っても、信濃からの圧力はむしろ強まった。」


「武田が美濃を睨み、隙あらば西へ動く――それがいまの空気です。」


秀吉は囲炉裏を見つめたまま、ふっと笑う。


「そうさな。武田信玄――やつは油断ならぬ。“信濃の牙”を忘れるな。」


しばし沈黙が流れたあと、秀吉が声を落とす。


「三河の家康についてはどうだ。」


半兵衛は素早く応じる。


「今は清洲の盟約あり。家康殿と信長様が手を結び、尾張・美濃の東は安泰。」


「家康殿も今川を完全に振り切り、三河を固めています。」


「最近は美濃との使者も増え、いざという時はすぐ動ける体制です。」


祐才(すけとしが続ける。


「三河国境では、商人や薬売りに紛れて両家の間者が行き交っておりますが、むしろ情報の流れが良い証


し。東の心配が薄れた分、今は西と北に備えることができます。」


秀吉はゆっくりと頷く。「家康が同盟者であるのは、心強いことよ。」


熊野空円が口を開いた。「今川は駿府にこもるばかりで、力は衰えました。」


「しかし配下の浪人が各地に流れ、時に一揆や混乱の火種となることも。油断はできませぬ。」


半兵衛が地図を見ながら言う。「南近江の六角義賢。家中は不和が続いておりますが、名門の地力は残っ


ています。」


「こちらが近江に手を出せば、六角が国衆を煽って妨害してくるでしょう。」


佑才(すけとしが補足する。


「北近江の浅井長政も注目です。若いが家中の信望厚く、朝倉義景と姻戚関係。今は動かず様子見です


が、六角・朝倉と繋がれば北から圧力となります。」


熊野空円が静かに続ける。「今のところ朝倉義景は越前に籠り、表立った動きは見せていませんが、越


前・若狭の商人や僧を通じて情報を収集しています。」


「兵糧や銀が動き出せば、軍勢が動く合図と見て良いでしょう。」


半兵衛はもう一度地図を指で押さえ、低い声でまとめた。


「長島の一向衆――ここも油断できません。」


「今は静かに勢力を蓄えており、伊勢・美濃の門徒や流浪の者たちが集まり始めています。」


「こちらの動き次第で、いつ蜂起してもおかしくありません。」


熊野空円がそっと囁いた。


「堺や伊勢の商人も侮れませぬ。鉄砲、薬、塩の流れを握り、味方にすれば力となりますが、動き一つで


簡単に裏切る連中でもあります。」


そして半兵衛が少し間を置き、声を落とした。


「……我ら織田家も安泰とは言い難い。新参・譜代の駆け引きも始まりました。」


「外よりも内に、意外な綻びが生まれることもあります。」


囲炉裏の火がぱち、と小さくはじけた。


秀吉は皆の顔を順に見回し、言葉を締めくくる。


「――どの勢力も今は静かに息を潜めている。だが火がつけば、いっせいに動き出す。」


「油断なく見張れ。何か兆しがあれば、すぐ知らせてくれ。」


四人は深くうなずき合い、雪の夜の犬山城には、次なる嵐の前の静けさが満ちていた。


彼の心には、すでに次の局面への準備が始まっていた。

この章は、戦国を「外交と諜報の戦い」として描く転機です。

藤吉郎の側近たちは、単なる家臣ではなく、各勢力の“内情”を読み取る分析官・戦略家として機能し始めています。

また、戦場に現れない「情報」「信用」「地理」の価値を物語に組み込むことで、今後のストーリーの緊張感と奥行きを加える布石となっています。

“雪の静けさ”が印象的な本章ですが、実はここが物語の**「大火の前の火種」**にほかなりません。

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