第31章 養蚕業とシイタケ栽培
新たな産業革命は、意外にも“虫と菌”から始まった――。
本章では、藤吉郎が現代知識を武器に、養蚕とキノコ栽培という農村の副業を立ち上げる過程が描かれます。
失敗と手探りの中で生まれた一つの繭、一つのシイタケ。
それらは、貨幣よりも静かで確かな“価値の誕生”を象徴します。
健一は今後も自分の用いる戦術は全て大量の物資とお金を必要とする事をわかっています。少しでも足しになるようにと始めます。
(1563年8月)
養蚕業
八月。犬山の山里は朝夕に秋の気配をうっすらと漂わせながらも、昼間はまだ蝉の声が賑やかに響いていた。
桑の葉が青々と繁る伊賀者の里――その奥の二階建ての家々では、春に産まれた犬山産第一号の蚕たち
が、ようやく小さな繭を巻き始めていた。
最初に仕入れた蚕は五百匹。
だが、飼育は思いのほか難しく、繭までたどり着いたのは五十匹程度。
餌やりや温度、湿気、掃除…ひとつとして気が抜けず、藤吉郎も伊賀の女たちも手探りの連続だった。
仕入れ先の農家の老人は、忙しい合間を縫って何度も山里まで足を運んでくれた。
「初めてにしては、よくやったもんだよ。」
結果を報告すると、老人はそう笑って励ましてくれた。
「普通はな、全滅するもんだ。たった一匹も繭にならんことだってある。」
それを聞いて、里の女たちも胸をなでおろした。
「最初は全部死んじまうって言ってたけど、五十もできれば…」
彼らの顔には、安堵と、かすかな希望の光が宿った。
八月の陽差しの中、ようやく巻き上がった白い繭が、細い糸のかたまりとして手のひらに乗った。
その重みは、金や米袋とは違う、新しい“価値”だった。
藤吉郎は繭をそっと掌に載せ、その小さな塊から無限の可能性を感じ取っていた。
これこそ、戦国の世に安定と富をもたらす「血の通わぬ産業」の礎だと。
やがて、その繭から産まれた蚕は、一匹につきおよそ三百個の卵を産んだ。
数えてみると、全部で一万四千を超える小さな命が孵った。
春から秋までの養蚕は二、三回できると聞いた。
次はもっと多く、もっと上手くできるだろう――そんな希望が、桑の葉を揺らす風とともに、犬山の里に
静かに広がっていくのだった。
シイタケ栽培
秋風が山を抜け、夜は早くも肌寒さを感じる季節となった。
寂光院の裏手、しっとりとした谷筋に、藤吉郎が特別な思いで並べたクヌギの原木が並ぶ。
今年の春、彼はシイタケ栽培に挑んだ――ただの贅沢ではない。
もし成功すれば、これまで犬山にはなかった新たな“財”になる。
そもそも、この時代のシイタケは高級品。
菌種は何とか三本だけ集められた。
その記憶は、今も鮮明によみがえる。
(回想)――米を蒸して、まだ熱いうちに器に広げる。
傘裏をこすり、取り出した菌糸をその米に撒いた。
この米が「金種」だ。すぐに特注の蓋つきの器に移し替える。
現代の“シャーレ”の記憶が脳裏に蘇る。
南向きの部屋の、北側の棚をきれいに拭いて器を並べた。
竈には火を絶やさず、お湯を沸かし続けること三週間。
器や菜箸、すべてを蒸してから使う――現代の衛生概念を持ち込んだ藤吉郎の振る舞いに、村人たちは首
をかしげていた。
「殿は最近、蒸し物ばかりやっとるなぁ。」
「何やら、坊さんみたいなことを……」
しかし、笑われても手は抜かなかった。
無菌操作の苦労、失敗への焦り――だが、やがて真っ白な菌糸が米の上にじわりと広がっていったとき、
手が震えるほどの達成感を覚えた。
原木には、クヌギを一尺ほどに切り分け、一カ月陰干ししたものを使った。
金種を埋め込み、日陰の湿った場所にそっと並べる。
「これで、芽が出てくれれば……」
――だが現実は甘くはなかった。発芽したのは四割程度。
それでも、原木から初めて顔を出した小さな茶色いシイタケを見つけた朝、藤吉郎は思わず息を呑んだ。
秋の露に濡れ、陽に透けるその傘。
一つ一つの命の重みが、これまでの日々の努力に静かに報いてくれた。
「たったこれだけ、されど、これだけ。」
失敗も多かったが、その苦労はやがて犬山の新しい希望へと変わっていくのだった。
この章は、“戦わない力”を描きました。
蚕は絹へ、シイタケは食卓へ、そしていずれは貿易品として“銭”に化ける――。
藤吉郎の現代知識が「軍事」から「民政」へと重心を移し始めた転機でもあります。
特筆すべきは、微生物・衛生・温度管理という、戦国では馴染みの薄い観念を農村に持ち込もうとする姿勢。
それは滑稽に見えつつも、確かに村の未来を変え始めている。
成功の兆しはまだ小さくとも、その意味は“鉄砲より重い”かもしれません。




