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第22章  策と備え、忍びの風

田植えの季節。

豊穣を祈るべきこの時節に、斎藤家は戦を選んだ――。

本章は、戦いの前夜にこそ必要とされる「目に見えぬ力」に焦点を当てます。

藤吉郎は“農民”を戦力に変え、“口で飯を食う者”を情報源に変えた。

商人・修験者・語り部・巫女――情報こそが最強の武器であると信じ、伊賀にすら手を伸ばし始めた墨俣の砦。

戦国の城が、物理の要塞から“情報の拠点”へと進化する瞬間が、ここにあります。



(1562年五月) 墨俣。


春の終わり。長良川の流れは力を増し、川辺には戦の気配が漂い始めていた。


斎藤龍興――墨俣の隆盛と民の離反に焦りを募らせた若き当主が、ついに動いた。


美濃の空気が張りつめる中、織田軍団もまた、静かに兵を集めていた。


周辺諸侯の動静(永禄五年)。 この時、尾張と美濃を囲む諸国もまた、揺れ動いていた。


六角義賢(近江):一時は近江を制したが、今は最盛期を過ぎ、浅井との関係が悪化。国内も不安定。


浅井長政(北近江):六角の圧に反発し独立志向を強める。近江の覇権を巡る緊張が高まる。


三好長慶(畿内):依然として権力を握るも、病と後継問題で不安が広がる。


松永久秀(大和・摂津):三好家を支えつつ、己の自立を密かに模索。


北畠具教(伊勢):内紛状態で動けず。織田との関係は未確定。


伊賀国衆:伊賀一帯は未だ国衆割拠の地。中央権力とは距離を保つ。


朝倉義景(越前):今は内政に注力。外交的には六角・将軍家と穏やかな関係を維持。


加賀一向宗:寺内町を中心とした自治体制を維持し、教勢拡大に専念。武力衝突は避ける姿勢。


このように、近隣勢力の多くは内政や調整に追われ、今この瞬間、軍を大規模に動かせるのは織田と斎藤――それのみであった。


密偵と田植えと斎藤軍の動き。


墨俣に出入りする商人の中には、斎藤領にも店を構える者がいた。


彼らの口から、田植えが終わり次第、斎藤軍が大規模な動員を始めるという噂がもたらされた。


特に米、武器、皮、塩、味噌といった必需物資の買い込み量が、斎藤家とその家臣たちの間で急増しているといい、軍事行動の前触れと見られていた。


藤吉郎はすぐさま岐阜へ使者を立て、信長に状況を報告するとともに、与力の派遣を打診した。返答を待つ間、砦では半兵衛を交えた対策会議が開かれた。


「来るなら田植え明けや。六月の初め、早ければ月末やな」


「出来るだけ多くの敵兵力をこちらに引き付けておくのが目的です。」


その声に、藤吉郎はうなずいた。


「家臣を募る。農民でも構わん、鍛冶場で働ける者、炊き出しができる者、全部戦力や」


村々へ使者が出され、墨俣の旗の下に集う者たちが名乗りを上げた。


また藤吉郎と半兵衛は、商人や修験者、旅の語り部などがもたらす情報の価値に改めて気づかされる。


戦の動き、物価の変動、村々の不満、斎藤家内の不穏な空気――それらの情報は、正規の密偵よりも早く、しかも自然な形で流れてきた。


「口で飯を食う者は、耳と舌が利く。そやから、放っておかん方がええ」

と半兵衛が言えば、「そういう者らに、役目を与えて繋ぎ止めておくことやな」と藤吉郎が応じた。


こうして二人は、墨俣発の“情報網”の礎を築き始めた。名簿の作成、口利き人の配置、往来の監視。墨俣の砦は、軍事の拠点にして、情報戦の要へと変わり始めていた。


さらに藤吉郎は、伊賀の地に精通した者を密かに送っていた。伊賀の地を捨てて配下となってくれる一族を探し出すために。


この時を境に、藤吉郎は明確に“情報”という力を積極的に取り入れることにした。


制度として築こうと決めたのだった。


商人・修験者・巫女・語り部・旅芸人に加え、伊賀の忍――あらゆる立場の者が、藤吉郎のために耳を澄まし、目を光らせる体制が、密かに、静かに、準備されていった。


彼の心には、戦国を生き抜くための新たな「武器」を手に入れたという、静かな高揚感が広がっていた。


先遣隊の足止めと織田の動き。


墨俣の砦に迫った斎藤軍の先遣隊は、あまりに強固な迎撃態勢に恐れをなし、本隊の到着までの十日間、遠くから様子をうかがうだけで動きを止めた。


この間隙を、織田信長は見逃さなかった。


藤吉郎の献策通り、まず尾張の不穏要素である犬山城の織田信清を包囲し、圧力をかけ始めた。


同時に、佐久間信盛率いる別動隊が、笠寺付近に陣を張り、斎藤軍の背後への圧を強めた。


墨俣を中核とし、北からの圧力、南からの陽動、そして西からの突進――その布陣が徐々に完成しつつあった。

この章は、墨俣という一砦が「情報国家」の萌芽を内包し始める過程を描いています。

軍事的な戦力だけでなく、情報網・人的ネットワーク・社会構造の統合――

それらがすべて、“成り上がり者”である藤吉郎の手によって制度化されていく様は、彼が単なる軍人ではなく、国家経営者であることを証明しています。

また、半兵衛とのやりとりに見える軽妙さは、制度の裏にある人間臭さや柔軟さをも浮かび上がらせます。

次章では、この“準備”が真価を発揮し、戦場において圧倒的な矢雨となって敵を迎え撃つことになります。

――そう、「戦いは戦う前に、勝負が決している」のです。



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