第21章 チートの城
藤吉郎、ついに侍大将へ。
百姓の子として始まったその歩みは、墨俣の砦を「民の城」「技の城」「知の城」へと育てあげ、今や“領主”と呼ばれるほどに。
だが、成り上がりに向けられる視線は冷たく、敵意すら孕む。
この章では、出自の壁と向き合いながら、藤吉郎が「制度」と「教育」で民を根づかせ、“治政”の形を築いていく過程が描かれます。
それは、ただの砦ではない――「国」の萌芽が胎動する、静かな革命の始まりでした。
第21章(1563年)正月 墨俣
侍大将の任命。
藤吉郎は正式に侍大将として墨俣の任を受けた。
清洲ではその出世にざわめきが広がった。
「成り上がりが一城の主だと?」
「百姓風情が家老気取りか」
老臣や譜代の一部からは、深い妬みと警戒が噴き出していた。だが藤吉郎は答えなかった。
成果で黙らせる道を選んだ。彼の心には、言葉で反論するよりも、行動で示すことの重さが刻まれていた。
増える民、増える手。
年が明けると、逃げてくる農民たちの数がさらに増えた。
最初は斎藤領からの流民が主だったが、やがて東の近江からも人々が現れ始めた。
六角氏と浅井氏の抗争が激化し、滋賀の村々も戦火に巻き込まれていたのだ。
「こちらにも来てくれ、道はつながっている」
藤吉郎は受け入れを拡大し、墨俣は西美濃のみならず、近江の避難先にもなりつつあった。
家を焼かれ、種籾を奪われた者たちが、舟で渡り、道を歩き、雪を踏み越えて墨俣へと辿り着いた。
「斎藤領じゃもう暮らせん。あんたのとこに入れてくだせえ……」
「年貢でも何でも払います。働きます、何でもしますで……」
藤吉郎は、その一人ひとりを無下にせず、名前を聞き、手を握り、役割を与えた。
ある年老いた男には「釘を打てるか」と聞き、大工見習いとして小屋の建築に加えた。
痩せた子どもには「字は書けるか」と尋ね、寺子屋に入れて炊き出しの手伝いをさせた。
彼らの目に、少しずつ光が戻っていく。
それは藤吉郎にとって、どんな戦の勝利よりも意味のある手柄だった。
「家がない? 木を割れ。小屋を建てろ。口が動くなら市で荷運びじゃ」
彼らは生産の手となり、流通の脚となり、さらには小屋を建て、子どもを育て、墨俣を支える新たな民として根を張っていった。
鍛冶場では試作が続いていた。
連弩(矢を連射する機構) 均整化された車輪 改良された農具 高炉の基礎研究 武器と農具の両立こそが国の根。藤吉郎の信念だった。
市が広がり、物流と金銭が急増する中、藤吉郎は複式帳簿を導入した。
墨俣では冥加金(保護税)を徴収していたが、これは年払い制である。
農民は収穫まで金がなく、商人も売り上げの後で支払う。
支払いは遅れ、常に帳簿の信用で支えられていた。
「貸方に“持ち込み”、借方に“持ち出し”、決済は年末。こういう遅れた流れこそ、複式帳簿で掴むしかないんや」この制度により、信用が記録され、取引が安定し、課税が正確になった。
それは武力ではなく帳簿によって秩序を作る仕組みだった。
■寺子屋と手柄。
藤吉郎は、清洲で始めていた寺子屋制度を墨俣に広げた。
最初は子供だけだったが、やがて兵や百姓も学び始めた。
「読み書きできる者は記録役や伝令に回せる。手柄にも直結する」
読み書きと戦の成果が結びついたことで、学びへの関心が爆発的に高まった。
そもそも日本の農村には、他国にはない識字の土壌があった。
ヨーロッパと比べ、農民の読み書き率が格段に高かった理由――それは、農耕にまつわる制度的な切実さにあった。
田畑、水利、里山の利用においては、すべて領主が発行する権利書が基準となる。
それを読み、理解し、自分の名前を書けなければ、土地を奪われる危険があった。
だからこそ、村長や有力な農民たちは、読み書きができねば生き残れぬという現実を背負っていた。
このような事情が、日本の農村における識字率三割という高水準を支えていたのだ。
藤吉郎は、これをさらに八割にまで引き上げることを密かに目論んでいた。
戦場においても後方においても、指示を読み書きできる人材は貴重であり、彼にとっては戦の勝敗を分ける“見えざる軍備”だった。
民が読み、記す力を持つことで、統治はより効率的かつ公正になり、墨俣は単なる砦から、機能する“政”の場へと変貌していく――その未来を、藤吉郎は既に見据えていた。
それは、読み書きができることが、単なる知識ではなく、“生き抜くための武器”であると信じていたからだ。
■国家の器。
川沿いに並ぶ舟、整然と置かれた荷。
回る水車、響く金槌の音、読み上げられる帳簿の数字。
その裏では、元斎藤領の百姓たちが、町人・兵・職人へと姿を変えていた。
それは、まだ城とは呼べぬが、明らかに“国の器”だった。
鍛冶場が脈打ち、市が広がり, 流民が定住し、新たな秩序が生まれつつある――まるで器に国の形が注がれていくようだった。
風は、下から吹いていた。それは、まだ誰も名付けていない“国づくり”の風だった。
その風の中心に立つ藤吉郎の姿を、半兵衛は静かに見つめていた。
(あのとき語った夢が、ひとつ、またひとつ、形になっていく……)自ら言ったことを、藤吉郎は次々と現実に変えていく。
それはまるで、口にした瞬間に道が拓けるかのような力強さだった。
「――あいつは、有言実行の人やな」
つぶやく半兵衛の眼差しには、戦友を超えた敬意と、深い感動が宿っていた。
寺子屋、複式帳簿、冥加金、鍛冶場、技術、教育、信用――
この章に登場したすべては、のちの豊臣政権を下支えする“制度の核”となる萌芽です。
とりわけ注目すべきは、「読み書きと手柄の連動」。
これは戦国の“才ある者のみが伸びる”世界に、広く門戸を開くという破格の思想でした。今回の物語は朝鮮出兵までは行かない予定です。ですが石田三成の孤立無援の状況を回避したい思いと、教育立国日本の歴史に触れておきたいと考えて書きました。
そして識字を「生きるための武器」と定義した点は、政と軍の両立を志す藤吉郎の核心を示します。
「風は、下から吹く」――
この言葉こそ、成り上がりの美学ではなく、「下からの国づくり」という反骨の哲学を象徴しています。
次章では、その墨俣が“忍び”と“情報”という見えざる武力を得ていく過程が描かれます。




