第1章 日吉丸、駿府に現る
飢えと寒さ、そして空気の支配――
転生した健一=日吉丸は、戦国の村社会の理不尽と向き合うことに。
彼の前に立ちはだかるのは、“力”ではなく“仕組み”だった。
そして、ひとつの出会いが新たな未来を開く──
炭と土のにおい、畳の感触、そして裸足の足裏に冷たい朝露の感覚――。
坂村健一は農村から街まで歩きながら、自分が現代を離れたことを徐々に納得した。
目の前に広がるのは、粗末な麻布の衣、竹の札、牛車との声。
城下の通りには刀を差した足軽や兵が行き交い、遠くでは太鼓や陣鐘の音が響き、戦の支度が進められて
いた。
市には戦乱に焼け出された農民が身を寄せ、女たちは武家に仕える下働きの噂話で持ちきりだった。
彼は今、混沌と欲望、そして血の匂いが入り混じる、16世紀の日本――戦国の世にいた。
名前は「日吉丸」。
尾張の山間部、小さな村の出身である。
村は半ば共同体で、ほとんどが血縁者で構成されていた。
田畑や山の恵みを皆で分け合い、家父長のもとで暮らす日々は一見平和であったが、豊かとは言えなかっ
た。
男女の結びつきも今ほど厳格ではなく、働き手としての能力が重視され、多夫多妻に近い形も推奨されて
いた。
集落の存続が全てという中で、日吉丸は父も曖昧なまま、「家」の一員として育てられた。
ある冬の寒い朝、日吉丸は風邪をこじらせて高熱を出し、数日間生死の境をさまよった。
家人たちは死を覚悟したが、奇跡的に彼は息を吹き返す。
ただしそれは、かつての“日吉丸”ではなかった。坂村健一の意識が宿った、新たな器としての再生だった
のである。
読み書きなどない世界だったが、彼は物語を語ることや人の動きを読むことに長けていた。
だが戦が近づくにつれ村は荒れ、土地は奪われ、飢えと暴力が日常となる。
食うにも事欠く状況の中、村の大人たちは口減らしのために、最も逞しく外に出られそうな日吉丸を送り
出すことを決めた。
彼もまた、それが一族のためになると理解し、幼い弟や母を守るためにも旅立ちを受け入れた。そうして
一人、密かに山を越え、やがて流れ者として駿府へと辿り着いた。
健一の意識は、地球を覆う超資本主義的な選民思想「ARC計画」に関わった結果、自らが除外される側に
落ちたことに絶望、中東支部に飛ばされた直後に転移したのだった。
自らの行動が、生命と文明を分断する思想に加担していたことを知ったその夜、中東支部での爆破テロに
巻き込まれた。
そして目覚めた時、彼は日吉丸という肉体に宿っていた。飢えと寒さにさらされる中で、彼は確かに“別
の時代”にいることを悟った。
「腹が減っては、理念も語れぬな・・」
健一は、現代で自らが関わってしまった選民思想に思いを馳せながらも、まずは“生き延びること”を第一
目標に定めた。
その日、彼は市の片隅で針を売っていた。実際には「針を売る」というより、「女性に針を買わせる工
夫」をしていた。
たまたま知り合った針売りの男がけがで寝込んでしまい、その治るまでの間、代わりに仕事を任されたの
だ。
幼いながらに言葉巧みに家庭の苦労や家事の大変さに共感を示し、手作りの紙芝居で子供たちの注意を引
き、その間に母親にそっと寄り添う。
10本まとめて買ってくれる女性には、ほころびた着物のあて布を無料で縫い付けるサービスを施し、さ
らには他国の珍事を“あることないこと”織り交ぜて笑わせ、時には「いい男紹介しますよ」などと軽口ま
で叩く。
そんな妙に達者なやりとりが、逆に女性たちの警戒心を和らげていた。
「この子供・・妙な知恵を働かせおるな。に縁がある雪斎殿にも、一見の価値はあるかもしれん」
と言ったのは――の弟子筋にあたる若き武士・岡部小四郎であった。
その様子を見ていた一人の武士がいた。今川義元の家臣で、目利きに長けた者だった。
日吉丸の立ち居振る舞いに、ただの貧民にはない“計算と観察”の跡を見出したのだ。
その晩、日吉丸は義元の家臣に連れられ、駿府城下の下働きとして雇われる。
「ただの飢えた小僧じゃなかろう。・・これは、化けるやもしれん。」
「少し読み書きもできるようだし、本でも貸してやろうか。善得寺に縁がある。学びたければ通わせてや
ってもよい」
こうして日吉丸は、善得寺という駿府の知の中枢とつながりを持ち、寺の書庫に眠る漢籍や兵法書、仏典
に触れる機会を得た。
だが、そこに至るまでの道のりは平坦ではなかった。
駿府に辿り着いてからというもの、日吉丸は何度も今川家臣の屋敷を訪ねては「下働きでも何でもしま
す」と頼み込んだ。
しかしどこでも門前払いを食らい、飢えと寒さの中でただ追い払われるだけの日々が続いた。
諦めて市の片隅でゴミ拾いや場所取りの手伝い、店番などをしながら、僅かな食べ物と引き換えにその日
暮らしをしていた日吉丸。
ある日、たまたま知り合った針売りの男が怪我を負い、数日間寝込むことになったため、その間だけ代わ
りに針を売ってくれと頼まれた。
仕方なく始めたその仕事で、思いもよらぬ幸運が転がり込んできたのだ。その不思議さに、日吉丸は言葉
を失った。
そこでは雪斎という、すでに名高い僧が今川家の軍師として学問と政の橋渡しをしているという噂も耳に
した。
日吉丸は、やっと歴史の流れに触れるかもしれないという感動に、全身が震えるのを感じていた。
日吉丸は寺の空気に、現代日本の“空気”とは異なる、しかし本質的に同じもの――人々の無言の合意と神
聖の形成を、静かに感じ取り始めていた。
それが後に、日本を震撼させる“大祓い”の始まりとなるとは、誰も想像していなかった――。
ある日、寺の裏手にある苔むした庭で、日吉丸は一人の老和尚と向き合って座していた。
老僧は、雪斎と交流のある高名な隠者で、善得寺に時折立ち寄っては若者に教えを垂れていた。
「兵は詭道なり、とは申すが、そればかりに頼るは愚でございます」
日吉丸がそう切り出すと、老和尚は目を細めて答えた。
「それを理解しているとは、お主、少しは読んできたな。だが、なぜ愚かと申す?」
「詭計で一時の勝ちを得ても、兵の数、糧の続き、そして民の心がなければ、国は保ちませぬ。策で勝つ
のは術。だが、勝ち続けるには理、つまりは戦略が要るのではと」
老和尚は黙って茶をすする。
「戦略とは、戦を起こさずして勝つ道でもある。孫子にも『上兵は謀を伐つ』とある。詭道はその一手に
すぎぬ。兵を動かすのも人、民を動かすのもまた“空気”よ」
「空気・・」 「皆が納得し、ある者に神聖が宿ると見なす。そうしてこそ「合意形成」はなされる。
信長殿もその『理』を忘れたゆえ、討たれたのやもしれぬな」
この日から、日吉丸は“戦略”とは単に兵や策ではなく、空気と神聖、そして民意の導き方にこそ根差すも
のと悟ってゆくのだった。
ご覧いただきありがとうございます。
第1章では、転生した日吉丸が戦国農村社会に適応していく最初の一歩を描きました。
ポイントは、「村の論理=空気」がすでに彼の前に立ちはだかっている点です。
名主の蔵に米を運んだ若者が追放される場面は、正義ではなく“場の空気”が支配する構造の縮図です。
現代社会でも見られる「論理の正しさでは動かない集団構造」を、あえて戦国という舞台で突きつけています。
また、紙芝居・針売りなどで女性や子供と関係を築いていく描写は、彼が「言葉・観察力・サービス精神」という“武器”で生き延びようとしていることを示しています。
※豆知識:駿河・遠江は平地が多いのに石高は低い理由があります。平地の多い地域(尾張、美濃、近江、越後、筑後など)では普通、広大で安定した水田地帯が広がりますが駿河・遠江の平地では性質が異なります。
【1. 地形の特徴と勾配】
· 駿河・遠江の平野部は狭く、急な勾配の谷が多い 。太平洋プレートの沈み込みにより、山地が海に迫っている地形で河川が短くて急流になりやすく、扇状地や沖積平野が発達しにくい。
· 代表例:安倍川、大井川、天竜川などの流域。これらは源流が南アルプスや赤石山脈など標高2000m以上の山々にあり、流速が早く蛇行せずに直線的に海に注ぐ。洪水が起こりやすく、灌漑に向いた穏やかな流れが作りにくい。
【2. 沖積平野の狭さ】
浜松平野や静岡平野はあるものの、河川の形成した肥沃な広大な低地は限られている。特に大井川・天竜川の下流は砂礫質の河原が多く、保水力に乏しい。
【3. 治水・灌漑の難しさ】
天竜川などは**「暴れ川」として有名**で、江戸時代にもたびたび流路を変えていました。流速が速いため、用水路の取り入れ口が安定せず、水田への安定的な灌漑が難しい。
水利権争いが激しく、村単位での大規模な用水整備が必要だった(例:大井川用水、気田川用水)。
【4. 気候的制約】
**東海型の気候(夏は蒸し暑く、降雨が多い)**のため、雑草・害虫の発生が多く、農業管理に負担。特に駿河湾沿岸では潮風の影響も受けやすい。
この様な理由から地図で見る平野の割りに石高は低いのが駿河・遠江でした。ちなみに東三河も平地の状況は似ていて貧しかったのです。3国の国主の今川の石高が尾張一国の1.5倍~2倍と見られます。当然尾張の農村生まれの秀吉は駿河・遠江の農村に来ると、もっと貧しいが故の理不尽さに驚いたであろう様子を書きました。
今回登場した岡部小四郎は、今川家中での知性派。
次章では、彼との出会いが、日吉丸を善得寺という知の空間へ導く鍵となっていきます。
歴史の大きな流れに触れる瞬間を、どうぞお楽しみに。