第181章 火の出ぬ反乱
(1576年11月) 伊賀・山科
霜月【1】の風が冷たさを帯び始める頃、京と安土をつなぐ山間の村々で、妙な“噂”が広がっていた。
「羽柴殿は、帝を安土に囚えるつもりらしい」
「神仏を焼いた男が、今度は“天”そのものを焼くのだと」
「来年の春、安土で“天の声”が絶える——」
発信源は不明。
しかし、明らかに「空気」が動いていた。見えない糸が、人々の間に張り巡らされていく。
それは、静かに、しかし確実に、不信感と恐怖を植え付けていった。
◆ 山科本願寺門徒、動く
十一月八日の未明。
山科【2】の旧門徒が集まる集落にて、十数名の男たちが密かに倉庫を破り、火薬と鉄砲を持ち出した。
目標は「安土へ向かう朝廷の使節を襲撃すること」。
その情報は、伊賀を経由して瞬く間に拡散されていた。
(奴らは、形あるものを壊そうとしている。だが、本当に狙うべきは・・)
しかし――彼らが動く前に、事は終わった。
◆ 未然の鎮圧――“伊賀の網”
十一月十日。俺の下に、伊賀の祐才から書状が届く。
山科の“火種”、既に捕縛いたしました。六名は川辺にて自ら身を投げ、残りは口を割りました。
背後に比叡山旧僧・顕綱の影あり。詳細は面会て。
「・・やはり、顕綱か」 俺は小さく唇を噛んだ。
彼の怨念は根深い。誰が言い出したかも分からぬのに、同じ囁きだけが里から里へ歩いていく。
“神仏を焼く者”という札は、一度貼れば勝手に増殖するのだ。
安土行幸は前代未聞の出来事だ。
理屈より先に「何かが起こる」という腹の底の冷えだけが、人の足を動かす。
「火のつかぬ反乱は、空気で始まり、空気で終わる。ならば、“空気の網”で包み込むしかない」
茶屋の帳場印、廃寺の回覧、橋の通行札――伊賀の者たちは、そうした紙片の流れから噂の川筋を読み解
く。
俺の脳裏には、目に見えない情報網の地図が広がっていた。
◆ 捕縛された者たちと“祓いの処断”
翌日、捕らえられた宗徒たちが安土城下で非公開の取り調べを受けた。
俺は彼らを刀で処刑することはせず――白装束を着せ、“御霊送り”として小舟に乗せ、川に流させた。
灯りと共に、下流へ向けて。殺さず、罪を盛らず、名も残さぬ――“祓い”とは、そういう手続きだ。
「穢れは、殺すものではない。流すものだ。“見せない祓い”こそが、本当の儀式となる」
(火で処刑すれば、彼らは「殉教者」となり、「信長に抗った義人」という物語が民の間に広まる。そ
れでは新たな火種を生むだけだ。だが、「水に流す」という処置は違う。これは「死の穢れ」と共に、
「罪」や「責任」すらも社会から洗い流し、存在そのものを“なかったこと”にする、強力な象徴行為だ。
彼らが殉教者となる道を、これで断つ)
この処置により、反乱の芽は摘まれた。
しかしそれ以上に、宗教勢力に「公には反応できない」という「空気」を作り出し、反乱の「火種」を地
下深くに押し込める効果があった。
◆ 比叡山・顕綱の怒りと孤立
一方、比叡山の廃寺に隠れ住む僧・顕綱のもとには、弟子からの知らせが届いていた。
「顕綱様、誰も・・誰も応じませんでした・・。高野山も、醍醐寺【3】も、動きませぬ・・」
顕綱は壁を拳で叩いた。
「“火”も“剣”も要らぬ! 空気を動かせばよいのだ! だが・・“空気”まで取り込んだというのか、あの男
は・・!」
「・・『水の祓い』――その名目一つで、誰も公には怒りの声を上げられなくなりました」
◆ 安土城にて
その夜。安土城にて。
「殿、京の空気は沈静化しております。寺社も商人も、公家も、“様子を見ている”状態でございます」
三成の報告に、俺は静かに応じる。 「“見る”ことは、“従う”ことの一歩手前だ。ならば次は、こちら
が“見せる”番だ。・・奇跡の式典をな」
ねねが問うた。「もう、“戦”ではないのですか?」
俺は微笑んだ。「違う。“物語”で勝つのだよ」 安-土の天守から、冬の京を見下ろす俺の瞳には、刀も火
も映っていなかった。
映っていたのは、“舞台”だった。壮大な、人を巻き込む「物語」の舞台が。
刀ではなく榊と松明を、言葉ではなく節回しを使って、人の背骨をこちらへ向けるのだ。
注釈
【1】 霜月 (しもつき): 旧暦の11月のこと。
【2】 山科 (やましな): 現在の京都市山科区。かつて石山以前に本願寺の本拠地(山科本願寺)があった場所であり、今なお多くの門徒が住んでいた。
【3】 高野山 (こうやさん) / 醍醐寺 (だいごじ): ともに真言宗の有力な寺院。高野山は金剛峯寺を中心とした一大宗教都市であり、醍醐寺は京都に大きな力を持っていた。彼らが動かなかったことは、反信長勢力が一枚岩ではないことを示している。




