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敵の目に映る、墨俣の変貌

第17章(1561年2月)墨俣


斎藤方の斥候隊は、墨俣の対岸の林の影に身を潜めていた。森の中に張った薄い陣地から、砦の向こう側を双眼で覗き見る。


「……あれが、本当に一晩でできたのか?」そう呟いたのは、小頭の一人、土岐甚之助だった。

初日の朝、火矢を放ったが燃えず、仕方なく一度引いた。だが、上からの命は「しばらく様子を見よ」というものだった。


翌朝、同じ場所から覗くと、竹楯の裏に人影が動いていた。穴を掘り、木を立て、縄を巻いている。


地面には土が盛られはじめ、すでに柵の補強が始まっていた。 既に十人や二十人でどうにかなるものではないことは誰でもわかる。


三日目には、矢倉の骨組みが立ち上がり、砦の中で白煙が上がっていた。飯を炊いているのだと気づいたとき、甚之助は無意識に舌打ちした。


「……もう、あれは“砦もどき”ではないな。根が張り始めとる」


日が経つごとに、楯の奥から声がするようになった。槍を叩く音、木を組む音、人の気配――活気が増しているのが、森の中からでも伝わってきた。


五日目、とうとう堀が見えた。竹楯の手前に切り通しができており、水も引かれていた。


「こりゃ、下手に手を出したら怪我じゃ済まんな……」


彼らは手出しできず、ただ眺めるしかなかった。その光景は、彼らの心に拭い去れない不安を刻みつけていった。


七日目、初めて藤吉郎が砦の上に姿を現した。腰に手を当て、砦の端をぐるりと歩いている。その背後には、弓兵、槍兵、そしてあの忌々しい竹楯部隊が並んでいた。


「……終わったな。もうここは完全に“拠点”や。信長は、本気でここから美濃を獲るつもりやぞ」


誰かがつぶやいた。誰も応えなかった。彼らの表情には、絶望と、言いようのない敗北感が滲んでいた。


それを見届けた斥候隊は、静かに林を下り、報告のために岐阜へ戻っていった。


彼らの背中には、「何もできなかった」という敗北感だけがのしかかっていた。


十日後、斎藤軍が動く。


それは、墨俣に砦が立ってからちょうど十日目の朝だった。


斎藤家中からようやく、一部隊――五百名ほどが派遣された。


中規模の戦闘を想定した陣立てで、弓兵、足軽、槍兵が整然と並んでいた。先頭に立ったのは、斎藤方でも勇気あることで知られた横山玄蕃。


だが、その玄蕃でさえ、砦の姿を見た瞬間、口をつぐんだ。


そこにあったのは、竹を並べただけの簡易なものではなかった。


土塁が盛られ、柵が二重にめぐらされていた。


水を湛えた堀、矢倉、見張り台、弓兵が並ぶ土塁上、そして出入口には、槍を構えた兵がずらりと控えていた。


上には旗が立ち、兵は着替えも済んでおり、整列している。

その様子は、いつでも戦える構えだった。


玄蕃は唾を飲んだ。

「……五百では、崩せんな。矢も届かん」


それでも形式として、十数名の弓兵に火矢を放たせた。矢は竹楯に突き刺さり、火がつくが――すぐに泥が煙を上げて鎮火した。


中からは誰も動かず、反撃もしてこない。ただ、上から見下ろしているだけだった。それが、何より堪えた。彼らの心に、形容しがたい圧迫感を与えた。


「これはもう、“陣地”ではない……“城”だ」


玄蕃はそうつぶやき、隊を引き返させた。無理をして損を出すより、いったん上に報告を――それが現実的な判断だった。


斎藤軍がようやく動いたとき、すでに墨俣は「落とせそうにない砦」になっていた。藤吉郎は、それを見届けるように柵の上で腕を組み、遠ざかる兵列を静かに見送っていた。


「……兵は、早速を尊ぶだよ」


誰に言うでもない一言だったが、それはまるで、戦そのものに言い聞かせるような、静かな勝利の言葉だった。

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