一夜城の兆し
第15章(1561年2月)清州城
藤吉郎は提案した。
「弓矢の戦いで打ち合っていては時間の無駄。射線を潰し、進ませればよいのです」
その言葉の通り、藤吉郎が組み上げた戦法はこうだ。
竹楯部隊(竹垣のように竹楯が横一列に並んだ部隊)が最前列を担う。
「竹を壁状に並べ、横木と荒縄で固定した楯」を持った兵たちが一列横隊で進んで行く、ローマの重装歩兵の楯のように使われる。
楯は地面に対しやや斜めに構え、上空からの矢を滑らせる角度が施されていた。
楯と楯の隙間から、短弓が近づく敵には素早く射かける。矢が撃てないほど敵陣に接近したら、竹楯兵は盾を地面に置き後方にさがり背中の短槍をもつ。
地面に置かれた竹楯を障害物にして離れたところから上下に振って敵を叩き戦線を崩す。そこに竹楯兵が変化した短槍隊が崩れた敵戦列に一気に突入する。
短槍隊が戦線の中に入り込んだら左右押し広げて半包囲状態にして長槍兵がさらに乱れた敵を上から一方的に殴る。
最後に、騎馬隊が開いた戦線へ突入したり、敵本陣に向かったり、敵背後に回り込み矢を射かけたりする。
この一連の流れは、“波状崩壊”型の攻撃法として、従来の「一斉突撃」型戦術とは一線を画していた。
信長はこの案を聞き、短く言った。その目の奥には、驚きと、新たな可能性への期待が宿っていた。
「やってみよ。すべて“速さ”と“型破り”で勝つ」
そして、戦術に相応しい実験の場として、「一夜で築け」と命じたのが――墨俣であった。
「ええか、右手の指を切れ、それを左の親指の腹に押し当ててこの紙に押し当てるんだ。切った右親指は持ち帰れ、逆でもいいぞ。
顔を見て名がわかるなら、それも書いておけ。わからんでも、背丈とか鎧の色とか、特徴を記しておけ顔拓もやっておけ。」
そのやり方を見た半兵衛は、小さく笑った。
「おぬしらしいな。効率がいい。けど冷たく見えるぞ」
藤吉郎は肩をすくめた。その表情には、自らの行動がどう見られるかを知りつつも、合理性を追求する覚悟が滲んでいた。
「命を奪うのは冷たくて当たり前だ。だからせめて、後が揉めんようにしておきたいだけよ」
信長にこの指紋と親指が届けられると、彼はしばらく無言で見つめたあと、ぽつりと言った。
「血判状と同じだな。」
「……よし。首を斬るよりも、よほど早いし軽い。うん、面白い」
それから織田軍では、首よりも血の指跡を残す方法が少しずつ広まっていった。
「指紋は一人一人違う。」
「生首何個もぶら下げて移動するのは邪魔だ、首を切る時間ももったいない。効率第一とせよ。」
やがて信長もこの案を認めた。首を持ち帰る代わりに、敵兵の指を浅く切り、紙に押し付ける。
身元不明者には、身長や装備、傷の位置、戦場の位置情報を記す。
初めは家中に反対が出た。
「功が軽く見られる」
「武士の面目が立たぬ」と。
だが信長は一蹴した。そして読み書きを広めるのだった。
「ならば首など、幾つでも偽れる。証に値するのは“結果”であり、“記録”である。これを笑う者は、時に淘汰される」
こうして、織田軍は本格的に指紋記録方式を導入し始めた。
竹で守り、槍で崩し、指紋を記録する。
それは、戦国の常識を覆す、新たな戦の序曲だった。