第153章 三成の苦言
(1573年2月)備中高松城
石山の離れに、金槌の音が響いていた。
夜の山肌を叩くように、遠く墨俣の鍛冶場から届いたその音は、ただの金属音ではない。
戦の裏側を支える者たちが、火の兵器を打っている――その音だった。
秀吉は机の前に腰を下ろしたまま、先ほど書き上げた命令書の封を見つめていた。
天筒火砲【1】五十門。
期限は三ヶ月。
運用兵の選抜、照準の安定化、装填機構の再設計、月ごとの輸送――
すべてを裏で動かすための仕組みは、すでに整えた。
「・・火を前へ進める。だが、火は必ず裏に跳ね返る。人も、道も、仕組みも燃やす。信長様は、それを恐れぬ御方だが・・」 彼は小さく息をつき、筆を置いた手で額を押さえた。
そのとき――障子の向こうに、人の気配が動いた。
「・・三成か」
「はい。殿のお覚悟が定まるまで、お側に」 石田三成が障子を開け、静かに入ってくる。
その所作には、感情も抑揚もない。だが、その目だけは強い光を宿していた。
「お主も見たであろう。あの書状を。“火で葬れ”と。まったく、信長様らしいのう」 秀吉はそう言って笑
った。だが、その笑いは乾いていた。
三成は黙って秀吉の隣に座ると、息を整えてから口を開いた。
「・・殿。申し上げたいことがございます」
「・・申してみよ。いつものように、遠慮は無用だ」
「――この度の策、“破滅”の香りがいたします」 部屋の空気が、凍った。
秀吉の指が、微かに止まる。
「それは・・信長様についてか? それとも、儂についてか?」 三成は、しばし目を伏せた。
そして、ゆっくりと首を振る。
「火薬は“力”です。ですが、力を剥き出しにすれば、敵だけでなく、味方もその“熱”に怯えます。兵も、
商人も、農民も・・やがては、“殿もまたこの火に焼かれる側”となりかねませぬ」 その声は、低く、静か
だった。
だが、その一言一言が、秀吉の心の奥に深く突き刺さる。
「・・わかっておる。だからこそ儂は、“柄”を作ろうとしているのだ。信長様が“炎の剣”をお望
みなら、それを握る手が焼けぬよう、形を与える」
「ですが、殿の思い描く“形”を、世の者すべてが理解するとは限りませぬ」 「ほう?」
「民の記憶に残るのは、“炎が走った”という事実だけです。制度も、秩序も、理屈も――燃え尽きた後で
は、記録にしか残りませぬ。彼らが覚えているのは、“焼かれた”という記憶のみ」
その言葉に、秀吉は目を伏せた。
三成の言葉は、常に冷たい。だが、冷たいからこそ、道を見誤らせない。
それが、側近としての石田三成の真価であった。
「・・儂が“火”を扱うのは、戦を終わらせるためだ。消えぬ恨みの火種を残すのではなく、“境界”として
の炎を引くためよ。――焼いた先に、踏み出すための“道”がなければならん」
「ならば、その“道”もまた、火の届かぬ場所に用意なされませ」
三成は立ち上がり、命令状の横に自らの書付を置いた。 そこには、こう記されていた。
【提案書】
一、火砲部隊に工兵【2】・輜重【3】の部隊を付属させ、移動後に道を敷設できる体制を整えること
一、火砲発射後の熱や煙を記録し、天候と地形の影響を備に記録していき蓄積する観測記録班を設置すること
一、消火と整地を担う兵站班を先行させ、燃え残った火の粉などを現場で処理すること
秀吉はそれを読み、思わず笑った。
「・・お主の方が、よほど“火”を怖れているな」
「怖れておりますとも。・・だからこそ、制御するための“型”が要るのです」
三成は深く一礼し、言葉を重ねた。
「殿。燃え尽きた後に、“残るもの”をご準備ください。火ではなく――“灯”を」 沈黙が落ちた。
やがて、秀吉は静かにうなずく。
「・・お主がいてくれて、よかった。儂が戦を進めるなら、お主はそれを止める知恵であれ。火の裏に、
道を引く理屈であれ」 三成は何も答えなかった。
そのかわり、机に置かれた火薬を包む布をひとつ手に取り、丁寧に折り直してから席を立った。
外では、鍛冶場の音がまだ続いていた。
墨俣から送られた銅の管が、犬山で再び溶かされ【4】、砲身として姿を成していく。
それは、まさしく火の音である。
だが、今この部屋には、それを“灯”へと変えようとする意思があった。
注釈
【1】 天筒火砲 (てんづつかほう): 物語上の架空の大砲。当時の大砲(大筒)をさらに発展させた、野戦での運用を想定した新型兵器という設定。
【2】 工兵 (こうへい): 陣地の設営、道の整備、橋の建設など、戦闘以外の技術的な作業を専門に行う部隊。
【3】 輜重 (しちょう): 軍隊が用いる兵糧、武器、弾薬などの物資のこと。
【4】 再び溶かされ: 鋳造のこと。金属を高温で溶かし、型に流し込んで製品を作る技術。




