第14章 狐の囁き、半兵衛の決断
いよいよ、藤吉郎と半兵衛の“深層”が触れ合うとき――。
本章では、半兵衛という策士の中にある「冷徹」と「理想」が、初めて揺れ動きます。
その触媒となるのは、健一(=藤吉郎)が未来から持ち込んだ「秩序への問い」。
支配か、自由か――それは戦国の政に、そして現代にすら通じる普遍のテーマです。
(1560年10月)竹中家
薄明の中、藤吉郎は初めて、半兵衛の背に「影」を見た。その男は賢さと柔らかさを纏いながらも、心の奥底に氷のような冷たさを秘めていた。
そしてその冷たさこそが、乱世を渡る舟をまっすぐに進める羅針盤であることを、藤吉郎は直感で知る。
「お主、本気でこの国を変えるつもりか?」
木陰で茶を啜りながら、半兵衛はふと呟いた。言葉には試すような色が滲んでいたが、目は笑っていない。彼の真意を測るような、鋭い視線が藤吉郎に向けられた。
「……そうでもせんと、また百年、魂が病む。」
藤吉郎は答える。その声音には、転生の記憶に裏打ちされた重みがあった。
この戦乱はすでに多くの人の魂に深い傷を刻んでいる。その傷は子、孫、ひ孫へと引き継がれる。
その者たちが祟りのように更に次の世代を、そして次の世代をと蝕みつづけていくであろう――それが、かつて「ノアの箱舟政策」を止めようと意見した挙句全てを奪われた記憶を呼び戻した。
もしかして奴らはそうなのかもしれないな。
「なるほどな……それを救いたいと?」
半兵衛の声に我を取り戻す。
半兵衛の口元がわずかに歪んだ。
まるで、誰かが彼の耳元で囁いたように。
――違うな、藤吉郎。お前は救いたいんじゃない。統べたいんだろ?
狐が囁く。それは己の中の野望か、それとも何度も転生を繰り返した魂の残滓か。藤吉郎は、その言葉が、自身の深層にある本質を突き刺すようだと感じた。
藤吉郎は、それを静かに受け止め、湯呑を置いた。
そして、静かに、しかし深く問うた。
「……半兵衛。では、お主に問う。」
「支配と自由。人は、最後にはどちらを求めると思う?」
一瞬、風が止んだ。半兵衛の瞳が、藤吉郎をまっすぐ射抜く。
「自由だと答えたいが……それでは世は持たぬ。だが支配だけでは魂が死ぬ。」
そう言った半兵衛の声音は、冗談めかしていたが、瞳は真剣だった。彼の心にも、同じ問いがあるかのようだった。
藤吉郎は笑った。だがその笑いは、自嘲でもなく、勝ち誇ってもいない。
ただ、「共犯者」を得た者の、深い安堵に似ていた。
「ならば、その間にある“術”を見つけよう。人が苦しまぬ支配。人が堕ちぬ自由。」
半兵衛は微かに目を細め、言った。その目には、藤吉郎の言葉の先に広がる、未知の可能性が映っているようだった。
「それを“天下布武”と呼ぶつもりか? それとも“楽市楽座”か?」
「いや……まだ名はない。名が付けば、それはもう誰かの物じゃ。」
「なるほどな。」
半兵衛は静かにうなずいた。そして、決めた。
この男となら、未来に賭けられると。
それは、理屈ではない、直感的な確信だった。
「支配」と「自由」のあいだにある、第三の道――
それこそが秀吉=健一が求める“治世の理想”であり、半兵衛にとっても新たな探求の扉となります。
本章は、思想対話の章として密度が高い内容になっていますが、
後の「策による統治」「政の形」が生まれる根源を描くものとして重要な位置を占めています。
半兵衛という人物の中に棲む“影”と、健一の過去が共鳴することで、
二人の関係性も一段深まりました。