第144章 蠢動
(1572年4月) 二条城
越中での睨み合いが続く中、「上杉軍、動く」との報は、ただちに東国を騒がせた。
春霞の向こうから流れる知らせは風のように広まり、甲斐の武田信玄【1】、相模の北条氏政【2】の耳
にも届く。
両将はそれぞれ軍勢を動かし始め、関東・信濃方面に一気に緊張が走った。
時を同じくして、三河の徳川家康【3】から信長へ救援を求める書状が届く。
「上杉の動きに呼応されれば、東海道【4】が乱れまする」と。
街道の宿駅には不安が漂い、関所では物資の検問が厳しくなっていった。
信長はこれに感応し、即座に出陣を決断した。
動員された兵は五万。
その五割を火縄銃【5】ニ万五千丁を含む歩兵が占め、騎馬兵と砲兵を交えた近代的な編成である。
信長自身が総大将として出立する事で士気の鼓舞を狙た。
総兵力は諸将・輜重を併せ十一万、各方面に分進。
【広がる戦線と西方の不穏】
“東”の緊張だけではない。
西からの不穏な知らせもまた、重なっていた。
毛利が備後・安芸に軍勢を進め、三好三人衆【6】も堺や淡路島を中心に動きを見せ始めているという。
「信長包囲網」が再び形を成しつつあることは明らかだった。
信長はこれを迎え撃つべく、壮大な広域展開を指示した。
「羽柴秀吉と明智光秀は山陽道【7】を西へ。毛利を牽制せよ。
佐久間信盛は山陰道【7】から出雲・石見を抑えよ。
丹羽長秀と滝川一益には水軍を率いて四国を窺わせる」兵站の強化も命じられた。
道中の宿駅の補修、物資蔵の備蓄増、交易路の確保など――国内の社会基盤もまた、この大戦のために動
員対象となったのである。
【鉄砲と火薬の限界】
この時点で織田家の武装力は、かつてない規模に達していた。
墨俣の製造所では鋳造と木工を分業化し、火縄銃の月産は八百丁にまで増加。
織田家全体での保有数は三万五千丁に届き、戦の主力兵器として完全に定着していた。
しかし、深刻な問題は火薬、すなわち硝石の供給であった。
1571年初夏から不安定化、同年冬に実質途絶。翌夏時点で断続、補給が全く追いついていない。
信長が試験的に導入を進めていた新型の天筒火砲【8】用の火薬は、質・量ともに確
保できず、配備予定数十門に対し、わずか十門のみが稼働可能という状況だった。
硝石はもともと南蛮商人との貿易に頼っていたが、その航路が海賊の襲撃や積荷の差し押さえで寸断され
がちであった。
犬山での硝石丘法【9】による国内生産も始まってはいたが、精製に必要な木炭を供給する山林が豪雨で
崩れて作業が遅れ、供給必要量に達するまでには四年先という見通しであった。
堺の豪商たちは「南蛮商人が硝石を売ってくれない」と噂し、ある者は三ヶ月請け負った船荷の一部を差
し押さえられ、輸送費だけで一割を超える損失を出したという。
火薬の質も不均一で、発火しにくい不良品が混じることも珍しくなかった。
【越中の情報戦と補給の苦境】
この広域展開の中、前田利家が越中戦線で直面する最大の謎は、「謙信の不在」であった。
上杉軍の旗印は確かに“毘”“龍”を掲げていたが、指揮官としての謙信の姿が見られない。
利家の部下である密偵たちが谷間の村々や宿場で探り歩くと、噂はふたつに分かれていた。
「謙信は病に伏している」、あるいは「昨年の戦で右腕に深い傷を負った」というものだ。
中には「上杉内部で謀反の噂がある」という声まであったが、いずれも断片的で確証はなかった。
利家はこの情報の錯綜を逆手に取り、敵の指揮系統の乱れを突くべく、偽の旗を使った撹乱作戦や、夜襲
による物資妨害を強化し始めた。
その補給線への被害は、日に日に深刻さを増していた。
魚津平野へ至る山間の峠道では、雪解けで道がぬかるみ、輜重車五台が泥に嵌まって動けなくなる。
そのうち三台は車輪が折れて放棄され、兵糧三日分が流失。
軍馬も泥に足を取られて疲弊し、士気に波紋をもたらしていた。
「銃はあっても、食と補給がなければ血だけが流れる」という声が、陣中に重く響いた。
【羽柴秀吉の対策】
信長の命を受け、秀吉は軍師としての才を発揮し始める。
彼がただちに講じた対策は、以下の通りであった。
第一に、硝石・火薬の代替ルート開発。南蛮商人に依存せぬよう、越南【10】や琉球【1
1】を通じた密貿易の経路を複数確保する。
第二に、国内生産力の向上。犬山の硝石丘法の改良を指示し、精製施設を整備。不良火薬率を下げるため
の研磨や曳き火【12】といった新技術を職人たちに求めた。
第三に、補給線の補助と拠点確保。荷車が通れぬ峠道に代わる舟輸送を増やし、川沿いの港を確保。
山中に補給倉庫を兼ねた休憩所を設けた。
第四に、情報戦と偽情報の活用。謙信不在の噂を逆用し、偽情報を流して敵の指揮系統の混乱を狙う。
第五に、兵士の士気維持。補給の遅れを補うため、味噌・塩・魚の干物といった保存食の携行を強化。
馬を休ませる時間を確保し、雨風をしのげる仮設小屋の設置を指示した。
【ほんとうの戦場】
夕刻、二条城の広間に諸将が揃うと、信長は軍配【13】の柄を畳に軽く置き、静かに言葉を継いだ。
「此度の戦は、天下統一へ向けての戦である。
ゆえに、ただ勝てばよいのではない。統一後の統治に堪えうる戦でなければならぬ。
正面から受けて立ち、無惨な行いをせず、堂々と屈服させる――それが、我が望む勝ち方よ」 将たちが
息を呑むのを確かめ、信長は指を二本立てる。
「そのために要るものは二つ。資材と食【14】だ。
幸い、織田には米も、武器も、人も足りておる。
米だけなら十万の軍が二年でも三年でも戦えるほど蓄えはある。
後は――それを滞りなく届けるだけよ」 軍配がもう一度、乾いた音を立てた。
「道を通せ。台所を戦場の最前線まで引き上げよ。
屈服させるのは飢えではない、我らの秩序によってだ」 畳に落ちたその言葉は、港・川・倉・市、そし
て道が描かれた地図の上へ滑り込み、静かに沈んでいった。
戦は、刀槍を交えるずっと手前――台所と道筋で、すでに始まっていた。
【未曾有の重圧】
信長の命令によって、織田軍の総兵力・装備・兵站はかつてない規模で動き出した。
だが、この壮大な準備は、指揮系統と補給、そして管理に関わる者たちに、未曾有の重圧をもたらしてい
た。
信長自身が総大将として赴くことで、各地への命令伝達や物資の動員はさらに重くのしかかる。
重臣たちは夜を徹して道普請の見積もりを重ね、秀吉は火薬供給の予算を再配分するため、利権を持つ商
人たちとの交渉を遅滞なく進めねばならなかった。
注釈
【1】 武田信玄 (たけだ しんげん): 甲斐国(現在の山梨県)を支配していた戦国大名。「甲斐の虎」と称され、その騎馬軍団は最強と謳われた。信長にとって最大の脅威の一人。
【2】】 北条氏政 (ほうじょう うじまさ): 相模国(現在の神奈川県)を本拠地とし、関東一円を支配した戦国大名。小田原城を拠点に強大な勢力を誇った。
【3】 徳川家康 (とくがわ いえやす): 三河国(現在の愛知県東部)を支配していた大名。信長の同盟者であり、武田信玄の西進を食い止める最前線に立っていた。
【4】 東海道 (とうかいどう): 古代から日本の東西を結ぶ最も重要な幹線道路。
【5】 火縄銃 (ひなわじゅう): 当時の最新兵器であった銃。織田信長はこの火縄銃を戦術に積極的に取り入れ、戦国の様相を一変させた。
【6】 三好三人衆 (みよしさんにんしゅう): 三好長逸、三好政康、岩成友通の三人のこと。畿内で大きな力を持っていた三好家の重臣で、信長と敵対した。
【7】 山陽道・山陰道 (さんようどう・さんいんどう): 中国地方を東西に貫く二つの主要な街道。山陽道は瀬戸内海側、山陰道は日本海側を通る。
【8】 天筒火砲 (てんづつかほう): 物語上の架空の大砲。当時の大砲(大筒)をさらに発展させた新型兵器という設定。
【9】 硝石丘法 (しょうせききゅうほう): 物語上の架空の硝石(火薬の原料)国内生産法。
【10】 越南 (えつなん): ベトナムのこと。
【11】 琉球 (りゅうきゅう): 現在の沖縄県。当時は独立した王国であり、東アジア・東南アジアの交易の中継地点として栄えていた。
【12】 研磨・曳き火 (けんま・ひきび): 火薬の品質を上げるための工程。研磨は火薬の粒子を均一にすること、曳き火は導火線や火種に関する技術を指すと思われる。
【13】 軍配 (ぐんばい): 武将が戦の指揮を執る際に用いたうちわ形(または扇形)の道具。
【14】 食 (じき): 食事、食糧のこと。ここでは兵糧を指す。




