第142章 兆しと波紋の果てに
(1572年3月 石山)
春の気配が石山の屋敷に差し込む頃、「安土信用金庫」は静かに、しかし確実に動き始めていた。
庶民からの預金は伸び悩み、秀吉は早々に判断を切り替える。
「よい。庶民相手はひとまず後回しだ。まずは上から固める」 その言葉通り、信用構築の対象は朝廷、
公家【1】、寺社、そして畿内の豪商たちへと移された。
さらに、尾張と岐阜の各町には、郵便局ほどの規模の「金庫小屋」が建てられ始めた。
両替・預金・貸し出しを行うこの施設は実質的な“地方支店”であり、「織田家の保障あり」という触れ込
みで運用された。
石田三成が中心となり、寺の境内や商家の軒先、市場の掲示板に、絵入りのチラシを配って回る。
《安土信用金庫、金子の預かり所。織田殿直轄の保障にて、利息あり。返金保証あり。預けて十年、利は
雪の如く積もるべし。商いの種、ここに生ず――》
チラシには、米俵と小判を積んだ蔵と、それを守る甲冑姿の織田兵が描かれていた。
絵を見たある者は「これなら安心かもしれぬ」と呟き、また別の者は「兵ではなく言葉で蔵を守るという
ことか」と、見えぬ力への畏怖を抱いた。
【徐々に集まる信頼と預金】 この戦略は、少しずつ功を奏し始めた。
公家からは銀百枚ほどの預かりがあり、いくつかの寺社からは修繕費の余裕分として合計二千貫ほどの預
金が寄せられる。
豪商五名はそれぞれ五百~千貫を預け始め、金庫小屋にも幾人かの町年寄【2】や商家の主人が、見舞金
と称して預金を申し込んだ。
三成は帳簿を確認して胸をなでおろしたが、成果はまだ十分とは言えなかった。
「動き出しましたな・・」 秀吉は頷くと、自ら足を運んで尾張の金庫小屋を視察した。
屋根瓦の修繕を待つ町家の軒をくぐると、金庫小屋の入口に「織田家直轄保証」と大書された藍色の布が
はためいている。
中では預金者の保証書を手にした公家の使いが、保証人の名前を確かめていた。
【利益率の圧迫と制度の亀裂】 しかし、成功の兆しと並行して、制度には利益率の圧迫という問題が生
じ始めていた。
豪商の中には、利率が一分(10%)であることに不満を持つ者もいた。
「利回りが低い」「利札【3】の支払いが遅れるのではないか」といった噂が、ささやくように広まって
いく。
ある豪商は、織田家の保証を盾に利回りを二分(20%)にするよう求めたが、これは却下された。
その者は別の両替商と密かに交渉しようとしたが、金庫小屋への登記証明や保証人名義の確認といった手
続きに阻まれ、身動きが取れずにいた。
また、金庫小屋の経営コストが予想以上にかかることも判明する。
遠国からの物資の運搬費、庶民の預金者を呼び込むための宣伝費、保証人の手続きを代行する人件費など
――これら諸経費で、利回りのうち二、三厘(利益の二割から三割)が吸い取られていった。
【地方展開の波及と反発】 地方支店としての「金庫小屋」は尾張・岐阜以外にも、近江・山城の小都市
に広がり始めた。
しかし、すべてが順風満帆というわけではない。地方の豪族【4】や地侍【5】層には、「金庫小屋」が
織田の統制を強める象徴と受け取られ、反発の声もあがった。
ある近江の豪族は、金庫小屋が商人から利益を吸い上げ、町人の資産を織田家が握るための道具になる
のでは、と懸念を抱く。
町人たちも「織田の兵や旗を背負う保証人がいれば安全だが、その旗が降ろされたら保証も消えるのでは
ないか」と不安を語り合った。
さらに、遠国では金庫小屋の設置許可が与えられぬ町もあった。
岐阜の山間部の町では、「金庫小屋を置けば、いずれ税や関銭の取り分も吸い上げられるに違いない。織
田の代官が徴税を増やすくらいなら、今のうちに金を町の外へ逃がす」と言われ、預金者の逃亡(預金を
取り下げて資産を移すこと)が発生した。
【預金者の逃亡と信用の揺らぎ】
その中で最も深刻だったのが、預金者の逃亡であった。
預金をしていた中堅商人が、「保証人や利札の手続きを寸前で拒否された者がいる」という噂を耳にし、
金庫小屋の保証人名簿を公開するよう要求した。
しかし、半日だけ公開された名簿が見知らぬ地侍の名字ばかりで信用できぬ、という意見が出て、預金を
取り戻す者が現れたのだ。
また、ある寺社では、お布施【6】として預けていた資金を戻せという申し出があった。
金庫小屋側は「制度上、十年の満期前には応じられない」と答えるしかなかったため、寺の信徒たちの間
で信用金庫そのものへの批判が始まった。
この逃亡が制度に与えた影響は小さくない。
ある豪商が預けた千貫を引き揚げ、保証人に不信感を抱いた周囲の商人も預金を減らすなど、「不信の連
鎖」が生じていった。
【秀吉・三成の内心と決断】
秀吉は帳簿を閉じ、鯨油灯の灯が揺れる中で、静かに思った。
「この制度を完璧に維持するには、今の我が力だけでは足りぬかもしれぬ。」
心の奥で、制度の崩壊を恐れながらも、この構想を捨てるわけにはいかぬという覚悟が燃えていた。
三成もまた、豪商の逃亡や保証人の不安に対し、公文書によって保証の義務と責任をはっきりと定める
案を用意し始めていた。
ただし、それを発布すれば制度が“強制”と見なされ、反発が一層強まる危険もはらんでいた。
注釈
【1】 公家 (くげ): 京都の朝廷に仕える貴族たちのこと。武力は持たないが、伝統的な権威や文化的な影響力を持っていた。
【2】 町年寄 (まちどしより): 江戸時代以前の都市で、町人の中から選ばれて町の自治運営を行った役職。
【3】 利札 (りさつ): お金を預けた証明書であり、一年後には利子が上乗せされて戻ってくることを保証する札。現代の債券や定期預金証書に近い金融商品。
【4】 豪族 (ごうぞく): 特定の地域に根を張り、大きな力を持つ一族のこと。
【5】 地侍 (じざむらい): 普段は農業などを営みながら、戦の時には武装する半農半士の武士。その土地に強い影響力を持っていた。
【6】 お布施 (おふせ): 仏や僧侶、寺院に寄進する金品のこと。見返りを求めない功徳を積む行為とされた。




