第141章 信用と疑念
(1572年2月)石山
石山の雪解けが始まる頃、「安土信用金庫」は正式に業務を開始した。秀吉は墨俣学校【1】の首席卒業
者を中心に選抜した五十名の“会計士”たちに、両替商【2】や質屋、商家、さらには各地の寺社や豪商の
金銭管理を統括させる体制を整える。制度設計は緻密であった。
保証人制度、写本での帳簿公開、監査役の設置――。しかし、その船出は、あまりにも静か過ぎた。
「預け入れが・・伸びませぬな」 会計士の一人が帳簿をめくりながらつぶやく。当面の目標十万貫【3】
に対し、預金総額はわずか七千貫に満たない。
庶民の反応は鈍く、町の行商人や小作人【4】などからの預け入れはほとんどなかった。
ある質屋の主人が、帳簿を覗き見て、ひそひそと語り合う。 「預けて、本当に戻ってくるものか」
「十年も引き出せぬとは長すぎる。年利一分(10%)と言われても、明日の食い扶持にも困る身には、
それも絵に描いた餅だ」 若き会計士は頭を抱える。
その声には、新制度への期待だけでなく、不安と疑念も混じっていた。
【初期の混乱と制度的弱点】
三成が眉根を寄せながら進み出た。 「
殿、信用を得るには“実績”が要ります。まず利札を滞りなく発行し、支払いを決して遅らせぬこと。
そして、保証人や預金者の信頼が崩れぬよう、制度の透明性を保つことが肝要かと」 その直後、最初の
混乱が帳簿上で発覚した。
宿場設営費の「宿屋建造費」の欄で、資材搬入費として二千貫が見積もられていたが、実際には山道の状
態が悪く、一万貫近くかかるという報告が上がったのだ。
事前の地形調査が甘かったのである。会計士たちの間では、「見積もりをごまかしたのでは」という噂ま
で飛び交った。
また、保証人として名を連ねた豪商の一人が、保証の撤回を申し出た。
理由は、預金者から引き出しの圧力がかかった際に応じきれない、というものである。
保証人なしで預金制度を進めれば信用は落ちるが、その保証人が逃げれば、制度は根底から揺らいでしま
う。
【庶民の視点と信仰・習慣との摩擦】
庶民の中には、寺にお布施【5】を納めることが信仰の証であり、神仏への忠誠を示すことで心の安寧を
得てきた者が多い。
ある老女が山道を下り、寺へ供え物を持っていきながら、「信用と申しても、人の手による預け物ではな
いか。
仏様にお預けする方が、よほど心が安らぐ」と呟く。
また、小作人たちは年貢【6】や天災によって収入が定まらないため、十年という期間の拘束にためらう
者が多かった。
「来年飢饉にでもなれば、預けた金など返してもらえぬのでは」という噂も、しばしば耳に入った。
信仰や寺社の慣例も、「信用金庫」という新しい仕組みを受け入れる上での障壁となっていた。
祭や年中行事への寄付こそが「直接仏に捧げる行い」であるという信念は根強く、「信用という人間の約
束で得た利札」は、仏の前での誓いには及ばぬ、という声が一部にはあった。
【秀吉の対応と信用の積み重ね】
秀吉は、こうした小さな疑念の声を一つも見逃さなかった。
夜、鯨油灯の薄い光の中、帳簿を手に取りながら彼は言った。
「信用とは、記録と約束の積み重ねだ。偽りや誤りは決して許されぬ。まず見積もりを正し、帳簿の写本
を諸国に配れ。そして保証人と預金者には誠札を渡し、信義を形にするのだ」
保証人制度を補強するため、豪商には一定の財力を示す証拠(田畑の地図や商取引の記録)を提出させ、
預金者側にも預入証を丁寧に発行した。
帳簿は石山屋敷に掲示し、その写本を近隣の山城・近江・大和といった国々へ送って見せるようにした。
毎月の収支を若者たちが検討し報告する“会計報告会”も設けた。
三成も進言する。
「殿、この小さな灯りを頼りに、まず一歩、確かな実績を示すことこそ、民の信用を得る鍵にござる」
【未来展望と覚悟の深化】
制度の始動から一か月、預金額は未だ一万五千貫を超えず、目標の十万貫には程遠い。
しかし、保証人二名の誠札発行、帳簿の写本配布、利札の支払いが滞りなく行われたことで、少しずつ商
人や旅籠屋、末寺からの預け入れが見られるようになっていた。
秀吉は静かに若者たちを見回す。鯨油灯の灯が風で揺れるたび、彼らの顔に影を落とした。
その光景が、制度の未熟さと可能性を同時に映しているようであった。
「十年という期間は長い。引き出し不可という制限も厳しい。
だが、それを守り通した時、この制度は血より濃く、鋼より強くなるやもしれぬ。我らは戦ではなく、経
済によって民を導き、天下を治める者となるのだ」
若者たちはその言葉に鳥肌を覚えた。ある者は鯨油灯の灯りを手で遮るように、慎重な笑みを漏らした。
注釈
【1】 墨俣学校 (すのまたがっこう): 物語上の架空の学問所。秀吉が若き日に一夜城を築いたとされる「墨俣」の名を冠しており、彼が実力主義に基づき、身分を問わず才能ある若者を育てていることを示唆している。
【2】 両替商 (りょうがえしょう): 金・銀・銭など、異なる種類の貨幣の交換を職業としていた商人。手形の発行や貸付なども行い、近世における銀行のような役割を担っていた。
【3】 貫 (かん): 当時の通貨単位である「貫文」の略。銭千枚を紐で通した「一貫文」を基本単位とする。価値は時代や地域で大きく変動するが、一貫がおおよそ現在の10万円前後に相当するという説もある。
【4】 小作人 (こさくにん): 自分で土地を持たず、地主から土地を借りて耕作し、収穫物の一部を小作料として納めていた農民。収入が不安定で、経済的には非常に弱い立場にあった。
【5】 お布施 (おふせ): 仏や僧侶、寺院に寄進する金品のこと。見返りを求めない功徳を積む行為とされた。
【6】 年貢 (ねんぐ): 領主が農民などから徴収する税。主に米で納められた。




