第138章 民を導くとは何か
(1571年8月)二条城
対論の間――蝉の声が遠ざかり、空に一筋の雲が漂っていた。
「神仏とは何か」の論題を終え、再び広間を沈黙が包む。
信長の沈黙が、空気を一層張り詰めさせていた。
「・・では次。“民を導くとは何か”、語れ」 その声に、六人の代表が姿勢を正す。
扇の風も止まり、空気はまるで、息を呑むような重さを持っていた。
【仏教側・善護(本願寺門徒)】
最初に口を開いたのは、本願寺門徒・善護であった。
彼の衣は質素だが、その声には土に根ざした重みがある。
「民とは、知なき者ではござらぬ。だが、戦に、貧しさに、病に、心をすり減らし、道を見失った者たち
でございます」
「我らは、ただ念仏を唱えることで、“誰でも往生できる”と説いてきた。金がなくとも、地位がなくと
も、南無阿弥陀仏の一言があればよい。それが、民にとって最後の“道”であり、“救い”でありまする」
その声には、長島一向一揆で秀吉が見た“民の顔”が、重なっていた。
【キリスト教側・ロドリゲス】
ロドリゲス神父が巻物を開くと、場の空気が一瞬揺れた。
彼が広げたのは、長崎での「医薬・教育施策」の記録であった。
「これは、我らが施した授業と施薬の記録です。
病を癒し、子に筆を持たせ、女にも聖句を読ませた」
「魂だけでなく、体と知も導く。民の生活そのものを整えることこそ、神の御業にございます」
策玄が静かに視線を上げ、ほんの一瞬、目を細めた。
【仏教側・策玄(臨済宗)】
「・・だが、導きとは、“与える”ことではなかろう」
その言葉は、禅僧らしい峻厳さを孕んでいた。
「施しに頼り、外の知識にすがれば、やがて人は“己を磨く力”を失う。それでは“成長”ではなく、“依
存”です」
「真に導くとは、弱さと向き合い、自ら歩む力を育むこと。それなくして、導き手もまた堕ちてゆく」
沈黙が場を走る。誰かが咳をこらえる音が、妙に大きく響いた。
【キリスト教側・アントニオ右衛門】
その沈黙を切るように、アントニオ右衛門が立ち上がる。
その目には、怒りと悲しみが交錯していた。
「“修行”とやらで、民は何を得ましたか?焼かれた田畑、奪われた家、女は穢れとされ、子は寺に入らね
ば学べぬ」
「導くとは、手を取ることです。傷ついた者の隣に座り、食を分け、道を共に歩くことです」
「・・それをせずして、どうして“導く”と申せましょうか?」
その言葉に、場の一隅から嗚咽が漏れかけた。だが顕真が手を上げ、広間を鎮めた。
【仏教側・顕真(天台宗)】
「右衛門殿、貴殿の言葉は真にございます」 一礼の後、顕真は視線を正面に戻す。
「だが、導くには“信”が必要だ。
この世が苦しみで満ちているからこそ、人は“柱”を求める」
「祈る場がなければ、魂は行き場を失う。
それが寺であり、仏であります」
「寺を壊せば、ただの建物ではなく――民の“心の拠り所”が失われるのです」
【キリスト教側・フロイス】
最後に、フロイスが立った。
その声は低く、そして柔らかい。
「ならば、それを“キリスト”と呼ぶだけの違いでありましょう」
「だが、同時に思うのです。“導く”という言葉が、“支配”へと転じぬよう、常に導く者は己を省みねばな
らぬ」
「導きとは、愛を語ると同時に、力を持つこと。それは、常に危うさと背中合わせなのです」
その言葉に、秀吉はわずかに眉を動かした。
【神判役・秀吉】
再び、沈黙。
やがて信長が手を挙げる。
「・・では、羽柴秀吉――おぬしは何を見る」 秀吉はゆっくりと立ち、六人を順に見渡した。
「・・民を導くとは、“道を押しつけること”ではなく、灯を掲げて“共に歩むこと”――そう信じます」
「仏の道も、神の道も、照らす者がいて初めて形を成す。
導く者とは、その“明かり”を持って、民の前を歩く者」
「もし、わたくしに力があるとすれば――それは、誰よりも先に汗をかくこと。
声を張り、道を整え、転ぶ者がいれば支えること」
彼は一歩、壇上に出て、目を細めた。
「導きには、教えではなく、覚悟が要るのです」
【信長の裁定】 広間の空気が、ひとつ変わった。
そして信長が、ふとつぶやく。
「・・ならば、導く者に必要なのは、信仰ではなく――国を背負う覚悟、か」 その声には、かすかな納
得と、次なる構想への思索が滲んでいた。




