第137章 神仏とは何か
(1571年8月)二条城
蝉の声が遠くに響く、晩夏の京。
その午後、二条城の広間に、異様な空気が漂っていた。
障子の奥、静まり返った畳の間には信長が黙して座し、その視線の先に向かい合う六人の男たちがた。
左に仏教三宗の高僧、右にキリスト教の司祭と改宗者。
そして中央には、神判役【1】として羽柴秀吉が控え、薄く汗ばむ額を扇で静かに払っていた。
そのとき、信長の声が低く響く。
「主題は一つ目――神仏とは、何か。語れ」 その声は、広間の空気を一瞬にして張り詰めさせ、誰にも
逃げ道を与えぬ威圧を含んでいた。
【仏教側・天台宗 顕真】
最初に口を開いたのは、比叡山の高僧・顕真であった。
頭を垂れ、一歩前に進む。
「仏とは、“悟り”を体現せし者。神とは、時に応じて姿を変え、衆生を導く方便【2】に過ぎませぬ」 言
葉は穏やかだが、その背後には千年の教学があった。
「神とは形ではなく、法【3】そのもの。信仰とは内へ向かうものであり、外に神を求めるも
のにはあらず」 静寂の中に、比叡山の冷気のような峻厳さが立ち込めた。
【キリスト教側・ルイス・フロイス】
黒衣の司祭がゆっくりと立ち上がった。
ロザリオ【4】を胸に押し当て、目を閉じて言う。
「神は、唯一にして絶対。天地を創り、魂に愛を宿し、罪を赦し、罰を与える御方なり」 声は柔らか
く、それでいて断固としていた。
「仏が“自らを滅せよ”と説くならば、我らの神は“汝を赦す”と仰せられる。
滅却ではなく、救済。それが我らの神の姿でございます」 仏教側に小さなざわめきが走る。
顕真は動じることなく、ただ、深く息を吐いた。
【仏教側・東福寺 策玄】
その空気を断ち切るように、禅僧・策玄が立ち上がる。
「・・だが、導きとは、“与える”ことではなかろう」 低く、冷ややかな声であった。
「外から与えられる救いにばかりすがれば、己を磨く力を失う。
それは“依存”であり、信仰とは呼べぬ」 彼の目は鋭く、フロイスの瞳をまっすぐ見据えていた。
「人を導くとは、己の内を照らす道を示すこと。それを忘れた導きは――やがて己すら見失う」
【キリスト教側・ジョアン・ロドリゲス】
若い宣教師が立ち上がると、空気がわずかに変わった。
その声は若さと熱を含んでいた。
「ですが、黙して内を照らすだけで――飢えた民を救えますか?」 策玄が微かに眉を動かす。
「神は、地に降り、人の痛みに寄り添われる。
言葉でなく、手で癒し、涙に応える神こそ、真に導く御方なのです」 その言葉に、左右の空気が一瞬緊
張した。
秀吉が手をわずかに挙げ、広間を静めた。
【仏教側・本願寺門徒 善護】
善護が静かに立ち上がった。
その言葉は、民草の息づかいそのものであった。 「仏は、我らと共にある存在です。
念仏【5】を唱えれば、仏はすぐそばに――寄り添ってくださる」
「貧しくとも、愚かであろうとも、南無阿弥陀仏【6】の一言が、魂を導いてくださるのです」 彼の声
は、静かだが胸に染みた。
敵味方問わず、数人の顔が伏せられた。
【キリスト教側・アントニオ右衛門】
最後に、日本人であるアントニオ右衛門が立ち上がる。
その眼差しは、仏教側に向けられていた。
「仏は、人の生まれで差をつけませぬか?」
「女人は“穢れ”とされ、僧でなければ学ぶこともできぬ――だが、我が神の前では、すべての魂は等しい
のです」
「愛するとは、導くことではなく、等しく見ること。それが、私が信じる神の姿です」
静かな怒りと誇りが、その声に滲んでいた。
【神判役・秀吉】
六人の声がすべて消えたとき、広間は深い沈黙に包まれた。
蝉の声すら止み、ただ、緊張だけが残った。 信長が、静かに言う。
「――おぬしの番だ。理を問え、羽柴秀吉」 秀吉はゆっくりと立ち上がった。
その眼差しは、六人全員を順に見渡す。
まなざしに、軽蔑も賞賛もなく、ただ“受け止める者”としての覚悟があった。
「・・・神仏とは、何か。・・わたしの答えは、こうです」
「神も仏も、“人の迷いと願いが映った鏡”にませぬ。
だからこそ、それを見る者によって、姿は変わる」
「仏教が説く“空”【7】も、キリスト教が語る“愛”【8】も――すべてはこの世をどう生きるかの“型”でご
ざいます」 彼は一呼吸置き、巻物を手にした。
「よって――勝者は決めませぬ。だが、“語った者たち”の誠だけは、ここに記し、後に残します」
ゆっくりと筆を入れ、言葉を記した。
その静かな動きに、場の誰もが息をのんだ。 信長はその様子を見届けて、ふと笑みを浮かべる。
「・・ふむ。――理、言い尽くしたな。次は“民”について聞かせてもらおう」
その言葉により、新たな対論の幕が上がることを、誰もが悟っていた。
注釈
【1】 神判役 (しんぱんやく): 神意を問い、裁きを下す役。ここでは、信長という絶対者の前で、宗教論争の優劣を判定し、その意味を定めるという極めて重い役割を指す。
【2】 方便 (ほうべん): 仏教用語。人々を真の教え(悟り)に導くために、相手の能力や状況に応じて用いられる、仮の手段や教えのこと。
【3】 法 (ほう・だるま): 仏教の中心的な概念。宇宙の真理、物事のありのままの姿、そして釈迦が説いた教えそのものを指す。
【4】 ロザリオ: カトリック教会で祈りの回数を数えるために用いる数珠状の道具。
【5】 念仏 (ねんぶつ): 仏の名を心に思い浮かべ、口に称えること。特に浄土宗・浄土真宗では、阿弥陀仏の名を称えることが重要視される。
【6】 南無阿弥陀仏 (なむあみだぶつ): 「阿弥陀仏に帰依(深く信じ、従うこと)します」という意味の言葉。浄土宗・浄土真宗の信者がこれを称えることで、死後、極楽浄土へ往生できるとされる。
【7】 空 (くう): 大乗仏教、特に般若経の根幹をなす思想。すべての物事は固定的な実体を持たず、縁によって生じ、常に変化し続けるという考え方。
【8】 愛 (あい): キリスト教における中心的な教義。特に神が人間を無条件に愛する「アガペー」と呼ばれる愛を指し、信仰の根幹をなす。




