第134章 堺での宗教対立
(1571年5月)河内
堺の町で始まった宗教的な小競り合いは、日を追うごとに緊張を増していった。
ある朝、南蛮寺【1】の前に僧侶たちが並び、十字架に向かって読経を響かせる。
翌日には仏像を焼いたとされる若者が刺殺され、町の空気はついに限界に達した。
町の通りでは叫び声が飛び交い、煙が上がる中、母親が子を抱えて逃げ惑い、商人たちは急ぎ帳場の戸
を閉める。
誰もが悟っていた――これは、宗教戦争の始まりかもしれないと。
【信長の呼び声】
その報は、すぐさま二条城へと届けられた。
信長は広間で報告書を読みながら、薄く笑みを浮かべた。
「まこと、愚かしくも面白い・・」 その表情には、乱世の混迷すらも利用しようとする、冷静な策略家
の顔があった。
「ならば、見せてもらおうか。どちらが“理”を通すかを」 信長は直に秀吉を呼びつけた。
「秀吉。三月以内に準備せよ。日本の仏教勢と南蛮キリシタン、それぞれから代表三名ずつを選び、我が
前で“討論”させる」
「・・面前にて、討論を、でございますか?」
「そうだ。火を点けて灰にするか、それとも光にするか――それは、彼ら次第だ」 その目は、宗教論争
の勝敗を超えて、新たな秩序の誕生を見据えていた。
「場所は、西の御殿の一角に“対論の間”を設ける。
舞台も席次も全て整えよ。
仏教は延暦寺、東福寺、本願寺などから。キリシタンはフロイスでもヴィレラでも誰でもよい。
三ヶ月後、夏の始まりに決着をつける」 その“対論の間”とは、かつて茶会のために造られた書院造【2】
の広間であり、いまや床の間【3】の装飾は外され、中央に石畳を敷いた論壇の舞台が用意される予定で
あった。
秀吉は静かに一礼し、口を開く。 「・・承知いたしました。火花を散らすか、理を示すか、すべては“舞
台の格”次第にございますな。我が整え、貴殿の前に整列させてみせましょう」
【命を受けた者たち】
こうして秀吉は、両派に接触する任を担うこととなった。
この宗教討論は、史実において信長が安土城で行った「安土宗論【4】」として知られる。
仏教側候補:
延暦寺(天台宗)【5】代表:顕真
東福寺(臨済宗)【6】代表:策玄
本願寺旧派(山科門徒)代表:善護
キリシタン側候補:
イエズス会【7】布教責任者:ルイス・フロイス【8】
医術・教育担当:ジョアン・ロドリゲス【9】
在地日本人司祭:アントニオ右衛門
三名ずつ、三つの議題――信仰の根幹、統治との関係、民への導きを巡り、信長の前で「理」の対決が行
われる。
その闘いは剣ではなく、言葉でなされる。
そして信長は、剣以上に冷酷な審判者となるだろう。
注釈
【1】 南蛮寺 (なんばんじ): 「南蛮人の寺」という意味で、戦国時代におけるキリスト教の教会を指す言葉。
【2】 書院造 (しょいんづくり): 室町時代に完成した武家住宅の様式。畳の敷かれた座敷、違い棚、床の間などを持つのが特徴。
【3】 床の間 (とこのま): 和室の床を一段高くした場所。掛け軸や花を飾る、格式ある空間。
【4】 安土宗論 (あづちしゅうろん): 1579年に、織田信長の命令で安土城にて行われた浄土宗と日蓮宗(法華宗)の宗教論争。この物語では、史実より早く、さらに仏教対キリスト教という架空の対決として設定されている。
【5】】 延暦寺(天台宗) (えんりゃくじ・てんだいしゅう): 比叡山にある天台宗の総本山。物語の少し前に信長によって焼き討ちにされており、その代表が参加することは非常に緊張感の高い状況を生む。
【6】 東福寺(臨済宗) (とうふくじ・りんざいしゅう): 京都にある臨済宗の大本山。策玄(策彦周良)は実在した高僧。
【7】 イエズス会 (いえずすかい): カトリック教会の男子修道会の一つ。特に戦国時代の日本において、フランシスコ・ザビエルをはじめとする多くの宣教師を派遣し、布教活動を行った。
【8】 ルイス・フロイス: ポルトガル出身のイエズス会宣教師。日本に長く滞在し、織田信長とも親交があった。彼の著書『日本史』は、当時の日本の様子を知るための大変貴重な資料となっている。
【9】 ジョアン・ロドリゲス: ポルトガル出身のイエズス会宣教師で、通訳としても活躍した。「日本教会史」などの著作がある。史実では日本到着が1577年頃であり、この物語では史実より早く登場している。




