第133章 ジャンク船【1】
(1571年5月)河内
堺の町に、再び煙が上がった。
今度は戦の煙ではなく――信仰をめぐる争いの火である。 南蛮寺【2】に火を放ったのは、法華衆【3】
の一派であった。
数日前、キリシタン【4】の若者が仏像を壊したという噂が広まり、町中の怒りが爆発したのだ。
宣教師たちは石を投げつけられ、法華宗の僧侶たちは寺の鐘を鳴らして「やり返せ」と人々を煽る。
町の空気は、宗教という名の正義で満ちていた。 しかしその頃、港の北の端。
人目を避けるように囲われた造船所で、奇妙な船が密かに完成の時を迎えようとしていた。
【隔壁構造を持つ船】
それは、荷物を運ぶ艀としては大きすぎ、日本の軍船としては安宅船【5】と同じ程度、長さ
二十間(約36m)の試作船であった。
船の胴体は、竹と木材を組み合わせた特殊な梁で補強され、内部が壁で仕切られた「隔壁構造【6】」を
備えている。
さらに、船の側面には帆を支えるための高い柱“梁型構造”の骨組みが見えていた。
設計を指揮したのは、犬山出身の鍛冶職人の親方・馬島作左衛門。
彼の手元にあるのは、秀吉が描かせた“未来の船の図面”である。
「船の片方に水が入っても、全体が沈まない船・・まるで化け物だ」
そう言いながらも、彼の目には、若い頃に憧れた南蛮船の面影が浮かんでいた。
船の細かい部分を調整していたのは、伊賀【7】出身の技術者・百地仁蔵。
彼は航海術と天文学にも興味を持ち、夜ごと星図を眺めては、新しい航海術の図を試作していた。
【届いた報告】
やがて、彼らからの手紙が秀吉のもとへ届く。
「殿、隔壁構造を持つ試作船が、完成いたしました。
次の目標は、来年中に全長百二十間(約218m)の巨大な船を仕上げることでございます。
堺の若者たちが、この船で大海原へ出てみたいと申しておりますので、帆の配置や操り方、航海術につい
てご指示をいただきたく――」 秀吉は手紙を読み終えると、しばらく黙して天を仰ぎ、静かに呟いた。
「・・ついに来たか。世界へ出るための“船”が」 その言葉には、ただ感動しただけでなく、国家という大
きな舟の舵を取ろうとする者の決意が込められていた。
【火と帆】
その頃、秀吉の背後では、堺の町が混乱にきしんでいた。
キリシタンと仏教徒の争いが通りを焼き、信仰という名の正義のもとで、命が失われていく。
報告を受けた秀吉は、短く命じた。
「堺の町を鎮圧せよ。だが――あの船と、あの者たちだけは、何としても守り抜け。
あれは・・この国の未来そのものだ」 燃え上がる町と、静かに次の出番を待つ船。
炎と風――そのどちらが未来を運ぶのか、まだ誰にもわからなかった。
注釈
【1】 ジャンク船 (じゃんくせん): 主に中国で使われていた木造の帆船。 watertight compartments(水密区画)となる「隔壁」や、独特の帆の形を持ち、当時のヨーロッパの船に比べて頑丈で操縦しやすいという優れた特徴があった。
【2】 南蛮寺 (なんばんじ): 「南蛮人の寺」という意味で、戦国時代におけるキリスト教の教会を指す言葉。
【3】 法華衆 (ほっけしゅう): 日蓮を宗祖とする法華宗(日蓮宗)の信者のこと。特に当時の京都や堺では大きな勢力を持っており、他の宗派やキリスト教に対して攻撃的になることもあった。
【4】 キリシタン: 戦国時代から江戸時代初期にかけての、日本のキリスト教信者のこと。
【5】 安宅船安宅船は外洋を航行する帆船というより、多数の漕ぎ手を動力源とする沿岸用の「浮き城」のような船でした。竜骨がなく、船底は平らです。
【6】 隔壁構造 (かくへきこうぞう): 船の内部を、水が通り抜けない壁(隔壁)でいくつかに区切る構造のこと。どこか一区画に穴が開いて浸水しても、他の区画には水が入らないため、船全体が沈没しにくいという大きな利点がある。
【7】 伊賀 (いが): 現在の三重県西部にあった国。忍術で有名な伊賀流忍者の本拠地として知られる。




