第131章 お手紙将軍、終わりの鐘
(1571年3月)京
――早春の京、三条河原【1】。
薄曇りの空の下、風はなお冷たく、鴨川の水音だけが町に響いていた。
その静寂を破るように、密偵・山田佑才【2】が、息を切らせて秀吉のもとへ駆け込んでく
る。
「殿――将軍家より、また御内書【3】が出されました」 秀吉は無言で文を受け取り、その場で封を切
る。
宛先には、毛利、北条、本願寺、長宗我部、上杉【4】――いずれも、かつて信長と剣を交えた強敵たち
の名が並んでいた。
「信長は魔王になろうとしている。このままでは、日本は穢れてしまう。正義の兵を挙げ、悪を討て―」
それは、将軍・足利義昭【5】からの、新たな“信長包囲網【6】”の呼びかけだった。 秀吉は、静かにた
め息をついた。
その顔には、政の混乱を予見する者の苦悩と、かつて「天下を繋ぐ絆」として信じた将軍職の堕落への失
望が滲んでいた。 「・・この男は、もはや“飾り”ですらない。
争いの火種を振りまく、ただの導火線よ」 報はすぐに信長のもとへ。
二条城の密室で、信長は短く命じる。
「――義昭を、京から追う」 かつては信長を将軍として迎えた義昭。
だが今、信長の目に映るのは、ただの時代遅れの“象徴”だった。
そしてその象徴が、もはや自らの理想を邪魔する“障害”へと変わっていた。
【信長の宣告】
三月中旬、二条城・奥の間。
義昭は、招かれるままに現れたが、その顔に反省の色はない。
「またしても、各地からお前の手紙が見つかった」
「わしは将軍だ。正義を問うて、何が悪い」 信長の目が鋭く光る。
「ならば問う。――“正義”とは、何だ?」 一瞬の沈黙。
義昭は答えない。ただ、古き権威の仮面をかぶったまま、黙していた。
「もはや、日本に将軍は要らぬ」 その言葉が、室町幕府【7】にとっての“死の宣告”だった。
【京を追われる将軍】
数日後、義昭はわずかな供を連れ、京を後にする。
堺方面へと落ち延びる道すがら、誰も声をかけない。
寺社も町人も、背を向けた。 ――都が、将軍を見捨てた。
忠実な家臣数名と、わずかな兵だけがその背中に付き従っていた。 室町幕府、事実上の終焉。
そのとき歴史の時計は、静かに、だが確かに動き出したのだった。
【残された火種】
信長の天下布武が、名実ともに始まったその一方で、義昭が残した“手紙”は、静かに全国に飛び火してい
た。
特に毛利、上杉。
彼らはその文言を“大義名分【8】”として、「反織田」を掲げる理由を取り戻していた。
表立った連合こそ組まれぬものの、空気は再び「包囲網」へと傾きつつあった。
信長は、権威を葬った。
だが、戦の火種は――まだ、燻っていた。
注釈
【1】 三条河原 (さんじょうがわら): 京都市内を流れる鴨川の河原。古くから処刑や見せしめが行われた場所としても知られる。
【2】 山田佑才 (やまだ すけとし): 秀吉に仕えた伊賀流の忍者。諜報活動で活躍したと言われている。
【3】 御内書 (ごないしょ): 室町時代の将軍が、私的な形式で発給した公式文書。親しい大名などに直接命令や意向を伝える際に使われた。
【4】 毛利・北条・本願寺・長宗我部・上杉: いずれも当時の日本で大きな力を持っていた勢力。毛利は中国地方、北条は関東地方、本願寺は宗教勢力、長宗我部は四国地方、上杉は越後国(新潟県)を支配しており、信長の強力なライバルだった。
【5】 足利義昭 (あしかが よしあき): 室町幕府の第15代にして最後の将軍。信長に擁立されて将軍となったが、次第に対立し、信長包囲網を画策した。
【6】】 信長包囲網 (のぶながほういもう): 将軍・足利義昭の呼びかけに応じ、各地の反信長勢力が協力して織田信長を倒そうとした連合戦線のこと。
【7】 室町幕府 (むろまちばくふ): 1338年に足利尊氏が開いた武家政権。この物語の時点では、将軍の権威はほとんど失われ、名前だけの存在となっていた。
【8】 大義名分 (たいぎめいぶん): 行動の正当性を証明するための、もっともな理由や根拠のこと。この手紙があることで、毛利や上杉は「幕府の敵である信長を討つ」という、戦いを起こすための立派な口実を得ることができた。




